五
「播磨、書道部は?」
授業を終え、学舎から寮へ続く木立を歩く悪兵衛に、冬麻が声を掛けた。
前を歩く橘川兄弟も振り向く。
「冬麻殿。あ、あの、筆をとりに。」
「筆忘れたの?」
からからと笑う冬麻に弓術部の澤居も連れ立っている。相変わらず厳しい
視線で橘川兄弟を睨んでいる。
広大な学園の一角、冬枯れた林を二つ抜けると学徒達の寮があり、学舎からは
天守閣を挟んで対角線上の位置にある。夕暮れ時で冷たい風が吹く林道には
他に人影は無かった。
「いま来られたらあの二人、巻き添えになるよ。」
「そうなったら仕方ないさ。怪我するだけだ。」
一圓は一真の耳打ちに答えると、悪兵衛と目くばせをした。
悪兵衛は左手の林道の先、堀を見つめたまま立ち止まる。
「冬麻殿、澤居殿、先にいかれよ。」
天守閣の堀口から赤服が率いる剣術部がこちらに向かってくるのが見える。
その数十二名。木刀をたずさえ、悪兵衛達を確認し小走りで接近する。
四名ずつ三方に別れた剣術部の学徒達は、悪兵衛達の前方、後方、堀への道に
立ち塞がった。冬麻と澤居を逃がすつもりはない構えである。
赤服の村山が一歩前に出た。
「二年、播磨。総会における壇上での狼藉、許しがたい。武団会の命により、
制裁を加える。」
悪兵衛は無言で弁当と教書を包んだ風呂敷を地に置き、草履を片方ずつ脱いだ。
橘川兄弟は懐手で嘲りの笑みを漏らしている。
「播磨と共にいる者、邪魔立てするなら同時に」
村井が言葉の途中で、うずくまった。足元には黒色の小指の先ほどの球体が落ち、
そこに血がぽたぽたと滴っている。
一圓が手元ではじいた無患子の硬い実であった。
「同時になんだよ。」
言いながら次々に実を他の部員の眉間と鼻を狙って弾き討つ。激痛に顔を押さえ
て、三名がしゃがみ込む。
「林へ」
一真が女子達を背後に庇い、剣術部員のいない方向へいざなう。
「理不尽な襲撃だ。私も」
澤居が目を吊り上げて叫んだ。
「邪魔なんだ。」
一真の冷静な声に何も返せない。
懐から出した一寸程の打根を投げ打ちながら前に歩き出す。
堀側の四名が脚を押さえて悲鳴をあげた。それぞれ、一真が投げ打った矢羽が
足の甲を貫通し、地面に縫い付けられている。
顔を押さえてよろよろと立ち上がった赤服の足元から、獣のように突進した
悪兵衛が肩を突き上げ、上腕でしたたかに鳩尾を打つ。赤服の脚が浮いたと
同時に衿口を掴み、まっすぐに地面に引き落とす。崩落型の山颪であった。
赤服を投げた悪兵衛に今一人が木刀を振り上げて迫る。その剣を搔い潜り、
肘で脇腹を打つ。剣の勢いを殺して流れるように背後に回り、腹に手を回し
て放り投げた。黒打ち投げと呼ばれる組打ちである。
紺服の剣術部員は地面に激突し、苦し気にのたうちまわっている。
背後の四名は一圓の無患子の指弾で顔の急所を狙い撃ちにされ、各々目や
鼻や眉間を押さえて呻いている。
最後に残った者が震える木刀をなんとか正眼に構えているが、その眼には
恐怖が浮かび足元はおぼつかない。
「剣術部に問う。」
悪兵衛から腹の底に響く言霊が発せられ、あまりの圧に木刀を取り落としてしまう。
「武団会の命とは、総会長の命と同義か?」
「はい」
「わかった。他の者を手当てしてやれ。」
いいながら悪兵衛は風呂敷を拾うと草履を履きなおし、歩み始める。
橘川兄弟も続く。冬麻と澤居は呆気にとられながらその後を追った。
*
大広間。授業終わりの学徒達が食事前の時間にまばらに集っている。
一圓と一真に倒した者の数で負けた悪兵衛がお茶を汲み、運んでくる。
「どうする?頭目。」
湯気を上げる煎茶を一口飲み、一圓が好戦的な笑みを漏らす。
一真もうきうきとした顔で悪兵衛の返答を待つ。
「隊規の通りだ。」
報復、殲滅、吶喊の三文字を思い起こす。
「しかし、これは学徒同士の喧嘩だぜ。」
「我らが糾していいものかな。」
一呼吸おいて悪兵衛は答える。
「一圓も言っていたじゃないか。赤服の剣に迷いが無かったと。学徒を殺す程の
制裁が常態化しているのなら異常だ。総会長にその意を問う。」
「その答えによっては、制裁とやらをこちらが与えてやる。」
橘川兄弟は頷いて笑った。
「播磨君。今日はどうしたの?」
のんびりとした優し気な声。桐山優佳が隣の席につく。懐紙を取り出し、
三人の前に広げた。薄茶色で粉雪のような砂糖のかかったかりん糖であった。
「はい、これ今日の部で出たお菓子。おすそわけね。」
「桐山殿、あの、筆を忘れて一旦寮に戻る際……。」
悪兵衛があたふたと書道部を休んだ言い訳するが、そのまに橘川兄弟が
ばきばきと音を立ててかりん糖を口に放り込む。
「あ、落花生が入ってる。」
「桐山先輩、これ美味しいですね。」
言い訳の途中で悪兵衛も手に取ってかみ砕く。黒砂糖の甘い香りと歯ごたえの
ある生地に、ぽりぽりとした食感の落花生、しぜんと笑顔を浮かべる。
「この時間、男子はお腹が空くでしょうね。」
桐山は微笑んで三人を見回す。やがて悪兵衛の肩口の汚れに気付いた。
「播磨君、服はどうしたの?土塗れだよ。」
「あ、これは」
「剣術部の連中が総会の時の仕返しにきたんです。」
「一圓、われらも剣術部だよ。」
「こいつが部長を投げ飛ばして地面を転がったのでこんな格好。」
一圓はぱくぱくとかりん糖を口にいれながら説明した。
「まあ、そんな」
「桐山殿、武道系の部活は夜も活動するのでしょうか。」
「御輪堂の武道部の人たちは夜錬があるっていってたけど……。」
御輪堂とは、学園の中央に位置する元天守閣である。
階層構造の内部はそれぞれ武道系の部活に割り当てられ使用されていた。
「では、武団会や総会長も御輪堂に?」
「たぶん。最上階に総会長室があるらしいから。」
桐山の言葉を聞き、悪兵衛はにやりと笑って茶を飲み干した。
「成る程。いくぞ、一圓、一真。」
「播磨君、どこに」
「いわれなき襲撃を受けました。総会長に話がござる。」
広間に入って来た冬麻浅海は四名の会話が耳に入り、咄嗟に衝立の陰に
隠れた。呆気にとられる桐山を後にして、悪兵衛達は寮へ向かう。
冬麻はその後を追った。




