新しい婚約
それから十日ほどが経った。悪意ある噂は一向に消える気配がなく、お母様もお茶会では肩身の狭い思いをされることが増えて疲れた表情を浮かべることが増えたわ。今まで最も親しくしていたのがマルロー夫人とミルール夫人だったのもあり、それ以外の方々との交流は気を抜くことが出来ず、それでもあの噂を否定するためだと言って殆どのお誘いをお受けしていた。
幸いにもお兄様も異動が正式に公表されたため、左遷されるとの噂は間違っていたとはっきりして、他の噂も実は間違っているのではないかとの懸念も生まれた。それからはあからさまに揶揄する方は減ったそうで、それだけでもよかったわ。それでも……
「ねぇ、オーリー、いつになったら我が家に挨拶に来るの?」
「行く理由がないので行きませんが」
どういうわけかエディットは、私が、我が家が侍女にしてくれと頼みに来ると思い込んでいて、いつ来るのかと聞いてくるようになった。そんなことはしないと何度言っても聞く耳を持たない。昔から都合の悪い話は聞かないところはあったけれど、こんなに酷かったかしら? 最近ではちょっと病んでいるのかしらと不安になるほどだ。そんなことは口にしないけれど。
「もう、早くしないと卒業なのよ。その時に婚約や就職が決まっていなかったら、恥をかくのはオーリーとジオネ伯爵家なのよ」
「前の婚約者の家に、同家格の家の令嬢の侍女として入るなど、これ以上ない程の恥です。そんなことはいたしません」
「そんなの、気にしなくていいのよ。私たちが守ってあげるから。オーリーは家のことだけしてくれたらいいの。そうすれば嫌な言葉を聞くこともないわ」
親切心で言っているらしいけれど、まったく的外れだわ。私の尊厳はどこに行ったのよ。
「卒業まであと一月あまりしかないのよ? このままじゃ卒業式の後の夜会にも出られないじゃない」
「ご心配なく。マルロー家にもミルール家にも関係のないことですから」
「もう、意地張っちゃって。後で困っても知らないわよ」
毎度そんな感じの捨て台詞を吐いて教室へと戻っていくけれど、気分はすっかり私の主人になったつもりのようね。だけど、彼女の侍女になんか絶対にならないわ。それくらいなら頭髪が薄かろうともお腹が出ていようとも、当主の後妻になった方がずっといい。継子だってあの二人に比べたら可愛らしく見えるから大事に出来そうだし。絶対にあの二人のお守り役なんて御免だもの。
そうは思うのだけど……
来る縁談はどれも微妙なものばかりだった。あの噂のせいか子爵家や男爵家からも釣書が届くようになっている。腹立たしいわ、もしかしたらこれが目的だったのかもしれない。こちらが疲れ切って諦めるように仕向けるための。そう思えば合点がいく。そう思いたくなるほどに同等か上の家格の家からの釣書が途絶え、下位貴族ばかりになっていた。
ロクサーヌ様は……今日もお休みなのね。ずっと欠席されているわ。卒業後に婚姻や出仕を控えている令嬢は休むことも増えている。授業が終わっているのもあって、今は人脈作りのために登校している人が殆どだから。
「オリアーヌ様、婚約は決まりませんの?」
ミレイユ様が気遣わしげに小声で尋ねてこられた。うう、気を遣わせてしまって申し訳ないわ。
「ええ、残念ながら。あの噂のせいか、届く釣書は下位貴族ばかりで……」
「そうですか。私もどなたかいい方がいらっしゃらないかと思ってはいるのですが……」
噂で邪魔されているようね。兄が第四王子殿下にお仕えすると公になっても、王位継承の可能性が低くいずれ王族を離れられる第四王子殿下では旨味が少ないと見えるのか、期待するほどに状況が改善することはなかった。
「マルロー家に仕える予定は……」
「それだけは絶対にありえませんわ。それくらいなら領地に引きこもって一生を終えます」
裏切ったあの二人にいいように使われるなんて冗談じゃないわ。それだけは絶対にお断りだわ。
暗澹たる気分で屋敷に戻るとお母様が出迎えてくださった。ご機嫌だわ、何かいい話があったのかしら? 着替えたらサロンに来るように言われた。
「どうなさいましたの?」
サロンに向かうとお母様がお茶を飲みながら待っていた。
「オーリー、いい知らせがあるの」
そう言ってお母様が久しぶりに明るい笑顔を見せてくれた。
「ロジエ伯爵家をご存じ?」
「ロジエと申しますと、北にある伯爵家ですわね」
「そうよ。そこのご当主が後妻をお探しなのですって」
「ご当主が……確か、お年は三十半ばで、奥様が二年前に逸り病で亡くなられた方、ですわよね」
奥様を愛していらっしゃって、再婚を勧められても断り続けていた方。奥様との間にお子が一人いらっしゃったはずだけど。
「そう、その伯爵がとうとう再婚する気になられたそうよ。それで、オーリーの話を聞いてね、あの二人の裏切りに憤ってくださったらしくて、もしよかったら一度顔合わせをと仰ってるの」
悪くない話にお母様はすっかり乗り気だった。確かに悪い話ではないわ。年は離れているけれど家格は同じだし、お子も一人だからまだいい方かしら。
気は進まないけれど、エディットの侍女になるくらいならずっといい。婚姻したらすぐに伯爵夫人になるから、若夫人のエディットよりも立場は上になる。将来的にジルベール様が爵位を継げばあの子の方が上になるけれど、ロジエ伯爵領は王都から遠いし、領地で暮らすことを優先すれば顔を合わせる機会も減らせそう。
「お父様にお話しするにしても、まずはあなたの意見を聞きたくて。どうかしら?」
「とても、いいお話だと思いますわ」
「では、お父様にお話してもいい?」
「お願いします」
お母様が持ち得る伝手を使って見つけてくださったご縁、無下にするなんて出来ないわ。どうせ貴族は政略結婚が当たり前なのだから。出来れば同年代で心根のいい方をと思ったけれど、それが難しいことがわからないほど子供じゃない。それに、平気で浮気するジルベール様に比べたら奥様を想い続ける誠実で立派な方だわ。
その後、お父様がお帰りになって、お母様がロジエ伯爵家との話を提案されると、お父様もホッとした表情を浮かべられた。私が前向きに考えていることも関係していたかもしれない。このまま婚約者も決まらないまま卒業は外聞が悪く、一層婚姻は難しくなる。こちらに瑕疵がないにも関わらずこんなに難航するとは思わなかったわ。お兄様は訝しげな表情だったけれど、お二人が喜んでくださったのならこのご縁を無駄にすることは出来ないわ。
それから半月ほど後に顔合わせをすることが決まった。ロジエ伯爵が我が家にいらっしゃるという。事情はどうであれ慶事には変わりなく、我が家は新しい縁への期待に浮足立っていたのだけど……
「オリアーヌ様、ロジエ伯爵と婚約されると伺いましたが……」
登校した私に声をかけてきたのはミレイユ様だった。声を潜めた様子から、何か事情がありそうね。元より気の進まない縁談だっただけに嫌な予感が胸を過る。
「どうかなさいまして?」
「ちょっと、よろしいかしら?」
そう言って連れて行かれた先は使われていない空き教室だった。
「あまり大きな声では言えないのですけれど、ロジエ伯爵、財政的にお苦しいと伺いましたの」
「それは、昨年の水害の件で?」
「それもあるのですが……実は、亡き奥様の実家に援助をされていらっしゃるようなのですけれど、それがかなりの額らしくて……」
ミレイユ様の話はこうだった。ロジエ伯爵は周りが諫めても愛する妻の為だからと求められるままに援助を行い、伯爵家の財政は火の車なのだとか。何故それがわかったかというと、ミレイユ様の実家のダリエ伯爵家がロジエ伯爵と取引があり、最近払われるべき領地の通行料が滞納しているのだとか。ミレイユ様も偶々その話をしているお父様と執事の話を聞いたらしく、心配してくださったらしい。そのお気持ちが有難いわ。
「では、我が家との婚姻は援助を期待して?」
「さすがに理由なく援助など出来ませんけれど……彼の家にはミルール伯爵家の商会が出入りしているようですの」
「……それって……」
「まさかとは思いますけれど、噂のこともございますわ。どうかお気をつけて」
「ありがとうございます」
これで両親を安心させられるかと思ったけれど、まさかミルール家と繋がりがあったなんて。もしかして、財政難のロジエ伯爵家に援助の見返りとして私を? いえ、まさかそこまでしないわよね。そんなことをする理由がないもの。そうは思うものの一度感じた薄ら寒さが拭えることはなかった。
家に戻ってから両親とお兄様にミレイユ様から聞いた話をした。お母様には申し訳ないけれど、感じた不安は見過ごすには大きすぎる。一生のことだから有耶無耶のままでは終わらせられないわ。そう思っていたのだけど……
「さすがにそれはないんじゃないかしら? エディットがそこまでオーリーに執着する意味がわからないわ」
「そうだな。私の方でも調べてみるが、会うだけ会ってみてはどうだ?」
お父様もお母様も懸念よりも期待の方が大きかった。当然よね、やっと見つけた伯爵家とのご縁、しかも正妻として迎えてくださるというのだから。それでも、胸に広がる不安は思った以上に大きく強く、前向きに考えるのはとても難しく思えた。




