思いがけない提案
屋敷に戻ると出迎えてくれた家令のアランに父への面会を求めた。先ほどの件を報告するためで、婚約を破棄するのか、白紙にするのか、慰謝料を請求するのか、両家の間で行っていた事業はどうするのか、多くのことを決めなければいけないから。
「オーリー、急にどうした?」
父は母と共にサロンでお茶をしているところだったため、私がそこに加わった。アランが淹れてくれたお茶を一口飲んでから、先ほどのやり取りを簡潔に、でも必要なことはしっかりと伝えた。
「ジルベール様が、婚約の白紙を……?」
「エディットちゃんが、ジルベール様と……」
父は眉間に皺を刻み、母は口元を両手で抑えた。二人も気付いていなかったのね。いえ、私も二人の距離の近さは気になっていたけれど、それも幼馴染として長い付き合いがあるからと見逃していたのだけど。
「婚約を白紙に、とジルベール様にはお伝えしましたが、あの方のことですから理解しているかどうか……」
ジルベール様は人の話を聞いているようで聞いていない。いえ、自分に都合のいい話だけは頭に残るけれど、そうでないものは存在すら忘れてしまうのよね。美形だし、家格も申し分ない方だけど、完璧じゃない方が人間味があって好ましい、なんて思っていた昨日までの私が腹立たしい。
「そう、だな。あの事業もオーリーが嫁いでも肩身の狭い思いをさせまいと、我が家の利が少ないながらも受けたが……こうなっては白紙にして出資金も返していただかねばな」
そう、私だけでなくこの婚約は我が家とマルロー侯爵家の共同事業も関わっていた。それは我が家にはあまり利がなく、また採算性も疑問視されるところがあったのだけど、マルロー侯爵が乗り気で是非ともと頭を下げて始めたものだった。お父様はさすがに何の見返りもなく受けることは出来ないと最初は突っぱねたのだけど、だったら私をジルベール様の妻に迎えると言い出したことで、私が格上の家に嫁げるのなら、と渋々了承したのだ。もちろん、父とマルロー侯爵も幼馴染で仲がよく、親友だったことも大きかったのだと思う。
だけど……財政的に厳しいマルロー侯爵がすんなりと出資金の返却に同意するか微妙だわ。しかもあちら有責の婚約の白紙となればそれなりの慰謝料も払って貰う必要がある。先に我が家に事情を話し、円満に婚約を白紙にすればよかったのに、あの二人はそれをすっ飛ばしていきなり不貞をしていました宣言をしてしまった。それは貴族社会では許されないことなのだけど、恋に浮かれた二人はそんなことに思い至らなかったらしい。
父は早速マルロー侯爵に書簡を送り、この件の説明と今後の話し合いを求めた。
「オーリーは白紙でいいのかい?」
「そうね。あんなに熱心に夫人教育も受けていたのに」
私の心情と努力に配慮してくれる両親の気持ちが嬉しい。
「白紙で構いませんわ。ずっと信用していた二人に裏切られたのですもの、破棄してもいいかとも思いましたが、それでも揉めて出資金を返さないと言われても困りますでしょう? 腹立たしさはあっても未練など欠片もありませんわ」
侯爵夫人の言葉を疑いもせず、一度だって庇ってくれなかったジルベール様。この婚姻は家族と家の為だし、気が利かない人だってことは子どもの頃からわかっていた。それでも悪意はないし、いい意味でも悪い意味でも素直だからと、欠点のない人などいないのだからと不満を呑み込んでいたわ。それがこんな形で裏切られるなんて思いもしなかった。
「わかった。マルロー家には相応の慰謝料と出資金の返還を求めよう。ミルール家に対してもだ。婚約者がいるとわかって言い寄るなど、いくら親しくても許されることではないからな」
お父様はそう言ってくださったけれど、言葉に力はなかった。でも、それも仕方がないわ、マルロー侯爵とは子どもの頃からの付き合いがあって、親友として、隣り合わせの領主として支え合ってきたのだから。まさか子どもの頃から我が子同様に可愛がっていたジルベール様に裏切られるなんて思われなかったでしょうね。
それからの私は学園を休み、暫く屋敷でゆっくりすることにした。婚約がはっきりするまでは落ち着かないし、学園に行けば面白半分に噂される可能性が高かったから。それに……親友としてずっと一緒にいたエディットの顔を今は見たくなかった。あの子のことだからきっと何食わぬ顔をして寄ってくるのが想像出来たから。もっとも、この判断を私は後で後悔することになるのだけれど……
マルロー侯爵家との話し合いはそれから五日後、マルロー侯爵家で行われた。いつもなら書簡を送れば直ぐに返事があるのに、今回は分が悪いと思ったのか、返事が来たのは四日後で、指定してきた日は翌日だった。そのことに私だけでなく、両親も不安を感じて訝しげな表情を浮かべていた。
「お父様、これは本当にジルベール様とエディットの暴走だったのでしょうか? もしかして……」
「あなた、私もオーリーと同じ懸念を感じますわ。今までは直ぐに返事がありましたのに……」
お母様も同じように感じていたのね。だからといって不安が増すばかりだったけれど。
「滅多なことを言うものではない。行けばはっきりする」
お父様はそう仰ったけれど、それはご自身に言い聞かせているようにも聞こえた。マルロー侯爵家に向かう馬車の中では誰も何も言わず、重苦しい沈黙に支配されていた。
「どういうことですか? 婚約を破棄? しかも娘有責でとは!?」
何度も通されたことのある応接室。我が家からは両親と私が、マルロー侯爵家からは公爵夫妻とジルベール様を交えた話し合いで、マルロー侯爵から告げられた言葉に父が珍しく声を荒げた。だけどそれを無作法だと責める気にはなれなかった。父が叫ばなかったら私が叫んでいただろうから。
「どうにもこうにも、こうなったのはオリアーヌ嬢がジルベールに寄り添わなかったからではありませんか」
当然のようにそう告げたのは、ジルベール様の母君の侯爵夫人だった。
「どういうことですか? 寄り沿うもなにも、婚約期間中に他の令嬢と懇ろになったのはジルベール様ではありませんか」
「それはオリアーヌ嬢がジルベールに愛情を注がず、この子を優先しなかったからでしょう?」
当然のようにそういう侯爵夫人だったけれど……
「夫人、何を仰っているのですか? この縁談はマルロー侯爵家と我が家の共同事業を確固たるものにするためのもの。採算が取れる可能性が低いと出資に難色を示した私に、侯爵が担保代わりにと提案なさったものです。貴族家同士の契約を好いた惚れたで反故になさるおつもりか?」
珍しく父がはっきりと抗議の声を上げた。実際、貴族家の婚姻は家のためで、そこに感情は考慮されないのが常。領民の生活を守るという責務の代償として贅沢が許されるのだから、愛のない婚姻だって受け入れる義務がある。さすがに正論を正面から告げられて夫人は黙り込んだ。
「まぁまぁ、伯爵、そう声を荒げずに。私たちの仲じゃないか」
「だったら娘を有責にするなどやめていただきたい」
「わ、わかったよ。だったらその代わりに、出資金の返却は免除してくれないか?」
「……我々を、我が家を馬鹿にしているのですか?」
さすがにお父様の堪忍袋の緒が切れたようね。声は抑えているけれど、こんなにも抑圧した声を出すお父様は初めて見たわ。その様子に侯爵もさすがにしまった、という表情を浮かべていた。
「どうしてもと仰るのなら、王家にこの件を奏上いたします」
「お、王家だなんて、大袈裟な……」
「そう思われるのでしたらご自由に」
「わ、わかった! 伯爵、すまなかった! この婚約はジルベールの有責として慰謝料も払おう。出資金も今すぐ返すことは出来ないが分割で返す! どうか王家にだけは言わないでくれ!」
マルロー侯爵は必死だったけれど、当然よね。こんな不義理が王家の耳に入ったら侯爵家の立場が悪くなるもの。
それでも……最後までジルベール様をはじめとしてマルロー侯爵家の誰一人として謝罪の言葉を口にしなかった。そのことから彼らが少しも悪いと思っていないことが察せられて気が一層重くなった。そして、その嫌な予感は的中することになった。




