久しぶりの登校
その翌日、両家の名でジルベール様有責での婚約破棄の文書が王家に提出された。あんなことを言い出したマルロー家に不信感を抱いた父は、知り合いを通じて侯爵家の当主で公文書の専門家に依頼して、文書内容の証人になっていただく念の入れようだった。これにはさすがのマルロー家も手出しが出来なかったようで、渋々ながらも文書に署名したと聞いたわ。
その頃には父が両家についての調査も一通り終わり、あの二人が二月前から急に距離を縮めていたこと、それはエディットの婚約が決まりそうになった時期に合致していた。エディットの次の婚約者はとある伯爵家の当主で、とても裕福だけど両親と同世代の方で、亡き前妻との間には十歳ほどのお子が二人いるのだという。つまりあの子は後妻になるのを嫌がってジルベール様に言い寄ったのだ。
そのジルベール様も、愛嬌があって甘え上手なエディットを昔から好ましく思っていたらしい。だったら私と婚約などしなければよかったのに。もっとも、婚約した頃の私はエディットと同じようによく笑いよく怒る、普通の令嬢よりも感情表現が出ていたのよね。私が無表情だと言われるようになったのはマルロー侯爵夫人の教育のせいだった。それをジルベール様は理解しなかった。夫人はジルベール様を溺愛していたから、きっと私と彼の前では言うことも違っていたのでしょうね。
「ふんふんふ~ん、ふふふふ~ん……」
久しぶりに登校する朝、私は軽快な鼻歌交じりのミラに身を委ねていた。ミラは私の専属侍女で、ずっと私に仕えてくれている親友でもあり姉のような存在。ここ数年はマルロー侯爵夫人の夫人教育に一番憤ってくれていたわ。
鏡に映る自分が彼女の手で変わっていくのを眺めた。これまでは一つ結びしか許されなかった水色の髪は、両サイドを編み込んでから後ろで鮮やかな青のリボンで結ぶ。古めかしい暗い色合いの化粧も今風の明るい色へ。いつも通りなのは制服だけだ。
「さぁ、完成です!」
得意げに胸を張るミラが鏡越しに見えた。目が合うとどうですかと言わんばかりに笑顔を向けてくるので改めて自分の姿に向き合う。そこには、まるで別人のように艶やかな自分がいた。
「いかがですか、お嬢様」
「ええ、とても素敵ね。私じゃないみたい」
こんなに軽やかな色を纏ったのはいつ以来かしら?
「お嬢様はあのエディット様なんかよりもずっとお可愛らしいのです。まったく、あの鬼婆のせいで私の愛らしいお嬢様が不細工にされて……」
握り拳に力を込めて怒りを押し殺しているけれど、あの二人やマルロー夫人がいたら今にも殴り掛かりそうね。でも、ミラはずっと私の味方でいてくれた。彼女がいてくれなかったら耐えられなかったわ。
「ありがとうミラ。これからはたくさん綺麗にしてね」
「もちろんです! 腕によりをかけてお嬢様を着飾らせますわ!」
ふふっ、嬉しいわ。彼女はセンスがいいし私を大切に思ってくれている。名ばかりの親友だったエディットとは雲泥の差ね。これからは自由にお洒落が出来るのよね、それが嬉しい。そんなことを考えていたら扉が叩かれた。
「お嬢様、出発のお時間です」
「ああ、もうそんな時間なのね」
通い慣れた学園だけど、久しぶりな上にあんなことがあった後では気が重かった。ジルベール様は二年前に学園を卒業しているから顔を合わせる必要はないけれど……問題はエディットね。あの子はあの見た目と甘え上手さで同情を買うのが上手かったから、今回の件でもきっと自分が被害者のように振舞うのは目に見えている。市井では真実の愛とやらが流行っているから、それに乗じて周囲の同情を引いている可能性が高い。きっと色んな噂が飛び交っているでしょうね。学園を休んでいたからどうなっているのかはわからないだけに不安が増す。こんなことならエディット以外の令嬢ともっと交流しておけばよかった。
だけど、それを邪魔していたのはエディットだった。あの子は私が他の令嬢と付き合うのを嫌がって、なにかと「私が嫌いになったの?」と涙目で見上げてくるのだ。そんなつもりはない、エディットも一緒にと言っても、令嬢たちが自分の悪口を言っていると言い張り、最後には泣いてしまう。さすがにそれを人前でされると私が悪者に思われそうだったから仕方なくあの子の言う通りにしていたのよね。だけど、それももう終わるわ。
学園に到着して馬車から降りると、何故か周囲の注目を浴びていた。どうしたのかしら? ミラ渾身の準備は少し派手だったかしらと不安になった。だけど、この程度なら誰でもやっているわよね。なんならもっと派手な方もいるくらいだし……居心地が悪かったけれど、誰かに尋ねるのも違う気がしたのでそのまま教室へと向かった。
「皆様、ご機嫌よう」
いつも通りに声をかけて教室に入ると、令嬢たちがギョッとした表情で私を見た。ここでもまた?と思いながらも自分の席に座ったのだけど……
「あの、その席はジオネ伯爵令嬢のお席ですわよ」
級友の一人が令嬢二人と共に近づいてきて、戸惑いながら声をかけてきた。ダリエ伯爵家のミレイユ様ね。
「私がジオネですけれど?」
「えええっ!?」
酷く驚かれたけれど、どうなさったのかしら? 化粧や服装は変わっても私自身は変わっていないのに。そう思いながら返事をしたら、他の令嬢からも驚きの声が上がっていた。どういうこと?
「それじゃ、オリアーヌ様ですの?」
「ええ、そうですわ。髪色も目の色も顔も、何も変わっていませんでしょう?」
変えたのは髪形と化粧だけで、私自身は変わっていないわ。
「た、確かにそうですけれど……」
「……ず、随分雰囲気が変わられましたのね」
どうやらミラの腕は私を別人にしてくれたらしい。やっぱり彼女はセンスがいいわ。いえ、マルロー夫人のセンスが壊滅的に酷かったというべきかしら。
「ええ、マルロー侯爵令息様との婚約を破棄しましたので、夫人教育もなくなりましたの。お陰で自由にお洒落が出来るようになったのです」
「……え?」
再び周りの空気が困惑したものに変わった。何かしら?
「あ、あの……ジルベール様から婚約を破棄されたのでは……?」
控え目に、でもはっきりとミレイユ様がそう尋ねたけれど……どういうこと?
「そんな事実はありませんわ。ジルベール様はミルール伯爵家のエディット様が真実の相手だと仰って、婚約をなかったことにしたいと仰いましたの。婚約中に他の令嬢と懇意になるのは誠意がある行動とは言えませんわよね?」
「え、ええ……」
「ですからあちら有責での破棄となりました。それは王家に奏上した文書にも記され、既に受理されていますわ」
そう告げるとますます周囲は困惑を深めた。もしかして……一つの可能性に行き当たった時だった。
「オーリー! 登校していたのね!」
聞き慣れた、でももう聞きたくない声が教室に響いた。あの子ったら……そんな大きな声を出して、もうすぐ卒業だし、侯爵夫人になるのならもっとマナーを弁えないといけないでしょうに。
「ご機嫌よう、ミルール様」
腹立たしいと思いながらも、そんな素振りは見せずに淡い笑みを張り付けて振り返った。その途端、あの子の動きが止まった。
「え? オーリー……なの?」
私をまじまじと見つめて信じられないものを見たような表情を浮かべた。意外だわ、長い付き合いだから彼女くらいは直ぐにわかると思ったのに。
「ミルール様、これからは私のことはジオネと家名でお呼びください」
「えっ?」
冷静にそう告げると驚かれてしまったけれど、当たり前でしょうに。あなたは私から婚約者を奪ったのよ。今まで通りでいられるはずがないのに……
「そ、そんな……オーリー、私たちの仲じゃない」
「その仲を壊したのはあなた様です。これからは節度あるお付き合いをお願いしますわ」
そう言って軽く頭を下げた。もう以前のような関係には戻れないのよ。それに、あなたと私はクラスが違う。私はSクラスだけど、あなたはBクラスだから会いに来なければ接点もない。
「そ、そんな……ひ、酷いわっ!!」
そう叫んで涙を流し始めた彼女に、今日何度目かのため息が出た。




