非常識な訪問者
ジルベール様が我が家にいると聞いて、私はアランに頼んでお母様の部屋へ向かった。私の部屋はジルベール様に知られているけれど、さすがに母の、当主夫人の部屋に押しかけてくることは出来ない。私の部屋から着替えを持っていてもらった。コルセットをしっかり巻き、出来る限り着脱が面倒なディドレスに着替える。その上で髪も化粧も以前の地味なものに変えてもらった。念のため目の下に隈を作り、顔色が悪いように白粉の色も変えた。本来の私にジルベール様がよからぬ行動に出さないためだ。
「アランとミラ、それに……ロックとジュールにも来てもらってもいいかしら?」
「ロックとジュール、ですか?」
「ええ、お父様とお兄様の執事だけど、ジルベール様はロックを怖がっていたでしょう? それにジュールは幼馴染のようなものよ。だったら少しは抑止力にはなるかと思うのだけど」
我が家の誰よりも背が高く、大柄で騎士のような体格を持つロック。無表情だと威圧感があって子どもの頃のジルベール様はずっと怖がっていたわ。その感覚を忘れているとは思えないから適任だわ。それに、実際騎士と一緒に鍛練を積んでいたから強いのよね。
そしてジュールはお兄様の乳兄弟で幼い頃からずっと一緒だ。元は子爵家の出だけど今は平民だから王宮に出入り出来ないため出仕の際は留守番だけど、彼がいてくれてよかったわ。彼はジルベール様の幼い頃の情けない話を幾つも知っている。
「畏まりました。他にも護衛を付けましょうか?」
「さすがにそこまですると喧嘩を売っていると思われるかもしれないからやめておくわ」
変なところでへそを曲げられても困るし、これ以上余計な噂を広げられても困る。
「まだ誰もお戻りにならないの?」
「マクシム様がお戻りになる時間ですので、そろそろかと。早馬を王宮に走らせましたから」
「そう」
どうしようかしら? そろそろ会いに行く? 使用人がいれば滅多なことはしないと思うけれど、最近の噂を鑑みれば軽率かもしれない。でも、家格が上の令息をいつまでも待たせておくのもまずいわよね。
「アランさん、ジルベール様が……」
どうやら私が帰ってきたと知って焦れているらしい。着替え中だからと時間を稼いでいるけれど、そろそろ限界かしら? 部屋に押しかけてこられても私はいないけれど……
「参りますわ」
「お嬢様……」
「大丈夫よ。お兄様もそろそろお戻りなのでしょう? そうそう、お茶は出してないわよね?」
「はい」
「この後も出さなくていいわ。前触れもなくいきなり押しかけて来たのだから。それに、なにか盛られたと騒がれる可能性もあるし」
もうマルロー家もミルール家も信用出来ない。これだけの悪意ある噂を流された以上、警戒は怠れないわ。
アランとロック、ミラとジュールを連れて応接室に向かった。ジルベール様と会うのは半月ぶりかしら。随分時間が経った気がするけれど、まだそれくらいなのね。だけど、もう半年くらい会っていない感じがするわ。前は三日と空けずに顔を合わしていたせいかしら。
「失礼します」
背を伸ばそうかとも思ったけれど、具合が悪そうに見せた方がいいかと思って背を丸めた。具合の悪い相手に無体なことが出来る人ではなかったから。
「遅いぞ」
ソファに優雅に座す姿は絵になるけれど、こちらを見た途端ギョッとした表情を浮かべた。私の見た目なのか、後ろに控える執事二人のせいなのかはわからないけれど。いえ、視点は私を超えているから後ろの二人かしら。扉を開けっぱなしにして奥に数歩進む。
「急に押しかけられても困りますわ、マルロー侯爵令息様。もう婚約していた頃とは違うのです」
はっきりと無作法だと告げる。ここで有耶無耶にするようなら要注意ね。
「そんな固いことを言わなくてもいいだろう? 私とオーリーの仲なのだから」
「それを壊したのはあなた様です。それで、ご用件は?」
「取り敢えず、座らないか?」
「そうは参りませんわ。未婚の男女が同室で二人きりになるわけには参りませんから。ミルール伯爵令嬢への裏切りになり兼ねませんので」
暗にエディットに疑われるわよと匂わせたけれど……
「ああ、エディなら承知しているから大丈夫だよ。だから二人で話さないか?」
「ミルール伯爵令嬢がどう思われようと、そういうわけには参りません」
「だが……」
そう言って私の後ろを気遣わしげに見上げた。二人が苦手なのよね。だから連れてきたのだけど。
「ああ、ロックとジュールは今、私の専属ですの」
「は?」
「ありもしない、不穏な噂が広がっておりますの。ご存じでしょうか? 心配した父と兄が、当分は二人を傍に置くようにと。学園に通う時も一緒ですわ」
そう言うと口の端が引き攣るように動いた。知っていたのね。だったらあの噂を流したのはマルロー家で間違いなさそうね。
「そ、そうか」
「それで、ご用件は何でございましょう?」
「あ、ああ。エディのことだよ。学園で彼女を虐めているのだって? 彼女を悲しませることはしないでくれ」
何の用かと思ったら……まぁ、あの子が泣きついているだろうことは想定内だけど。
「そのような事実はございません。そもそも、このようなことをしておいて、今まで通りのお付き合いなど無理は話ですわ。ミルール伯爵令嬢には他のお友達を作るようにお勧めください」
「冷たいな、君は。これからも一緒に過ごすのだから機嫌を直してくれよ」
何を言っているのかしら、この人は。とうとう頭までおかしくなったのかしら。いえ、あの噂を真に受けているのでしょうね。信じられないけれど、マルロー夫人にそう言われたのかしら?
「それは私がミルール伯爵令嬢の侍女としてマルロー侯爵家に着いていくというお話ですか?」
「そうだよ。母上も君なら家政を任せられると言っているのだ。今から婚約者を探すのも難しいし、親子ほど年の離れた相手の後妻など嫌だろう? 我が家で今まで通り仲良くすごした方が君も幸せだろう?」
呆れた、彼もそんな風に考えているなんて。とんでもない侮辱だわ。
「本気でそう思っていらっしゃいますの?」
「もちろんだよ。私たちは幼い頃から上手くやって来ただろう?」
どうやら本気でそう思っているらしい。頭が痛いわ、お兄様が聞いたら殴りかかりそうね。
「それを壊したのはあなた様方です。お話はそれだけですか? だったら話し合う余地はありませんからお帰りください」
もう会話する気力も湧かないわ。時間の無駄だし、同じ空間にいたくない。
「そんなことを言っていいのかな?」
「どういう意味です?」
睨みつけそうになるのを辛うじて抑えた。マルロー夫人の教訓がこんなところで生かされるなんてね。
「マクシムだよ。彼、左遷されたのだって?」
「え?」
言っている意味が俄かには頭に入ってこなかった。お兄様が、左遷? 中の下ほどのジルベール様と違い、学園を優秀な成績で卒業して、先輩から是非文官にと勧められた、お兄様が?
「ああ、知らなかったのかい? マクシムは上司の不評を買って左遷されたのだよ」
そうだったの? お兄様もお父様も、そんなことは一言も……
「ああ、周りは気遣って異動と言っているけどね」
「そんなはずありませんわ。兄は……」
「そりゃあ、そんな恥ずかしいことを言えるはずないだろう?」
優越感に満ちた笑みに背筋が冷えた。そうなの? そりゃあ、貴族間では些細なことで嫉妬されたり疎ましく思われて無下にされたりすることも少なくない。特に力もない伯爵家の跡継ぎが優秀な成績で学園を卒業した、それだけで嫉妬されて冷遇されることもある。
「君の家は君が思っている以上に危うくなっているのだよ?」
そうさせたのは誰? そう言いたかったけれど、喉元で引っ掛かってしまった。
「ねぇ、生家が没落なんて君も嫌だろう? でも、我が家は侯爵家、君の家よりも家格は上だし発言権も強い。だから私のところにおいで。悪いようにはしないから」
全身に冷や水を浴びせられたような悪寒に鳥肌が立つ。
「よく考えておいてね」
そう言って笑顔を浮かべると、ジルベール様が部屋を出ていった。なにもされなかった安堵よりも、言われた言葉の禍々しさに暫くその場から動けなかった。




