三
不知火隊士が逗留する宿の街道を挟んだ向かえ、簡素だが落ち着いた小料理屋。
二階の小上がりで隊士達が卓を囲む。障子の外には堀が見え、柳の枝の合間から
提灯で明るく照らされた三十石船が行きかう。
鉄鍋に割り下が煮えており、中年の女中が牛肉を丁寧に鍋に広げる。
「あれ、焼かないのか。」
「御女中、最初から煮るのか。」
「さようでございます。何かお困りで?」
悪兵衛と玄真の声に、隣の卓で刑部と鍋を囲む風祭が声をかける。
「東風は最初からこうだ。違いを楽しめ。」
食い入るように鍋を見つめる悪兵衛を見て桔梗が笑っている。
酒を舐めながら目を細める刑部に風祭は向き直る。
「刑部殿、此度の神前仕合、戦の前の行事として隊から選出する者は
どういった意図があったのですか?」
風祭の疑問は最もで、本閥三軍との模擬仕合には通常、先鋒を務める先士、
戦闘司令の頭目、中盤で戦闘制御を行う央人が選ばれる。
玉杉桔梗は、本丸の警護と反撃、中距離攻撃が可能な防斗、伊駒玄真は
隊旗を預かり、全体支援を行う旗守である。
「うん。ちと考えがある。後程意図を伝える故、試合では隊士を叱咤してくれ。」
刑部の言葉に風祭は頷いた。
「うまい。これはこれでうまい。」
「もーうるさいな。」
煮えたすきやきを食べ、一口毎に騒ぐ隊士を見て、刑部は微笑んでいる。
「玲、宿に逗留せずとも…。実家には寄らぬのか?」
「はい。隊士と共におるほうが気楽です。」
風祭の言を聞きながら、酒で口を湿らせる。堀に乗り合い待ちの
猪牙舟が泊まり、船頭が煙管を燻らせている。
陽もすっかり落ちたが、道行く人は多い。
小料理屋を出た風祭と桔梗は満足げに微笑んでいる。
「刑部殿、我らは湯殿に参ります。皆もどうか。」
風祭の言葉に刑部は賛同しかけるが、背後の悪兵衛と玄真の顔つきを見て、
思いとどまる。
「…こやつらはどうも食い足りぬようだ。もう一軒いってくる。」
刑部の言葉に二人の顔が輝いている。
「刑部殿、江の戸の寿司、寿司がよいです。」
「名物なのか?」
「名物だ。」
「刑部殿、拙者も寿司が。」
「わかった、わかった。」
肩を組んで小躍りしている悪兵衛と玄真を従えて、苦笑まじりに歩み始める。
桔梗が悪兵衛にべっと、舌を出した。
目前の宿屋より、浴衣姿の男達がぞろぞろと出てくる。皆力士のように
屈強で大柄な者達で、坊主姿である。
「どこにいても、あの連中はわかりやすいのう。」
玄真が苦笑交じりに呟く。悪兵衛は見覚えのある傷跡の男の元に歩み寄った。
「後藤殿。不知火の播磨でござる。」
早騨宿戦で作戦行動を共にした、玄嶽、後藤安俊であった。
悪兵衛の姿を認め、無言で頭を下げる。
「隊の安曇とバルザックがその節は世話になった、命を救われたと。」
「両名に成り代わり、御礼申し上げる。」
深く、悪兵衛は頭を下げた。
「任務でござる。失礼する。」
無表情に後藤は言い残し、玄嶽隊士共々その場を後にしたが、振り向いて言った。
「安曇殿、バルザック殿は日の本に必要な侍。護れて光栄でござる。」
悪兵衛は微笑んでその後姿を見送った。振り向くと、刑部と話をしている
見知ったざんばら髪の男がいた。
「灰音中佐は…どこに。」
「今回は同道しておらぬ。」
「むう、きやつめ、何を。魑魅魍魎のごときはかりごとを」
「何もない。屯所での業務が押しているのだ。」
「先生、奴は私の参加を知っていたのですか?」
「知る由もない。真治郎、お仲間がいってしまうぞ。」
「はっ、では失礼いたします。」
玄嶽参謀の小早川が髪を振り乱して駈けていく。刑部は笑いながら見送った。
「玄真殿、刑部殿は我らが先生と呼ぶのはわかるが…本閥の他隊士もみな
そういうのは何故だ?」
「ああ、刑部殿は一時、高等尚武所で教鞭を執られていた。その時の教え子が
本閥の参謀には多くいるのだ。」
「章さんもその一人か。」
「そうだ。あの、玄嶽の参謀か?奴もそうなんだろう。」
普段、勉学の不得意な悪兵衛にも刑部は丁寧に楽し気に教える。
その学び舎を想像し、悪兵衛は不思議と勉学に対する意欲が沸いてくる
気がした。




