第四話:見知らぬ悪意の集合体と、命の値段
※本作は実際の複数の事件から着想を得ていますが、被害者および関係者の尊厳を守り、事件の特定を避けるため、人物名は一切登場しません。また、発生時期、場所、人物の年齢や背景など、意図的に複数のフィクションや設定の改変を交えて構成しています。
※本作には残酷な事象を淡々と記述する表現が含まれます。娯楽性は一切排除されており、事実の羅列による精神的な重圧を伴うため、閲覧には十分ご注意ください。
インターネットは世界を繋ぎ、我々の生活を劇的に向上させた。しかしそれは同時に、社会の底に沈殿する「悪意」を容易に結びつけるインフラともなった。
かつて犯罪は、地縁や血縁、あるいは不良集団というある種のコミュニティの中で醸成されることが多かった。しかし現代では、お互いの本名も顔も知らない人間同士が、デジタル空間で「金」と「殺意」という目的のみで結びつき、即座に凶行に及ぶことが可能になった。
これは、ある秋の夜、帰宅途中の女性が、インターネットの闇サイトで結成された即席の強盗殺人グループによって理不尽に命を奪われた事件の記録である。そして、日本の司法が定める「命の相場」の冷酷さを浮き彫りにした事件でもある。
殺意の募集と即席の徒党
平成の終わりが近づく頃。インターネットの裏側に存在する、非合法な仕事や犯罪を斡旋する匿名掲示板に、ある書き込みがなされた。
「手っ取り早く稼げる仕事を探しています。どんなことでもやります」
その書き込みに対し、別の男がコンタクトを取った。さらにもう一人、多重債務で首が回らなくなっていた男が合流した。
集まったのは、二十代から四十代の三人の男たちである。
彼らに共通の知人はおらず、生まれ育った環境も異なっていた。共通していたのは「金に困っていること」と、「他者の痛みに対する想像力が完全に欠如していること」だけだった。彼らはネット上のメッセージアプリで数回のやり取りを行った後、ある地方都市のファミリーレストランで初めて顔を合わせた。
そこで話し合われたのは、ごく自然な会話のように「誰かを襲って金を奪おう」という計画だった。ターゲットは、抵抗する力のない女性。彼らはホームセンターでロープや粘着テープ、ハンマーや刃物を購入し、レンタカーのワゴン車を用意した。
罪悪感やためらいを持つ者は一人もいなかった。彼らにとって、これから奪う予定の他人の命は、自分たちの借金返済と遊興費のための「キャッシュカード」と同義であった。
標的の無作為な抽出
決行の夜。三人の男を乗せたワゴン車は、獲物を求めて街を徘徊した。
午後十時過ぎ、閑静な住宅街の路上を歩く一人の女性が彼らの目に留まった。彼女は三十代の会社員で、その日は友人と夕食を共にし、最寄り駅から自宅へと向かって歩いていた。彼女には結婚を約束した婚約者がおり、数ヶ月後には新しい生活が始まる予定だった。
男たちは車を女性の横に停めた。道を聞くふりをして近づき、一人が突然女性の腕を掴み、もう一人が背後から口を塞いだ。
女性は激しく抵抗したが、屈強な成人男性三人の力には到底及ばなかった。彼女は車内に引きずり込まれ、両手足を粘着テープで何重にも縛り上げられた。
「騒いだら殺す。金を出せ」
男たちは女性の顔を殴りつけ、バッグを奪い取った。しかし、財布の中には数千円の現金しか入っていなかった。男たちは舌打ちをし、女性からキャッシュカードを奪い取ると、暗証番号を教えるよう脅迫した。
暗闇の車内、絶望の抵抗
女性は恐怖のどん底にいた。しかし、彼女は容易には屈しなかった。
そのキャッシュカードの口座には、彼女が長年働き、将来の結婚資金として貯めてきた数百万円が入っていた。彼女は、それを奪われることを拒んだ。あるいは、暗証番号を教えてしまえば、用済みとして殺されることを本能的に悟っていたのかもしれない。
彼女は、嘘の暗証番号を伝えた。
男の一人が近くのコンビニのATMに走り、現金を引き出そうとしたが、当然ながらエラーとなった。車に戻ってきた男は激怒し、女性への凄惨な拷問が始まった。
深夜の真っ暗な山道へ向けて車を走らせながら、男たちは女性の顔面や腹部を執拗に殴り、ハンマーで膝の骨を砕いた。激痛に悲鳴を上げる女性に対し、「本当の番号を言え」と刃物を突きつけた。
それでも彼女は、決して本当の番号を口にしなかった。
「殺さないでください。何でもしますから」と涙ながらに命乞いをした。婚約者がいること、まだ死にたくないことを必死に訴えた。しかし、男たちにはいかなる感情も芽生えなかった。「金にならないなら、生かしておいてもリスクになるだけだ」という、極めて事務的で冷酷な判断が下された。
男たちは、女性の顔全体に粘着テープをぐるぐると巻きつけ、呼吸を奪った。さらに首にロープを巻き、三人で両端から力任せに引き絞った。
数分後、女性の体はピクリとも動かなくなった。
彼女が最期の瞬間に何を思い、どれほどの無念を抱いて息絶えたのか、想像することすらおぞましい。男たちは遺体を山奥の崖下へ投げ捨て、奪った数千円の現金を三人で分け合い、解散した。
彼らが一人の尊い命を奪い、その未来を永遠に消し去って得た報酬は、一人あたりわずか数千円であった。
「命の相場」と司法の限界
事件の発覚は早かった。奪った金が少なすぎたことに不満を抱いた男の一人が、警察の捜査が及ぶことを恐れて自首したからである。残る二人もすぐに逮捕され、遺体も発見された。
社会はこの「闇サイト」を利用した身勝手極まりない凶行に激しく怒り、厳罰を求めた。遺族の悲痛は筆舌に尽くしがたく、婚約者は「彼女を返してほしい。それが無理なら、犯人を今すぐこの手で殺させてほしい」と泣き崩れた。遺族は約三十万人分の死刑の嘆願書を集め、裁判所に提出した。
しかし、ここで日本の司法における冷酷な「基準」が立ち塞がる。
「被害者が一人の場合、原則として死刑にはならない」という、過去の判例に基づく不文律である(いわゆる永山基準)。
計画的であり、拷問を伴う残虐な手口であり、利欲目的であったにも関わらず、裁判官の口から出た言葉は遺族を絶望させるものだった。
自首した男と、もう一人の男には「無期懲役」の判決が下された。
唯一、過去にも強盗や暴行の前科があり、主導的な立場であったと見なされた一人の男に対してのみ、死刑が確定した。
遺族は法廷で叫んだ。「なぜ、三人がかりでよってたかって娘を殺したのに、命で償わない者がいるのか。一人の命は、それほど軽いのか」と。
司法の答えは「イエス」であった。日本の法律において、殺された人間が一人であれば、どれほど残酷な経緯があろうとも、加害者の命が奪われることは稀なのである。
その後——冷暖房完備の密室にて
死刑が確定した男は、その数年後に刑が執行された。
しかし、無期懲役となった二人の男は今も生きている。
彼らは現在、全国のどこかの刑務所に収監されている。
刑務所の中では、毎日決められた時間に温かい食事が三食提供される。病気になれば無料で医療が受けられ、冬場は暖房が効いた部屋で眠ることができる。日中は軽作業を行い、休日には本を読んだり、テレビを見たりする時間も与えられる。
彼らは、自分たちが数千円のためにハンマーで砕き、首を絞め、山に捨てた女性の痛みを、毎日想像しながら生きているのだろうか。否、刑務所内の単調な生活の中で、事件の記憶は次第に風化し、「いつか出所できる日」を待つだけの日常へと変わっているはずだ。
無期懲役囚は、規定の年数を経て仮釈放の審査に通れば、再び社会の土を踏むことができる。もし彼らが六十代、七十代で出所したとき、彼らは再び「安全な日本」のセーフティネット(生活保護など)に守られながら、余生を静かに送ることになるかもしれない。
一方、被害者の女性の遺骨は、暗く冷たい墓地の下から永遠に動くことはない。
婚約者は心を病み、彼女の両親は今も毎月、娘が捨てられた山奥の現場に花を手向けに通い続けている。彼らの人生は、あの日から完全に破壊されたままである。
見ず知らずの他人が、ネット上の数行の書き込みで集まり、息をするように人を殺す。
そして、その命を奪った者たちは、国家の税金によって生かされ、保護される。
我々が生きている日本という国は、かくも恐ろしく、そして犯罪者に対して寛容な「安全な国」なのである。




