唯一の手札
それから五日後、我が家の所有する馬車の中でも上等でありながら小さめのものを選び、単身フォルゼ公爵家へと向かった。出来る限り清楚に見えるドレスを選び、髪形も仰々しくならない程度に飾って、好印象になるように苦心したわ。
フォルゼ公爵家は我が国にある五つの公爵家の中で、もっとも豊かで権力を持つと言われている。本来なら私などが招待されることはないのだけど、お手紙を書いたらお茶を共にとのお返事を下さった。家格が違い過ぎるから無視されても仕方がないと思っていただけに、このご招待に心が踊る。もっとも、余りにも我が家との差があり過ぎて喜びよりも畏れ多い気持ちの方が強いけれど、今は怖気づいている場合じゃない。
どれくらい走ったのか、馬車は軽快なリズムを刻みながらフォルゼ公爵家の門を潜った。門だけでも立派過ぎて我が家との差に冷汗が出そう……大変裕福だと聞いているけれど、想像以上だわ。
「お待ちしておりました」
家令が出迎えてくれて、そのまま庭の方へと案内された。公爵家の庭は初夏の花で溢れ、鮮やかな色彩に満ちていた。さすが公爵家、庭の規模も華やかさも格別だわ。空は青く澄み、木々の緑が風に揺れて爽やかな葉擦れの音を生む。
「お嬢様、ジオネ伯爵令嬢をお連れしました」
「ありがとう。ようこそ、ジオネ様」
庭の一角の四阿から現れたのは招待主のロクサーヌ様だった。木漏れ日を浴びて輝く髪は艶やかな銀色で、涼やかな目元が際立つ美貌はまるで春の女神のよう。すらりとお背も高めで本当に同じ年なのかしらと思うほどに大人びていらっしゃる。平均にも至らず実年齢よりも子どもっぽく見える私とは大違いだわ。
「ふふ、随分印象が変わられましたのね」
向けられた笑みは同性であってもドキッとしてしまう艶やかさがあった。気付いてくださっていたのね。お目に止まっていたというだけでも嬉しい……
「驚かれましたか?」
「ええ……こんなに華やかな方でしたのね。驚きましたわ」
嬉しい、美人に褒められるなんて。それだけで気分が上がるものなのね。
「ふふ、何がおありだったのかしら? 詳しくお聞きしたいわ」
望むところだわ。それもここに伺った目的の一つだったのだから。
「ええ、ぜひとも。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
席に着くと改めて今日の招待に謝意を示した。上位の方への礼儀を損なうような真似なんか出来ないわ、下手をすると我が家にも影響するのだから。
「ふふっ、かしこまらないでくださいませ。ジオネ様、いえ、オリアーヌ様とお呼びしても?」
「こ、光栄にございます」
「もっと楽になさって。私のことはロクサーヌと呼んでちょうだい」
いきなり名前でお呼びすることを許されてしまったわ。畏れ多いことだけど断る選択肢なんかない。
「手紙をいただいて驚きましたけれど、まずはお礼を言わせてちょうだい。あの時は本当に助かりましたわ」
あの時というのは半年ほど前の夜会のこと。そこで私は青い顔をしたご令嬢に声を掛けて控室までお送りしたことがあったのよね。それがロクサーヌ様だと知った時は驚いたけれど。
「大したことはしておりませんわ」
「いいえ、あの時はとある男性に付きまとわれて、貞操の危機も感じていたくらいですの。今こうして無事に過ごせているのもオリアーヌ様のお陰ですわ」
そこまで深刻な事態だったなんて知らなかった。よかった、あの時声をお掛けして。
「今度は私がお力になりますわ。オリアーヌ様は何をお望みかしら? 出来る限りお力になりましてよ」
にこりと、魅了されてしまいそうな艶やかな笑みが向けられて、同性なのにドキドキしてしまった。凄いわ、美人って同性でもとんでもない破壊力がおありなのね。顔が赤くなっていないかしら……
「……まぁ、そのようなことが……」
……やっぱり美人って凄い。その笑みに抗えず心の中に秘めていたことをすっかり話してしまったわ。その内容にロクサーヌ様は驚きと呆れを露にされた。
「随分、性質の悪いことをされましたのね」
「残念ながら、マルロー家とミルール家がやったとの証拠はないのですが……」
「そんなこと、我が家が調べればすぐにわかりますわ」
あっさりとそう仰ったけれど、公爵家にとっては造作もないことでしょうね。マルロー家は侯爵家とはいえ、家格は高くないし権力もないから。
「それで、オリアーヌ様はどうなさりたいの? マルロー家とミルール家に復讐を? それも、どなたか令息をご紹介した方がよろしいかしら?」
「お気持ちはありがたいのですが、どちらも望みませんわ」
「まぁ、では?」
目を大きくして、それでも興味津々といった表情で私を見た。
「出来れば卒業後、このお屋敷で雇っていただきたいのです」
私の望み、それはこのフォルゼ公爵家にお仕えすること。王宮でもよかったのだけど既に募集の時期は終わってしまったし、不特定多数の方が出入りする王宮よりもこちらの方が安全な気がしたから。公爵様は有能ながらも温厚でお人柄も申し分ないし、こちらで雇っていただければマルロー家も我が家に無茶な要求は出来なくなる。
「そうねぇ、オリアーヌ様が来てくださったら有難いわ。学園の成績も優秀でいらっしゃるし、家格も申し分ないもの。ジオネ伯爵は我が家と同じ中立派でいらっしゃるし」
さすが美人、形のいい指を顎に当てて話す姿ですら品があって様になるわ。
「それでは……」
「ええ、私としては大賛成よ。むしろ私の侍女として傍にいてほしいくらいなのだけど……」
ロクサーヌ様のお傍に? それは願ってもないことだけど、何かしら? 何か不都合なことでも……?
「それよりもオリアーヌ様、結婚する気はありませんの?」
「それは、いいご縁があれば……とは思いますけれど……」
私だって人並みに結婚したいとは思う。だけどそれはあの二人によって難しいものになってしまった。このまま結婚しても付きまとわれそうだから侍女としてお仕えして公爵家とのご縁を確かなものにして、それから……と思っている。嫌だわ、思い出したらまた腹が立ってきてしまったじゃない。
「だったら一人、あなたにお勧めしたい男性がいるの。どう、会ってみない?」
「それは……」
「ああ、嫌なら断ってくれていいわ。私の個人的な独り言だと思って聞き流してちょうだい」
重ねて悪いようにはしない、断っても気を悪くしたりしないし、その時は私の侍女になってくれたらいいからと言われてしまえば、断ることも出来なかった。
「それで、その男性というのは……」
「ああ、ちょっと待ってね。今呼ぶから」
「……え?」
そう言うとロクサーヌ様は使用人に何やら耳打ちをして、使用人が足音も立てずに速やかに屋敷へと向かって行ったけれど……今呼ぶって、どういうこと? まさか……いえ、そんなはずはないわよね。きっとここの使用人の誰かに決まっているわ。微かな不安を抱えながら呆然としている私の前で、ロクサーヌ様はそれはそれは綺麗な笑顔を浮かべられた。
その後、ロクサーヌ様からマルロー侯爵家での夫人教育について尋ねられた。夫人教育は家によって様々で、これから婚姻を控えた令嬢にとってはもっとも気になる話題の一つ。ロクサーヌ様は第三王子殿下と婚約していらっしゃるから王子妃教育になるのかと思ったけれど、上に二人の兄王子がいらっしゃるので臣籍降下し、王家が持つ伯爵を名乗られるのだとか。そのため興味を持たれたのだけど……
「マルロー夫人がそんな方だったなんて……」
申し訳ないことにあまり気分のいい話にはならなかったわ。夫人から『これがこの家の家風なの』と言われて従ってきたけれど、こうして話してみると理不尽なものも多かったわ。それはロクサーヌ様の反応で確信となった。だけどそれが事実だからどうしようもない。あの家のために取り繕う必要などもうないもの。
「でも、あの方って確か、ジオネ伯爵を慕っていらっしゃったのではなかったかしら?」
「お父様を?」
そんな話、初めて聞いたのだけど。だったら私にきつく当たっていたのって……
「若い頃の話よ。随分前になるけれど、母たちのお茶会でそんな話を聞いたわ」
知らなかったわ、両親と侯爵夫人の間にそんな話があったなんて。
「まぁ、マルロー夫人の一方的なものだったらしいけれど。それにマルロー侯爵には別に婚約者がいたのに、あの方が無理やり関係を持って……って噂もあったそうよ」
もう何と答えていいのかわからなかったわ。あの方、そんなことをなさっていたの? 私には貞淑であれと煩くて、兄の友人と挨拶をしただけでもふしだらだと責められたこともあったわ。あの地味な服装や化粧の強制も同じ理由だったけれど……
「よかったわね、縁が切れて」
「はい、仰る通りです」
本当によかったわ。あのまま婚姻していたら死ぬまできつく当たられたってことよね。既に閉ざされた未来だけど想像しただけで背筋が冷えた。危なかったわ、白紙にして正解だった。
「ロクサーヌ」
あったかもしれない未来に慄いていると、若い男性の声がロクサーヌ様を呼んだ。彼女を呼び捨てに出来る男性って……予感が悪い方向に向かったと悟って別の意味でまた慄いた。嘘でしょう……?




