六
「学園長が不在?」
「は。少なくとも創立後、三年は存在しましたがその後の十年は代替の者が
持ち回りで運営しております。」
藩庁の集会所の隅、きっちりと身なりを整えた灰音章雪が自らの小物と
会話している。が、足元に跪く男は朧丸の扮装であった。
「運営会議が学園長代理の国学師範の元に行われておりますが、ほぼ藩庁の
いうままであると。またそこに、学徒代表の者が参加しており、実はその者が
ほぼ全権を握っているとの事。」
「学徒が?何者なのだ。」
「武団会と呼ばれる統率集団の長、総会長と呼ばれています。氏素性は
わかりませぬ。その片腕とも言える副会長と共に、仮面で顔を隠しています。」
仮面、という言葉に弥者を想起し、灰音は黙り込んだ。
「その、武団会。内部から調査せねばなりませんね。悪兵衛殿達に関わらない
よう、警告と今の旨の報告をお願いします。」
「それが中佐、昨日……予篠総会と呼ばれる集会がありまして、すでに
播磨少佐が剣術部といざこざを。武団会からも目をつけられている状況です。」
灰音は苦笑しつつ、立ち上がった。
「そうですか。ではいずれ必要になるものをあなたに預けます。状況を見て
悪兵衛殿に届けてください。」
「仰せのままに。」
*
青い闇が帳を下しつつある。
悪兵衛達三名は刀袋を負い、御輪堂を見上げた。
「中はどうなっている。」
「一階が女子薙刀と柔術、二階が剣術道場だ。その上はわからん。」
「更衣場奥に箱階段がある。そこから上がればいい。」
正門から入ると、威勢の良い女子達の掛け声が響く。
その左手に更衣場が続き、格子壁で道場と仕切られている。奥に階段が
見える。が、その麓までたどり着いた時、階段の天板が閉じられている事に
気が付いた。
「閉じているぞ。」
「おかしいな。いつもは開放してあるのに。」
「道場の端に正階段があるからそこからいくしかないよ。」
引き返した三名は道場が物音ひとつしていない事に気付いた。
格子の向こう、部員たちが整列している。
その眼は三人を追い、不気味な静けさが道場を満たす。
女子薙刀と柔術部員が道場脇を固める様に並び、中央には紫の制服に身を包んだ
小柄な女子が佇んでいる。
手には薙刀の木刀が握られ、その切っ先は地を向いている。
「武団会、女子武芸総長。八坂静枝。」
「二年の播磨と一年の橘川だな。何用か。」
男子の様な低い声で八坂は問う。無表情な白面に唇が血のように赤い。
「総会長に用がある。会いに行く。」
「ならぬ。部外者はあげぬ決まりである。」
「俺たちは剣術部だ。ならばよかろう。」
「現在は部主力による夜錬中だ。一年は立ち入り出来ぬ。」
取り付く島の無い様子に橘川兄弟は苦笑を漏らす。
悪兵衛が歯を見せて笑いながらずかずかと道場に踏み入る。
八坂は薙刀を脇構えで固定し、鋭い視線を投げかける。
部員達も一斉に構えた。総数は五十名程。全員の相手をするのかと
悪兵衛は困り顔で頭を掻く。
「体験入部として私と掛かり稽古している間のみ、他の者が階段を使うのを
許す。どうだ、播磨。」
「よかろう。」
一歩前に出た悪兵衛の腕を一圓が掴んだ。
「ばか、恨みを買っているのだろう?」
「奴は稽古と偽って打ち殺すつもりだよ。」
「女子全員を投げて気絶させるわけにいくまい。お前達が上がって総会長に
会え。俺も後を追う。」
「体験入部願います。」
明るい声が響いた。道着姿の女子二名が道場に上がってくる。
「二年、冬麻浅海。」
「一年、澤居今日子。」
冬麻は無手、澤居は練習用の小弓と矢羽を手にしている。
「冬麻殿。なぜ」
驚いた悪兵衛達は二人に歩み寄る。
「卑怯な襲撃を見たから。そういうの許せん。」
「邪魔と言われた。弓取りとして屈辱だ。」
強い光を放つ二人の瞳を見、悪兵衛はため息を吐いた。
「冬麻と澤居に任せて上に行こうぜ。話が早い。」
「でも危険だよ。」
「武団会は練習の名の元に、学徒を殺している疑いがある。」
悪兵衛は厳しい表情で二人に言い放った。
「侍として、戦で死ぬのと何が違うか。」
冬麻はまっすぐに悪兵衛と視線を合わせて言った。澤居も頬を紅潮させ、
八坂の一挙一動を見逃すまいとしている。悪兵衛は二人の表情を見つめ、
逡巡の後に頷いた。
「身の危険を感じたら、我らを置いて御輪堂より退避してくれ。」
二人にしっかりといい含め、橘川兄弟を伴い道場奥に向かう。
「播磨、後程に。」
八坂の声に、静かな怒りと底知れぬ憎しみを感じる。
無表情に三人を見つめる女子部員達を割るように進み、三人は階段を上がった。
*
すでに剣術道場では部員達が皆膝をつき、その中央に紫の詰襟の者が立ち
塞がっていた。筋骨たくましい均整のとれた体つきに短髪、しっかりと引き結んだ口元。強い光を放つ眼差しの男であった。
手には通常の物より縦にも横にも長大な木刀を握っている。
「武団会、男子武芸総長。鏑木宗忠。」
「もう話は聞いているようだな。」
「ああ。村山を二度、投げ飛ばした播磨だな。」
鏑木はにっこりと微笑んで木刀を振りながら悪兵衛達に歩み寄る。
「おい、紫。お前剣術部の部長より腕はあるのか。」
一圓が気楽に声を張り上げた。
「俺は男子武芸のすべてを預かっている。無論剣術部も含む。」
鏑木は落ち着いた声で言いながら、傍らに控えている村山を視線を走らせる。
頭を包帯で巻いた赤服は手を突いて頭を下げている。
「よし、悪兵衛。我らが剣術が苦手といったな。」
一圓がにやにやと笑いながら木刀袋から小刀を二本、取り出す。
「やるのか。」
「うむ。先に上に行け。あ、俺が勝った事を十字朗に伝えて、剣術の稽古に
手心を加える様にいってくれ。奴は厳しすぎる。」
悪兵衛と一真は笑いながら道場を進み、階段を上がっていった。
鏑木は何かを言おうとしたが、すぐに一圓に向き直る。
小刀の木剣を両手に持ち、顎を引いて射る様に見つめる一圓から、吹き出す
ような剣気を感じている。
「橘川といったか。これはあくまで剣術部の模擬試合だ。」
鏑木はうっすら微笑んで木刀を正眼に構える。
その速度とぶれのない剣先に尋常ではない膂力と鍛錬を感じさせる。
一圓はその剣の脅威に一顧だにしていないように近づいていく。
すでに踏み込まずとも攻撃の及ぶ範囲に接近され、鏑木は長刀とは思えない
程の速度で剣を揮った。同時に一圓は飛び出し、剣先を柔軟な姿勢で掠めるように避け、振り切った瞬間の木刀を脇に抱えて左回し蹴りを繰り出す。
一圓の変則的な攻撃に鏑木は面くらうが、刀が固定された状態なのを感じると、
力に逆らわず咄嗟に蹴りと同じ方向に顔面を逃がし、やり過ごす。鋭く、
訓練された反射行動であった。が、一圓は左足を振り切るとその勢いのまま
飛び上がり、右の跳び回転蹴りを撃ち出した。この二撃目こそが狙いであった。
小柄ながら跳躍と回転で威力を増し、鏑木の鳩尾を踵で撃ち抜く。
表情を歪めながら鏑木は三歩引いた。剣を正眼に構えてはいるが、その額には
脂汗が浮かぶ。間髪をいれず、一圓は距離を詰める。
小刀を携えた事で通常より長い剣を扱う鏑木に、攻撃距離の優位性を
感じさせる。また自身の体格から攻撃の範囲の狭さを強く印象付け、弱敵として
認識した鏑木は不用意な袈裟切りを放った。
その油断こそが攻撃の起点であり、一旦踏み込めば優位な距離は徹底的に潰す。
一圓の冷酷な計算がそこにはあった。
懐で両刀を揮う一圓の剣を鏑木は防ぐ一方になる。優れた膂力で扱う長刀は、
一圓の剣を寄せ付けないかに見える。が、接近しての一園の連続の振りが
容赦なく叩き込まれ、攻撃の「息」を盗み、距離をとって反撃を狙っていた
鏑木は追い込まれる。一圓の剣はその速度を徐々に早めている。
(この迅さ。こやつ、化け物か。)
恐怖が鏑木を襲った瞬間、小刀の先が顎を掠め打ち抜いた。
刹那、鏑木は垂直に膝から崩れ落ちる。全知覚が脳の振動により断ち切られた。
一圓は見下ろし、荒い息をついている。無呼吸での連続攻撃に心肺機能は
限界であったが、その表情は不敵な笑みを浮かべている。
剣術部員達は水を打ったような静けさで、押し黙る。
一圓は小刀を納め、倒れたままの鏑木に一礼した後、その頭をまたいで歩み、
階段をあがっていった。




