見えない噂の真相
それから暫くして、お兄様が王宮から戻ってこられた。私の姿を見て安堵の表情を浮かべたけれど……
「さすがにその恰好はどうかと思うぞ?」
困ったような、揶揄うような笑みを向けられたけれど……
「変な気を起こされないためです」
「ああ、悪かった。茶化したりして」
意外にも素直に謝ってくださった。だけど、こっちも必死だったのよ。それを揶揄われたくなかったわ。
「だったら、質問に答えてください」
「質問?」
「ええ。お兄様の異動は……左遷なのですか?」
どうしてもここははっきりさせたかった。我が家の立ち位置に関わるし、内容によっては学園での振舞いも変えなければいけない。誰が関わっているかも知っておかないと適切に動けないから。そう思っての質問だったのだけど……
「……左遷? って俺がかぁ?」
多少のことでは動じないお兄様が素っ頓狂な声を上げた。
「お兄様、言葉が乱れていますわよ」
「今言うことか、それ。それに左遷だなんて。思いっきり栄転だぞ」
心外だと言わんばかりにお兄様が強く否定したけれど……違ったの?
「まだ公にはされていないが、上司の推薦で第四王子殿下付きの文官室に異動になったんだ。それを左遷とは……」
「ええっ? 王子殿下付きの文官室に?」
第四王子殿下は国王ご夫妻の末のお子で、御年十二歳におなりの方だ。その殿下付きの文官室って、とんでもない大抜擢じゃない。
「ああ、まだ公表前だから言えなかったんだが、父上や母上はご存じだ。で、誰に左遷だなんて言われたんだ?」
「……ジルベール様に」
「……あの野郎……くそっ、馬で帰ってくるんだった。今度会ったら一発殴ってやる」
お兄様が怒りを露にしていたけれど、嘘だったの? いえ、殿下付きの文官室なんてかなりの出世だけど……
「オーリー、間違っても左遷はない。わかったな?」
「え、ええ」
圧に負けて頷いていたけれど……そういうことなら栄転で間違いないわ。
「それにしても、あいつ、どうしてしまったんだ? こんなすぐにばれるような嘘をついて」
仰る通りだわ。こんな嘘、私がお兄様に尋ねたら直ぐにわかってしまうのに。
「ええ。そこまで考え無しの方だとは、思いませんでしたが……」
「だが、我が家に関して、根拠のない噂が広がり過ぎている」
「お兄様の出世を誰かが妬んで、の可能性は……」
あまり優秀でないジルベール様が嫉妬、は……ご本人よりも夫人がしていそうね。昔から何かと兄と比べるようなことばかり言っていたもの。
「……まったくない、とは言い切れないな。今の部署でも異動先を知った先輩らから嫌味や舌打ちは日常茶飯事だし」
そんな……優秀なお兄様でもそんな目に遭っているの? 知らなかったわ……
「ああ、心配しなくていい。上司も何かと庇ってくださるから。異動するまでの辛抱だし」
それで終わるのかしら? 文官室内は大丈夫なの? 抜擢されても先輩方の嫉妬で潰されないかしら?
「俺のことは心配無用だよ。それよりも今はオーリーだ。まずは父上に話そう」
「そう、ですわね」
お父様もお母様もまだお戻りではなかったから自室に戻って着替えることにした。コルセットが辛いし、気分も下がるわ。それに喉も乾いたから、少しゆっくりしたい……
お父様がお戻りになったのは夕食前だった。あまり食事時に相応しい話題ではないけれど、のんびり構えているのもどうかと思い、ジルベール様が尋ねてきたこと、その時に言われたことを話した。幸いにもアランやロック、ジュールも一緒だったから話は早かったわ。
「ジルベール様が……」
「腹立たしいこと。一体マルロー家は何を考えているのかしら?」
私への態度もそうだけど、お兄様の事実と反する話にお父様もお母様も憤りを隠さなかった。それも当然よね、嫡男への侮辱はその家門への侮辱だもの。家長制度の我が国にあっては、私へのそれとは比較にならないほどの無礼だわ。いくら相手が侯爵家であっても許されるものではない。
「明日、一番に上司にあの馬鹿の発言を報告しておきます」
「ああ、そうした方がいい。お前の縁談にも関わるからな」
「ええ。これを理由に婚約を白紙にされては困りますからね」
そう言ってお兄様が笑った。お兄様は友人の父親でもあり上司でもあるラサーニュ侯爵のご令嬢と婚約している。私より一つ下の大人しく人見知りする方だけど、兄の人懐っこい性格のせいか珍しく打ち解けることが出来て、それで婚約の話が上がったのよね。我が家にとっては格上の、しかも宰相府で副宰相を務めるラサーニュ侯爵と縁続きになれるとなれば断る理由もないし、令嬢との仲も良好だ。それも嫉妬の理由になっているのだけど。
「それにしても、これだけのことをマルロー侯爵が出来ると思えないが……」
「だったらミルール家ではなくて? 商会を持っているから、そこから噂を広げているのかもしれないわ」
「なるほど。商会か……」
お父様が唸るように呟いた。腹立たしいけれど、ミルール家は商会を持っていて、我が家も利用することがあったわ。今はもう取引を終える方向にはなっているけれど、我が家に出入りしていた実績があればホラ話も本当のように思い込ませることが出来るでしょうね。腹立たしいけれど、それなら今回の件も合点がいくわ。
「しかし、気味が悪いな。マルロー家もミルール家もどうして急にこんな悪質なことを……」
お父様の懸念は家族みんなの懸念だった。あんなに仲がよかったのにどうしてこうなってしまったのかしら? あの二家から敵意を持たれるようなことをした覚えはないのだけど……
「とにかく皆、身の安全を第一に考えてくれ。オーリーも不安を感じるのなら登校を控えてもいい。学園には私から書簡を送っておこう」
「ありがとうございます。どうしても、と感じた時には控えますわ」
休んでは学園内での噂も耳に入ってこないわ。明日、ミレイユ様たちに尋ねてみよう。もしかしたら何かご存じかもしれないし。それに、エディットを突けば簡単にボロを出すかもしれない。あの子は何も考えていない子どもと同じだから。
翌日、いつも通りお兄様と共に学園に向かった。
「大丈夫なのか。登校して」
「家にいても気持ちが塞がるばかりですし。学園は令嬢しかおりませんから滅多なことはありませんわ」
「それはそうだが……昨日のようにジルベールが待ち伏せていたら……」
その可能性はありそうね。だけど、女学園で待ち伏せしていたら通報されるわ。さすがにそんな愚は犯さないはず。
「エディットに何を言われても同じ馬車で帰るなよ」
「わかっていますわ。あの子が一番危険ですから」
思い込みの激しさといい、あざといところといい、考え方といい、普通から外れているから油断出来ないわね。話をするにしても誰かと一緒でないと。頭が痛いわ、あんな子を親友だと信じていた過去の自分が腹立たしい……
「皆様に、お願いがございますの」
教室に入った私はミレイユ様たちにこれまでのことを話し、協力をお願いした。大したことではない。ただ、学園にいる間は一人にならないよう傍にいてほしいとお願いしただけ。幸いにもエディットの異常ともいえる振る舞いに皆様は快く聞き入れてくださったわ。
ふと、ロクサーヌ様の机が目に入った。今日も登校されていらっしゃらないのね。第三王子殿下との婚約もあってか、お休みになる日も多く、ここ最近はお姿を見かけない。手紙にも返事がない。だったらロクサーヌ様もあの噂をお聞きになって不快に思われたのかもしれない。だったら違う手を考えなきゃ……この状況を覆すには有効だと思ったのだけど。
「オーリー! ここにいたのね!」
ミレイユ様たちと昼食を共に取っていると性懲りもなくエディットが押しかけてきた。相変わらずマナーのなっていない子ね。侯爵夫人は何も言わないのかしら。
「ミルール様、いいかげん愛称を呼ぶのはお控えください」
「やだ、だったらオリアーヌって呼んだ方がいい?」
何故いきなり呼び捨てに?
「とうとうマナーもお忘れになりましたの?」
「やだ、だってオーリーは私の侍女になるのよ。当然じゃない」
「そんな話、承諾しておりません。これ以上仰るのなら我が家への侮辱として正式にミルール家に抗議させていただきます」
さすがに聞くに堪えないわ。ミレイユ様たちも不快そうに眉をしかめている。
「そんなことしても無駄よ。お父様もお母様もそのおつもりだし、マルロー侯爵家の皆様もそうよ」
「だからといって勝手に決められる筋合いはありませんわ」
そんな勝手がまかり通ると思っているのかしら? 相手が王家や公爵家ならともかく、大した力もなく、我が家に借金のあるマルロー家がそんなこと出来るはずもないわ。慰謝料も資金の返金もまだなのだし。
「あら、でも、マクシム様も左遷されるわ。嫡男がそうなってはジオネ伯爵家も立ち行かなくなっちゃうじゃない」
「ミルール嬢、その話、どなたから聞かれましたの?」
「え? マクシム様の左遷のこと? マルロー侯爵夫人よ」
私の予想は半分当たり、半分外れていた。当たったのはあの方ならやり兼ねないという点で、外れたのはあの方にそれほどの情報収集力があるという点だった。あの方、どこでそんな話を……ジルベール様もそう言っていたのなら、夫人が言い出したってこと?
「さすがは侯爵夫人、表に出ていない話もご存じなのよ」
エディットが得意げにそう言ったけれど、本気でそう思っていると? 残念ながらそれ以上の情報は得られなかったけれど、一層謎が深まった気がするわ。マルロー夫人が我が家に悪意を持っているのははっきりしたけれど、何処でそんな話をお知りになったの? 春の日差しが眩い昼間だというのに、私の周りだけ暗雲が立ち込めたような気がした。




