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居住区に点在する家々までの道は、無数に分かれた太い枝葉がその役目を担っていた。
どの枝にも植物の柵が設置されていて、枝と枝の間にはハンモックのような蔦の網が張られている。
どちらも通行人の安全を守るためのものだ。
裂け目から見えた枝の内部は空洞で、家と家を繋ぐ通路にもなっている。
地球の常識に当てはめるといつか大惨事を招きそうだが、その辺を考慮せずに作ったとは思えない。それだけこの大樹が特別なのだろう。
(ここがあいつ等の家か)
その家には煙突があった。
クリスマスイヴに小太りのサンタを迎え入れられるくらいの大きな煙突だ。
家全体の外観はほとんどがつる植物に呑み込まれていて確認できないが、煙突だけはその存在感を存分にアピールしている。
鍵の掛かっていない扉を開けると、仄かに薔薇の香りが漂ってくる。
目的の人物は、足音を聞きつけたのか早足で架の前に現れた。
髪型が腰まで届きそうなサイドテールになっているため随分と印象が違う。
だが長い睫毛も、栗色の瞳も、笑ったときにできるえくぼも。
全てが四年前、笑顔ですれ違ったあのときのまま。
幟天使に昇華し、成長が止まった証だった。
「お兄ちゃん! お帰りなさい」
「……ただいま」
「あれ? お兄ちゃんその服は……って、え!? これ血!? 怪我したの!?」
架のダッフルコートの袖に、僅かに付着していた血を目ざとく見つけて慌てふためく紡の死神。
その一挙手一投足が架の記憶を呼び覚ましていく。
偽りの旧懐だと分かっていても、心が反応してしまう。
しかし。
湧き上がる殺意が架の心を染め上げた。
「その顔で……その、声で……」
憎悪が意志を持って勝手に喋っているような、そんな声を架は発した。
そして。
「もう――喋らないでくれ」
コートの下で構えていた叢雨を渾身の力で振り抜く。
自然の恵みに満ち溢れた屋内に、色鮮やかな血飛沫が舞った。
ゆっくりと、紡の死神の体が後ろに倒れる。
「どう、して……? おに、い……ちゃ……」
「っ!?」
目の前の光景が、異様な程スローモーションになって映る。
同時に、架の頭の中では走馬燈のような記憶の逆再生が起こっていた。
あっという間に辿り着いたのは、紡の死神とすれ違って帰宅した後の、忌まわしいあの記憶。
階段を上った先で、紡を見つけたときのあの記憶。
胸に空いた穴からは大量の血液が湧き水の如く溢れ出ている。
その傍には血に染まった見慣れぬ服が放置されている。
架は笑顔の妹とすれ違ったばかりだった。
夢を見ているのだと信じて疑わなかった。
ところが、微動だにしないその体に触れると、そこには残酷な現実があった。
血を掬って口に含んでも、鉄の味しかしなかった。
「あ……?」
脂汗を大量に噴き出して我に返る。
直後、眼前で紡の死神が床に倒れ込んだ。
斜めに割れた傷口から、赤黒い液体が溢れ出る。
衣服で吸収しきれなくなったその液体は床に広がっていき、架の足下にまで到達する。
過去の記憶と、目の前の光景が――重なる。
「う……あ、あぁ……」
かねてより懸念していた。
なるべく考えないようにしていた。
目を背けてきた。
そんな、ある一つの可能性。
紡は自分の死神によって殺され、肉体も魂も吸収された。
吸収されたということは、幟天使となった紡の死神を傷付けるのは、最愛の妹を傷付けるに等しい行為なのではないか?
架の足下で血だまりを作っているこの少女は……紡なのではないか?
「はぁ……はぁ……! ――っ」
無様に体勢を崩してその場から逃げ出す架。
追ってくるはずもない妹の幻影を恐れ、頻繁に背後を確認しては醜くも逃げ惑った。
ここに来て初めて、復讐の覚悟が揺らいだ。
揺らいでしまった。
妹と同じ容姿の少女を傷付けたことが、憎悪に取り憑かれていた架の精神を元の状態に戻したのだ。
野猿乗り場まで戻ると、架は土下座するように地べたに這いつくばり、驚きの表情を浮かべる依衣にすがりついた。
「教えてくれ……俺が斬ったのは誰だ? 誰だったんだ!?」
「! ……赤の他人よ。先輩とは何の関係も無いわ」
「でもあいつは! 俺の妹と同じ声で!! 同じ顔で!! 同じ、笑顔で……っ」
力無く崩れ落ちて、四つん這いの体勢で体を震わす。
架の心は、血みどろとなった紡の死神の姿で上塗りされてしまった。
そのイメージがずっと頭の中から消えないでいる。
「俺は……俺、は……」
「架先輩、聞いて」
依衣はしゃがみ込んで架の両頬を持ち、強引に視線を合わせた。
「体にどんな変化が起きて幟天使へと昇華するのかはまだ解明されていないわ。だから先輩が恐れている可能性も絶対にないとは言えない。けれど一つだけ確かなことがある」
「……?」
「架先輩の妹さんはもう居ない。死んでしまったの。帰ってこないの。どんな可能性があろうと、それだけは確かだわ。そうでしょう?」
依衣は初めて見せる年上の女性の顔で言う。
姉が弟を窘めるような、優しくも、厳しい現実を伝える言葉だった。
「……そう、だ。俺は紡の呼吸が止まっているのを確認して……死体が消える瞬間を見た。葬式も上げた……紡がそこにいないのは分かってるのに、毎年墓参りまでしてる。俺の妹は……もういないんだったな」
「立てる? 架先輩」
「ああ。みっともない姿を晒しちゃったな」
架は二の腕で両目を擦り、しっかりと地面を踏みしめて立ち上がった。
「帰ろう。俺達の世界に」




