ロジエ伯爵の本音
それから十日ほど後、我が家にロジエ伯爵がいらっしゃった。まずは婚約を前提にした顔合わせを、と両親が望んだからだ。まずは会ってみないことには話が進まないし、ロジエ伯爵の本心も知りたい。こちらが伺うと連絡したところ、伯爵が我が家を訪ねる話になって今日に至る。
「シリル=ロジエです。初めまして」
我が家のサロンで出迎えた伯爵は、淡い金の髪に緑色の瞳が鮮やかで、穏やかな雰囲気の方だった。釣書の姿絵よりもご本人の方がよく描かれているなんてお珍しい。奥様を想って縁談を断り続けて来たからかしら。
それでも、両親に対応する様子は堂々としていて好印象で、お二人共いつになく上機嫌だった。悪い人ではなさそうだし、これなら大丈夫かしら?
「オリアーヌ、伯爵をお庭に案内していらっしゃい」
お母様がそう仰るので、二人で共に庭に出た。初夏の庭は春咲の花々は終わりをつげ、今は四季咲きの花が点在しながら風に揺れていた。その代わり青々とした木々が強くなり始めた日差しを和らげてくれる。伯爵と並んで歩く。ジュールに日傘をさしてもらい、ミラがその後を追う。どこかにロックもいるはず。
「ジオネ家の庭はなかなかに素晴らしいですな」
「そう言っていただけると父が喜びますわ」
お父様のささやかな趣味がこの庭の手入れで、お母様のためにと誂えたものだけど、この先の四阿はお母様と過ごすためにお父様が造らせたもの。柱に蔓薔薇を這わせてあって花の季節は見応えがある。
「ほう、これは素晴らしい」
春薔薇は終わりに向かっているけれどここはまだ花々が残っていて、伯爵が感嘆の声を上げた。風流な方のようね。
「父が、母のために用意したものです」
「伯爵は愛妻家でいらっしゃるのですね」
満足げに伯爵が頷きながら四阿に見入っていた。同じ愛妻家同士だと、親しみを感じたのかしら? 四阿に入って対面に座る。既にお茶の用意はされていて、お母様付きの侍女がお茶を淹れてくれた。爽やかな香りが花々の香りに交じる。
「ところで伯爵様、伯爵様は亡き奥様を大変愛していらっしゃったと伺っております。とても愛情深くていらっしゃるのですね」
最初は怪訝な表情を浮かべた伯爵だったけれど、私が肯定するようなことを口にするとパッと表情を明るくした。
「ああ、そうなのだ。妻は愛らしく可憐で非の打ちどころのない人だった」
顔を上げ、空に視線を向けて伯爵がうっとりとそう告げた。奥様を愛していたとの噂は本当だったのね。
「彼女以上の女性など、この世に存在しないだろう。私は生まれ変わっても彼女を見つけ出して妻に迎えたいと願っているのだ」
「左様ですか。とても情熱的でいらっしゃいますのね。では、どうして私との婚姻をお考えに? これまでもずっと縁談をお断りされていたと伺っておりますが」
どこまで本音が聞けるかはわからないけれど、ここで有耶無耶にするつもりはない。我が家のためにも、私自身のためにも。真っ直ぐに伯爵を見上げて答えを待った。
「それは、家の為だよ」
「家のため、ですか?」
「貴族に生まれたからには、私情を優先すべきではないからね」
確かにその通りだけど、今まで縁談を断っていたと知っているとその言葉をどこまで信じていいのかしら?
「確かにその通りですわね。それはどのような事情でしょう?」
「君が知る必要はないよ」
なるほど、話すつもりはないと。益々気になるわ。ミルール家との関係の一旦なりと掴めるといいのだけど。
「ですが、ロジエ家に嫁げば私にも無関係とは言えませんわ。将来伯爵様を支えるためにもお聞かせくださいませ」
「そんなこと、考えなくてもいいよ」
「ですが、嫁いだ後に妻として家政を担うのはわたくしですか・……」
「私の妻はアリアンナだけだ! 君に妻の役割を渡す気はない!」
告げる言葉は突然伯爵が立ち上がった伯爵によって遮られた。激昂する姿にジュールが一歩前に出て、ミラがさりげなく後ろから寄る気配を感じた。
「……それは、どういうことでしょう?」
妻の役目を渡す気がないのに結婚すると? 意味が分からないわ。
「き、傷物の君にそんな大切な役目を任せられるわけがないだろう」
ああ、それが本音だったのね。ミレイユ様の懸念は間違っていなかったのね。私の勘も。だったら……
「なるほど。それでしたらこのお話はなかったことにいたしましょう」
「な……! き、君にそんな権限は……」
「伯爵様の事情を父は気にしておりまして、もし私が無理だと思ったら断っていいと、そう言われております」
笑顔で両親との約束を告げた。伯爵が私と向き合うつもりがないのなら、この話はなかったことにしてもいい、そのことは先に両親にお願いして言質をいただいていた。
「そ、それは困る! そんなことをしたら我が家は……!」
「私とて貴族の娘、愛を請うつもりはありません。ですが、妻として尊重していただけない結婚はご遠慮いたします」
そう言って立ち上がった。これ以上ここにいる理由もない。
「それでは伯爵様、部屋に戻りましょう」
そう告げて伯爵に背を向けた。これ以上ここにいる理由はないわ。
「ま、待ってくれ! それでは困る! 君だってこのまま結婚相手が見つからなければ困るだろう?」
「痛っ!」
いきなり後ろから腕を掴まれた。
「伯爵様、お手をお話しください」
「黙れっ! 使用人風情が指図するな!」
荒々しい口調はさっきまでのそれとは別人のようだった。これが本性? 手を振り払おうにも力が強くて振りほどけない。そのまま四阿に引きずり込まれてテーブルに押し倒された。ジュールとロックが追ってきたけれど、伯爵の従者がそれを阻んだ。最初からそのつもりだったの?
「伯爵! なっ!」
「お前を傷物にすれば私以外に嫁ぐなど無理だろう? そうすれば、借金は……」
「借金? まさか、ミルール家の……」
最大の可能性を口にすると、伯爵がはっと我に返った。しまったわ、もうすこしだったのに……
「さぁ、何のことだ?」
そう言って口の端を歪にあげる。その表情はどこか狂気じみて背筋が凍った。
「は、放してください!」
「ここにいるのは私たちだけだ。なに、すぐに済ませる」
そう言って覆いかぶさってきたけれど、冗談じゃないわ。こんな人に好きにさせるものですか。そう思うのだけど、見かけによらず力が強くて逃げ出すことが出来ない。胸元に手が伸びて、ドレスの布が悲鳴を上げた。ああ、どうしたら……
「そこまでだ」
低く、聞きなれない声が伯爵の手を停めた。慌てて振り返った先にいたのは……
「お、お兄様!」
その後ろにはお父様とお母様もいる。
「ロジエ伯爵、どういうことですかな」
いつも穏やかで明るい兄の声は陰惨さを感じられるほどに低かった。お兄様じゃないみたい……伯爵も同じように思ったのか、手を止めて兄たちを見ていた。
「こ、これは……れ、令嬢が……そう、令嬢が私を誘惑して……」
「そんなわけねぇだろ! 屑が!」
「な!無礼な! わ、私は……」
「さっきまでの会話、誰も聞いていないと思っていたのか?」
威嚇するような兄の言葉に伯爵が顔を青褪めさせた。大丈夫かしら、この人? 初対面で二人きりにするわけがないじゃない。
「お帰りください。ああ、ですがつまらぬことを口にされぬようにお気を付けください。実は近々第四王子殿下にお仕えすることが決まっていましてね。下らぬ噂を耳にしたら、つい殿下の前で愚痴を言ってしまいそうですから」
さっきとは一転、お兄様が笑顔でそう告げると伯爵が目に見えて顔色をなくした。王家に知られたら大変よね。愛妻家だとの評判は一気に地に落ちるもの。その後伯爵はすっかり気が動転したのか、謝罪どころか挨拶もそこそこに帰って行った。
「ふん、小物め」
「……お兄様、お口が悪いわ。それに、よろしかったの? 異動の件は……」
「ああ、まぁ、どうせ同僚たちから広がっているから大丈夫だろう。それに、あいつがミルールと繋がっているならちょうどいいだろう? 事実と違う噂を流したことであの商会は信用を失うだろうし」
確かにその通りではあるけれど……
「オーリー、まずは部屋に戻って着替えましょう」
お母様がそう言ってショールをかけてくれた。そういえばドレスの胸元を破られてしまったわね。うう、思い出すだけでも気持ち悪いわ。そして、家族がいてくれてよかった。誰もいなかったら今頃どうなっていたか……
「あまり意味はないかもしれぬが、伯爵には厳重に抗議しておこう」
「そうね。私も……紹介してくださった夫人にお手紙を書きますわ」
僅かな期待で迎えた顔合わせだったけれど…こんな結果に終わるなんて。それでも、この縁談が流れたことにホッとしている自分がいた。やっぱり最初に感じた直観は侮れないわね。
散々な結果だった顔合わせだったけれど、その日の午後、慶事もあった。
「ミラ、ロクサーヌ様からお返事が届いたわ!」
気落ちする我が家に届けられたのは、フォルゼ公爵家からの書簡だった。これを届けた使者はロクサーヌ様からだと告げたから間違いない。急く気持ちを必死で抑えながら着替えも後に封を切った。どんなお返事でも受け入れるしかない。どうか私の望みを汲んでくださいますようにと願いながら文字を追った。
「オリアーヌ様……」
不安げなミラの声に我に返った。現実感がなくて、気が付けば何度も文を読み返していたわ。
「ミラ、ロクサーヌ様が、会ってくださるそうよ!」
踊り出したくなる気持ちを抑えながらも手紙を抱きしめた。ロクサーヌ様の香りがふわりと漂う。これで道が開けたわ。なんとか自分を売り込んで、ロクサーヌ様の侍女に、それが無理ならフォルゼ公爵家で働かせていただくのよ。




