二
不知火屯所、作議の間。伊庭辰之進と織田刑部、風祭玲が、
畦倉士道と伊駒玄真に内偵命令、その作戦行動を指示する。
二名が退去した後、伊庭は障子を開け放ち庭を見渡す。
吐く息が白い。
「和賀藩、予篠学園。」
伊庭がひとりごちた。
「作戦行動は伺いましたが、幕僚直轄の指令ではないとか。」
風祭が伊庭に向き直る。
「うむ。月光からの報告で単独での内偵に踏み切った。」
「詳細を拝見しましたが、危険な任務と思われます。特に新卒の……。」
「章雪自ら調査と経験を積ませるべきと具申したのでな。」
刑部が懐手で眼をつぶり、灰音の言を思い出しながら言った。
「何か、期する物があるように思えた。任せる。」
伊庭の言葉に二名は頭を下げた。
*
灰音章雪は元、早騨宿詰めの官僚として和賀藩に編入、勘定所にて小普請世話役
として職務を与えられている。また、悪兵衛、橘川兄弟の後見人という立場で
あった。午後の仕事を早めに切り上げ、転居の作業の名目で職場を後にする。
粉雪が舞い落ちる中、かすかになびく長髪に薄紫の瀟洒な長着に袴姿は、どこか浮世離れした雰囲気を持っている。
掘回りを歩んでいると、編み笠に外套姿の男が灰音の後にぴたりと尾けてくる。
黒く沈み込むような色の堀と、雪の積もる城壁跡の石壁を眺めながら
東屋のもと、立ち止まった。
「灰音章雪中佐。」
編笠の男が半歩下がって声を掛ける。
「はい。そちらは。」
「月光、卍組。朧丸。」
編笠をあげると、意外な程若い男の表情に灰音は一瞬見入るが、また視線を
城壁に戻す。
「どこまで進んでいますか。」
「転入した者達の足取りを追っております。」
「…予篠学園。この管理側の人間の調査をお願いします。」
一瞬で朧丸はその気配を消し、姿も見えなくなった。
灰音は見回した後に苦笑し、雪の石畳を歩み始める。
午後の授業の後、転入組は再び小教室に集められる。部活動の説明会が
行われる為であった。
「播磨、本当に書道部に入るつもりなの?」
隣に座り込んだ冬麻が、悪兵衛の腕を握る。袖が破けそうな程張りつめ、体型の
割に太い二の腕を感じて、目を丸くして笑っている。
「うむ。一から書を鍛えて頂こうと思っている。」
容姿に反してのんびりとした悪兵衛の受け答えがおかしくて仕方がない、という
ような表情でのぞき込む。
その背後に橘川兄弟が座り、小声で言葉を交わす。二人は一年次の三つある組
のうち、別々に振り分けられた。
「どうだった?」
「うん。寮に戻ってから悪兵衛と。」
「俺も話す事がある。」
悪兵衛に比べると二人の表情はやや優れない。
やがて部の紹介と勧誘に学徒が入れ替わりで訪れ、それぞれの説明を始めた。
皆事務的に語り、特段声を張り上げたり、笑いを誘うような事はしない。
武道系は活動にやや力を入れている印象で、それなりに対抗戦や全国大会等への
参加の抱負を語る。粛々と会は進んでいった。
「冬麻殿、あの違う色の制服の者は?」
悪兵衛が小声で冬麻に語り掛ける。部団の統率者と思わしき者は、悪兵衛達や
一般の学徒の濃紺の制服とは違い、蘇芳に染め上げた黒衿の詰襟である。
「ああ、私も気になったんだけど、あれは学業、武道優秀なひとだけが
着る制服だって。部団の長や副長は皆あの服みたい。」
赤の詰襟の者が部員に目くばせをし、指示を与えている印象である。
在籍部員数が最も多く、活動が盛んな剣術部の説明が終わった。
「入部希望しているのだが、部の規模と設備の割に、全国大会での成績は思わしく
ないようだが。」
黙って説明を聞いていた香田がするどく声をあげた。編入組の学徒達はざわめくが、
剣術部員たちはその言に一顧だにしていない。
「明日午後より、壇上にて部長の演武が行われる。その際に見分するがよい。」
蘇芳服の者が無表情に言い放ち、剣術部員達は静かに退場した。
「香田君の成績を知って、皆恐れているんだろう。立ち合いもできないのさ。」
「よせ、岡島。」
香田が苦笑しつつ岡島をたしなめている。が、悪い気はしていないようだった。
悪兵衛はそのやりとりを聞きながら、入部希望の書付の中、書道部に丸を
書き記した。
*
剣術部を志望した橘川兄弟、香田行信、岡島徒八郎の四名は武道場の見学と
諸施設の使い方のきまり、部活動の時間帯等説明を受け、軽い素振りに参加した。
三年の香田と岡島は活動の終了と共に武道場を去ったが、一年の橘川兄弟は
他の同学年の者達と共に掃除を任される。元天守閣の二階部分が広大な道場として
使用され、拭き掃除は長時間にわたった。
道場の隅で二人はへたり込み、動けなくなってしまう。
肩で息をしている双子に、監督生が退去して良いと無表情に声をかけた。
詰襟に着替えた二人は武道場を後にし、本学舎へとつながる渡り廊下を歩む。
汗一つ書いていない紅顔には、武道場での疲弊はまったく無い。
実際疲れたというのは擬態であった。掃除の嫌いな双子のもっぱらのやり口である。
渡り廊下の右手は弓道場が隣接し、弓を引く学徒達の後ろ姿が並んでいる。
二人は一瞥もせず、通り過ぎようとした。
「橘川君。」
純白の上衣に紺袴、黒の胸当ての凛々しい姿の女子が射場から渡り廊下に
上がってくる。黒髪をまとめ、目つきの鋭い上背のある少女であった。
「俺?こいつ?」
「二人共。」
「一圓、転入組で俺と同じ組み分けになった者だ。名は…うーん」
「澤居今日子。橘川って、逸鏑流の当主と同じ名だよね。」
逸鏑流弓術は、古くから存在する流派のうち、三大名家の一つと呼ばれる。
形骸化しつつある他の流派と違い、今も実践に重きを置く厳格な武門として広く
知られている。
「同じかどうか知らぬけど、関係はない。」
一圓が素知らぬ顔で言い放った。一真は笑いを堪えている。
「嘘。一真君の手。」
「手?」
二人はまったく同じ動作で掌を見つめる。左手の中心、天紋筋と呼ばれる皺あたり、
小指の中程が白く硬化している。何度も肉刺を作っては潰し、固く強い皮膚は
ほの赤いてのひらで目立っている。
「弓取りの掌。どうして弓術しないの?」
「これは剣でできたものだよ。」
一真が苦笑しながら視線を外した。
「あと釣りな。いこうぜ一真。」
一圓がにべもない言を残して歩き去り、一真も続く。
二人の後ろ姿を澤居がじっと見つめている。




