婚姻話の裏
その後、お母様に促されて二人で庭に出たわ。庭師が作業をしていると思っていたのだけど、それは私を庭に出さないようにするためだったらしい。マルセル様にロック、ミラを従えて庭に出た。温い風が髪を揺らす。以前はいらっしゃるのが楽しみで下りた庭なのに、今は味気なく感じている。求婚されたのに、こんなにも気が重くなるなんて……私の人生にそんな可能性、少しも考えていなかったわ。公爵家に比べると素朴に見える庭の小径を無言で進んだ。
「すまなかった」
小径が広くなったところで立ち止まったエドガール様から謝罪の言葉が出てきた。それは、私の意を無視したことへの謝罪なのかしら?
「あ、謝られましても……」
せめて僅かなりとも不本意だと、納得していないとお伝えしたくてそう告げたのだけど、また眉間に皺が出来てしまったわ。ご不快になった? でも、不敬だと思われても構わないわ。そうなれば公爵家にお仕えする話はなくなるかもしれないけれど、この方と婚姻する苦難を思えば、お子がいる方の後妻になった方が穏やかな人生を送れるかもしれないし。
「気持ちを無視したことは申し訳ないと思う。その代わりと言ってはなんだが、出来る限り希望は叶えよう。ドレスや宝石も好きなだけ用意するし、実家への援助もしよう」
それは……随分と破格なお申し出ね。どうしてそこまで……と思わなくもないけれど、女性不信のこの方にとってはギリギリの妥協点だった、ということかしら? 王太子殿下から早く婚姻しろと命じられたと仰っていたわね。だったら王太子殿下は王女殿下を歓迎していない? いえ、今はそんなことはどうでもいいわ。
「俺が相手となれば、心無いことを言ってくる者もいるだろう。嫌なら社交もしなくていい」
意外だわ、私が世間でどう思われるか、気付いてくださったのね。いえ、マルセル様辺りから助言があったのかもしれないけれど。そう思ってちらとその御仁を見たら片目を瞑られた。やっぱり……
「ですが、私では後継を望めないかもしれません」
「構わない。養子を迎えれば済む話だ」
「さ、左様ですか」
最初から、私との子はお望みではない、と……そうよね、例えばこれから愛する方が現れたらその方と、とお考えなのかもしれない。またはロクサーヌ様がお産みになったお子を養子に迎える手もある。それなら高貴な血は保てるわね。本当に形だけの妻をお望みなのね。
「ドレスも宝石も、体裁が保てる分で結構です。実家への援助も」
「そうか。欲しいものがあったら何時でも言ってくれ」
「ありがとうございます」
求婚って、こんなにも心が冷えるものだとは思わなかったわ。何だか契約事項の確認をしているみたい。いえ、実際契約結婚なのだからこうなるのは当然かしら。暑いくらいなのに心の中には冷え冷えとした風が吹き抜けていった。
それからも会話が弾むことはなく、庭を一周してから応接室に戻った。後はお父様と婚姻に関する取り決めをされるというので私室に戻った。
「お嬢様、お茶をお入れしますね」
いつもは元気なミラもさすがに意気消沈していた。離れていたとはいえ会話は聞こえていたでしょうから当然よね。出されたのは、蜂蜜とミルクが入ったお茶だった。疲れた時や気落ちした時によく飲んでいたもの。ミラの心遣いが嬉しくて少しだけ気が軽くなった。
「ありがとう」
「お好きでしょう?」
「ええ。嬉しいわ。やっぱりミラが一番ね」
だけど、これからは一緒にいられなくなるのね。いえ、公爵家にお仕えしてもそうだったけど、それでも休みの日は実家に帰ることが出来たわ。婚姻したら……それも簡単じゃなくなる。妻が頻繁に実家に帰っているなどと知られたら、婚家の居心地が悪いのだろうと噂されてしまう。そんなことは許されないもの。
「だったら、私も一緒に公爵家に行きます」
「え?」
ミラも一緒に? いいのかしら? いえ、嫁ぐ時に馴染みの侍女を連れて行くことは珍しくないけれど、私の場合、家格が違い過ぎるから無理だと思っていたわ。公爵家では彼女は軽く扱われたりしないかしら?
「私が盾となってお嬢様を支えます。一人くらいお嬢様だけの味方がいてもいいでしょう?」
笑顔でそう言ってくれるのは気落ちした私への気遣いだと思うけれど……その言葉に甘えてしまっていいの?
「お嬢様がいらっしゃるのなら、どこへでもお供しますよ」
「いいの?」
「もちろんです!」
決意に満ちた表情に目の奥が熱くなった。いいのかしら? いえ、希望は出来るだけ叶えると仰っていたわ。だったらお願いしてみよう。
「ありがとうミラ。あなたがいてくれたら公爵家でも頑張れるわ」
そう言うと目を大きくしてから満面の笑みに変わった。あれほど重く感じた心が随分軽くなったわ。そうね、公爵家の皆様は私に好意的だった。だったらエドガール様との関係が義務一辺倒でも、公爵ご夫妻と仲良くしていただけたら心配するほど悪い生活にはならないかもしれないわ。
エドガール様がお帰りになったと、ロックが私を呼びに来たので、再びあの応接室に戻った。ミラが新しくお茶を淹れ直してくれた。
「お父様もお母様も、エドガール様の御用の内容をご存じだったのですね?」
屋敷が落ち着かなかったのも、いつもと違うドレスに着替えさせられたのも、庭に出るのを止められたのも。
「すまない。少し前に公爵家から打診があったんだ。その時はご辞退したのだが、先日王宮に行った時、公爵様に呼び止められて……」
そういえば、三日前にもマルロー家への監査の件で王宮から呼び出しがあった。あちらの報告書と我が家の報告書の金額の違いについて説明を求められて。その時に公爵様からお話があったと。
「そうだったのですか」
「エドガール様も王太子殿下に王女と婚姻したくなければ早々に妻を迎えろと言われたとかで。それで、お前がいいと言うから頼めぬかと」
そんな風に下手に出られたら却って断れないわ。そもそも命じられたら否とは言えないのだから。
「だったら私ではなくカトリーヌ様やアンリエット様でもいいでしょうに……」
あのお二人の方が私より長くお仕えしているし、華もあってお似合いだと思うわ。何も私じゃなくても……
「エドガール様はお前を気に入ってくださっているそうだ。以前、エドガール様にお断りだと申したのか?」
「へ?」
ちょっと待って! どうしてそのことをお父様が……
「公爵様から聞いたぞ。令息に絶対にお断りだと啖呵を切ったと。公爵様も息子にそこまで言い切れるとは頼もしい、これからもその調子で導いてやってほしいと、そう仰っていたよ」
私は肝が消えたけどね、と言いながらお父様が苦笑されたけど……どうしてその話が公爵様にまで伝わっているの? まさかロクサーヌ様が? 目を輝かせてお兄様にお勧めだと仰っていた姿が頭に浮かんだ。ロクサーヌ様、なんてことを話していらっしゃるのですか……
「公爵様も公爵夫人も、お前ならと賛成してくださっている。そこまで言われてはさすがにね」
それは断れないわ。完全に外堀が埋められているじゃない。ロクサーヌ様が反対することはないでしょうし、むしろ今頃はお喜びでしょうね。私などでいいのかしら……あの方と義理とはいえ姉妹になるなんて、恐れ多すぎる……
それでも、公爵ご夫妻から反対されていない事実は少しだけ重く沈んでいた気持ちを軽くしてくれた。これからは公爵ご夫妻と仲良くしていただけばいいわね。公爵夫人は気さくな方だったし、マルロー家の夫人教育の話を聞くと「なんて理不尽な……」とお怒りになっていたくらいだもの。そんな方ならきっと酷い扱いはなさらないわ。
それからは恐ろしい程に話が進んでいったわ。隣国の王女殿下がルシアン様と顔合わせにいらっしゃるのは半年後だと言うので、その前の四か月後に婚姻式を挙げることが決まった。早過ぎて世間からどう思われるかと、そっちの方が心配で余計に憂鬱だわ。婚姻式もこんなに気が重くなるものだとは思わなかった。
しかもその一月前にはアルベール様とロクサーヌ様の婚姻式が行われるのだから、社交界では様々な憶測が飛び交っているらしい。幸いだったのは公爵家が王族のアルベール様を優先されたとか、エドガール様は暴漢から妹を守った令嬢に心奪われたなどの噂が流れ、世間的には好意的に受け止められていることだった。もっともこれは公爵家が流したものじゃないかとお兄様は仰っていたし、実際そうなのだと思うけれど。
さらに驚いたことに、エドガール様が「ようやくいい返事を貰えた」と王太子殿下に仰ったという話が、当の王太子殿下から出たこともあったとかで、一気に殿下公認の仲にされていた。王太子殿下まで関わってくるなんて恐れ多すぎて胃が痛くなりそう……
そのエドガール様なのだけど……
「具合はどうだ?」
そう言って渡されたのは、一輪の赤い薔薇だった。ちなみに彼の従者が馬車から荷物を下ろしていた。私への贈り物だというそれは、訪問が再開したその日から途切れることなく続いている。ドレスや宝石などの宝飾品、女性に人気の書物にお菓子。それらはやり過ぎです!と抗議して半分以下に減ったけれど……それでもやり過ぎだと思われる量だった。これも契約の内ってことなのかしら……
「ありがとうございます。すっかり大丈夫です」
求婚されてからは毎朝、王宮に向かう前に我が家にいらっしゃるようになった。相変わらず無表情でにこりともなさらない。うう、一生こんな感じなのかしら? さすがにそれは……遠慮したいのだけど……
「困ったことはないか?」
「大丈夫です」
気遣ってくださっているのよね? 毎日同じ言葉だけど。エドガール様の向こうでマルセル様がやれやれと言わんばかりに首を左右に振っていた。一度あの方とお話ししたいわ。そうしたらエドガール様の真意もわかりそうなのだけど。
「無理をするな。また来る」
「はい。いってらっしゃいませ」
振り返りもせず馬車に向かう背を見送る。先日、正式に婚約が成立したけれど、私たちの距離は少しも縮まった気がしなかった。




