悪意に満ちた噂
その日の夜、お父様がお戻りになってから改めて私とお母様が見聞きしたことを話し合った。どちらも内容は同じで、婚約破棄された私にはろくな嫁ぎ先が見つからないため、それを憐れんだジルベール様とエディットが、私をエディットの侍女として雇い、エディットの輿入れと一緒にマルロー家に入る、というものだった。
「悪意があり過ぎるわ……いくらまだオーリーの嫁ぎ先が決まらないからって……」
お母様がこめかみに青筋を立て、手にした扇を握っていた。そのうち扇が折れてしまいそうな勢いだ。
「学園でも、エディットが同じことを言っていました。周りはそう動き出していると。あの子に侯爵家の夫人業が出来るとは思えませんから、それを私にさせようという魂胆かと」
それだったら辻褄が合うわ。どうせあの二人のことだから、面倒事を私に押し付けて自分たちは楽をしようと考えた、というところかしら。侯爵夫人もジルベール様可愛さに同意したのかもしれない。だけど……
「お父様、マルロー侯爵はどう仰っているのですか?」
「……わからん。最近は当主倶楽部にも来ていないようだ」
「あんなに倶楽部に出入りされていましたのに?」
お父様が重く頷いた。意外だわ、侯爵が倶楽部好きなのは有名だったのに。噂では夫人が口やかましいため屋敷に帰りたくなくて倶楽部に入り浸っているとも言われていたけれど。
「どこか、お身体に問題でも……」
「わからん。だが、この噂について承知しているか、尋ねてみよう。ああ、アラン、手紙の用意を」
「はっ」
アランが一礼して部屋を出ていった。そうね、言った言わないの話になると面倒だから手紙にして残した方がいいわよね。それにしても、どうしてこんな話になっているのかしら。こんな話、外聞が悪いからマルロー家にとってもミルール家にとっても醜聞になりそうなものなのに。
「それにしても不気味だわ。オーリー、暫くは外出も控えた方がいいかもしれないわね」
「そう、だな。噂にしては悪質すぎる」
そうね、あの二人にそんな大層なことが出来るとは思えないけれど、例えば夫人が絡んでいたら危ういかもしれない。侯爵家の力は小さくないもの。
「ええ、こんなこと、言いたくはないけれど……あなたを誰かに襲わせて傷物にして、ということも考えられるわ」
「お母様、まさか、そんなことまでは……」
「私だってそう思いたいわ。だけど、お茶会での皆様の反応がいつもと違って、我が家への風当たりの強さを感じたわ。既に根回しが終わっているような……そんな感じで」
お母様が眉を顰めたけれど、長年社交界で伯爵夫人として出入りしているお母様がそうお感じになるのならただ事ではないわ。元々侯爵夫人は我が家に対して点が辛いところがおありだったし。
「どうして、マルロー家は急に……」
「そう、だな。そこも調べてみよう。もしかして、財政的になにか問題が起きたのかもしれん」
「まさか、慰謝料と出資金の返還を有耶無耶にしようと?」
確かに財政的に厳しい侯爵家にとっては痛い出費なのでしょうね。昨年の水害では我が家からも見舞金と称した援助もしているわ。本来ならそれの返還も求めたいくらい。
「考えたくもないが……我が家有責での破棄などという噂が立っているんだ。その可能性も考えねばならないかもしれない」
お父様が両手で顔を覆った。長年の親友だった侯爵との関係がこんな形になってしまうなんて、きっとお辛いでしょうね。だけど、我が家だって余裕があるわけじゃないし、領民のことを思えば不義理に甘んじるわけにもいかない。
「オーリー、明日から登校する際はマクシムの馬車で行きなさい。帰りはお母様に迎えに行かせよう」
「お父様? でも、お兄様は……」
私より四年先に卒業したお兄様。今は王宮の文官として出仕しているからお忙しいはず。こんなことでお手を煩わせてしまっていいのかしら?
「そうね、そうなさい。マクシムも異動が決まったとかで今は暇だと言っていたから大丈夫よ」
お母様までそう言われてしまったけれど、そこまで気をつけなければいけないのかしら? いえ、相手の目的がはっきりしているとはいえ、こんな筋の通らない話を押し通そうとする時点で普通じゃないわ。だったら私も自衛しないといけない。それなら……
「お父様、お母様、私、卒業後はフォルゼ公爵家に勤めようと思いますの」
「オーリー?」
「フォルゼ公爵家だと?」
お二人が同時に声をあげたけれど、これは婚約破棄の話が出てからずっと考えていたこと。
「待て、オーリー。卒業までにはまだ時間がある。それまでには婚約者も……」
「そうよ、何の瑕疵もないあなたが結婚もせずに働きに出るなんて……」
お二人がそう仰るのもわかるわ。卒業後、結婚せずに働きに出るのは経済的に厳しい令嬢が殆どだから。だけど……
「フォルゼ公爵家は王家に匹敵するほど力をお持ちですし、王家よりも人気の職場でもありますわ。望んだとしても簡単には採用してくださいませんが」
「それは、そうだが……」
「こんなにも早くに社交界に噂が広まっているということは、誰かが意図的に、かつ組織的に噂を流しているのかもしれません。そうなれば婚約も簡単ではないわ」
お二人は何も仰らない。それはつまり、実際に婚約者探しが難航しているということ。こんな卒業間近ではそれも仕方がないわ。
「だけどオーリー、フォルゼ公爵家と言っても、あなた、伝手はあるの?」
「伝手というほどではないのですけれど……ロクサーヌ様にはちょっとした縁がございますの」
それもささやかなものだけど、話を聞いてくださるきっかけくらいにはなるわ。ロクサーヌ様は先日、教室に押しかけて来たエディットを諫めるようなことを仰ってくださったから、門前払いされることはないと思う。そう願いたいわ。
その後、部屋に戻ってからロクサーヌ様への手紙を認めた。教室でお声をかけてもいいのかもしれないけれど、爵位の低い私が話しかけるのはマナー違反。そんな愚は犯せないわ。それに、学園で話すような内容でもないし。雇うかどうかを決めるのは公爵様だからロクサーヌ様にはあくまでも口をきいていただくだけだし。
「オリアーヌ様……」
ミラが不安げな目を向けてきた。彼女は私がマルロー家の夫人教育に行く際も一緒に来てくれていたから私がどんな扱いを受けていたか知っているわ。だから余計に心配してくれるのでしょうね。
「大丈夫よ、ロクサーヌ様に相談したら、こんな噂、すぐに消えてなくなるわ」
働くことは出来なくても、せめて噂を否定してくださったら、いえ、ジルベール様とエディットがおかしいと仰ってくださったらそれだけで片が付くはず。ロクサーヌ様は第三王子殿下の婚約者でいらっしゃるから、その発言力は一令嬢であってもマルロー侯爵夫人の比ではないもの。
もっとも、ロクサーヌ様が私の味方をしてくださる保証はない。それはあの方のお心次第で、もしかしたら噂を信じて私のことを快く思っていらっしゃらない可能性もあるから。
「それよりもミラ、あなたのお陰で随分印象が変わったと皆さんが言ってくださったわ。自分の席に座ったのに「そこはジオネ様の席です」なんて言われたのよ」
「まぁ、だったら腕によりをかけた甲斐がございますわ。これからもお嬢様の魅力を最大限に引き立てて見せますわ!」
ミラがぱっと笑顔を見せて眉間の皺も消えたわ。
翌日から朝はお兄様の馬車で登校し、帰りはお母様が迎えに来てくださるようになった。大袈裟かとも思ったけれど、相手の思惑がわからない以上、警戒するに越したことはない。
エディットはあれからも時々教室に押しかけてきて昼食を共に取ろうとかお茶会をしようと誘ってきたけれど、どれも丁重に、でもはっきりと断ったわ。その度に泣いたり傷ついた表情を浮かべたりして周囲の同情を買おうとしていたけれど、さすがにあの子の要求は非常識過ぎて誰も慰めたりはしなかった。ここにジルベール様がいなくてよかったわ。いたら二人で私を責めたでしょうから。
「オーリー、ごめんなさい、今日は孤児院の慰問があるから迎えに行けないの」
お兄様やお母様に守られて通学するようになってから三日目、お母様が申し訳なさそうにそう仰った。定期的に行われている慰問だから私の都合で中止するわけにはいかないわ。
「わかりましたわ」
「護衛をつけるから滅多なことはないと思うけれど。どうか気をつけてちょうだいね」
「はい」
その日は護衛を連れての下校になった。さすがに王都で日中、貴族の馬車を襲う馬鹿はいないはず。実際、幸いにも何事もなく屋敷に到着したのだけれど……
「お嬢様、大変でございます!」
家令のアランとミラが玄関のエントランスで私を待っていて、私の姿を見るなり声を上げた。
「どうしたの?」
「それが……マルロー侯爵家のご令息が……」
「はぁ?」
意外なことに、あのジルベール様が屋敷に押しかけてきていた。




