マルロー家の現状
帰宅してからの日々は穏やかな時間が流れた。少しは体力を戻さないといけないからと、庭の散策も始めたわ。とはいっても今の季節は暑いからと、お母様に出るのは朝や夕方に限定されてしまった。そこは仕方がないわね。実際、昼間は日差しが強くて外に出る気になれないもの。
あれから三日おきにエドガール様が様子を見にいらっしゃるようになった。その手には公爵家で摘んだと思われる花があって、最初は驚きを隠すのに必死だったわ。わざわざいらっしゃらなくてもと思い、婉曲にお断りしたのだけど……
「お忙しいのではありませんか? わざわざお時間を割いていただくのも……」
「勝手にやっていることだ。気にするな」
その一言で一蹴されて、訪問は今も続いている。お陰でこの暑い時期でもサイドテーブルの花瓶に花が途切れることはないのだけど、いいのかしら? 家の使用人たちの緊張を思うとそろそろ終えていただきたいのだけど……
「ごめんね、オリアーヌ嬢。エドの気が済むまで付き合ってやって」
マルセル様にそう頼みこまれては無下にも出来ない。未来の主と先輩の言葉の意に背くことなど出来るはずもないのだから。
「具合はどうだ?」
三度目の訪問でも最初の言葉は変わらなかった。「具合が」の一言が追加されたのはマルセル様の助言のお陰で、聞き入れられる様子からして素直な方なのだろうと思う。
「おかげ様で、傷の方は腕を上げなければ殆ど痛まなくなりました」
出仕前、毎回同じ時間にいらっしゃるため、こちらも相応の準備をして待つことが出来るようになった。今日はエントランスから近い庭でお待ちしていた。応接室に案内しても時間がないからとお茶も辞退されるし、ただ様子を確認しに来ただけだと仰ってお帰りになるから、こちらの方が時間も少なくて済むかと思ったのだ。朝日を浴びたお姿は本当に凛々しくて麗しいわ。男性なのに綺麗だと思ってしまう。
「昨日、あいつらが来たと聞いた」
「はい。騎士様が撃退してくださいました。ありがとうございます」
そうなのよね、昨日の午後、私が実家に戻っていると聞きつけたジルベール様とエディットが押しかけていた。門前で控えていた公爵家の騎士に呼び止められ、そのまま押し返されたのを私は私室の窓から見ていた。無理に押し入ろうとしたところを騎士が制止し、暫く揉めた後であの二人は帰って行った。なにを言っているのかは聞き取れなかったけれど、部屋までエディットの声が届いていたわ。あんなに大きな声を出すなんて、相変わらずなのね。
「もう来ない。両家には父の名で抗議文を送っておいた」
「ありがとうございます」
お父様からも送ったけれど、もう何度目かしら? あの方たち、字が読めるはずなのに、それを疑いたくなるほど聞き分けがないわ。
「マルローに監査が入る。お前の相手をしている余裕はなくなる」
「監査が? もう?」
お兄様からも聞いていたけれど、思ったよりも早かったわね。報告書に虚偽ありとの疑いが出て、マルロー家は訂正して再提出するよう命じられていたのに、侯爵様の体調不良を理由に提出されなかったのだとか。それで王家は監査員を送ることにしたらしい。これは貴族としてはとても不名誉なことなのだけど、侯爵様はそんなにお悪いのかしら? それにジルベール様とマルロー夫人がいらっしゃれば報告書を出すことも出来たでしょうに……いえ、あのお二人では無理かもしれないわね。
「ありがたいことですわ。それに、そんな家に嫁がずに済んでよかったです」
嬉しいわ、自然と笑みが浮かんでそう答えると眉間に皺が浮かんだ。なにか失言だったかしら?
「そうだな」
返ってきたのは簡素な一言だけど、返事を下さったのならお気を悪くはされていない、のよね? その向こうにいるマルセル様に視線をやると頷かれたから、大丈夫みたいね。
それにしても、あの時縁が切れてよかったわ。あの家が調べられれば我が家にも影響はあるけれど、いっそのことはっきりしてくれた方が縁を切る理由になるし。我が家の出資金が戻るのかは怪しくなってしまったけれど、嫁ぐ可能性が限りなく低くなった今、持参金の心配をする必要もないし。
「また来る」
そう言うと背を向けて馬車の方に歩いて行ってしまった。追いかけようとしたけれど、マルセル様にそのままでいいと言われたので、その場で見送った。相変わらず唐突な方ね。なにをお考えなのかさっぱりわからないわ。
「マルロー家が謹慎処分になったよ」
夕食の後のお茶の時間、お兄様がそう仰った。今は利き手が思うように動かせないから食事は別だけど、食後のお茶はご一緒している。
「謹慎、ですか?」
「ああ、証拠隠滅を図る可能性もあるからとね。侯爵夫妻とジルベールもだ」
にこりと笑みを浮かべたけれど、いい笑顔だわ、お兄様。色々裏で手を回していそうね。
「でも、家にいる方が危険ではありませんの?」
もっとも、証拠になりそうなものは既に破棄されたり隠されたりしていそうだけど。
「侯爵家の税に関する書類はすべて王家が没収している。仮に二重帳簿をつけていても提出した書類に矛盾があればいいんだ。そこを突けばボロが出るからね」
なるほど、そういうものなのね。だけど、そんな悪事を働いていたなんて信じられないわ……侯爵様は人の好い方だと思っていたのに。だけどあのまま嫁いでいたら加担していたとして私まで罪に問われたかもしれない。その可能性に思い至って夏なのに肌が粟立った。
「まぁ、あいつらにそんなに巧妙なことが出来るとは思わないから、直ぐにはっきりするだろう」
満足そうにお兄様がそう仰ると、お父様も頷いていらっしゃった。
「そういえば、ルシアン殿下がアルベール殿下と王宮の廊下でやり合ったそうだ」
「王子殿下が?」
カップをソーサーに戻してお兄様が思い出したように告げた。あのお二人の顔が浮かぶ。ロクサーヌ様を巡って、というよりもルシアン様の一方的な横恋慕で突っかかっているのだけど。
「王妃様が陛下に泣きついたそうだ。フォルゼ嬢を王族として迎えたいと」
「そんなことを? へ、陛下はなんと……」
そんな……あんなに仲睦まじくお幸せそうなのに? 王妃様はお産みになった四人の王子殿下の中でもっとも美形で甘え上手なルシアン様を溺愛している。でも、アルベール様も同じ王妃様のお子なのに……
「フォルゼ家は断固反対だから、陛下も王妃様との間で板挟みだとか」
フォルゼ家はそうなるでしょうね。お二人が相愛なのはご存じだし、公爵家が力を持ち過ぎることを危惧していらっしゃる。ルシアン様も王妃様も、貴族間の力関係を気になさらないのかしら? 均衡が崩れれば世が乱れる一因にもなるというのに。
「それじゃ、ロクサーヌ様がルシアン様と、という可能性も?」
そんなことになったらロクサーヌ様がどれほどお嘆きになるか……想像しただけで胸が痛むわ。
「それはないだろう。第二王子派はフォルゼ家が派閥に入れば自分たちの利が減ると消極的だというし」
「そうだな。彼らとフォルゼ家とは長年の確執がある。後ろ盾として最適とは言い難いよ」
お父様も同意されてほっとした。だったら大丈夫かしら? 王妃様の意向を受けてか、王妃様の実家はルシアン様を王太子にと望んでいるというけれど。
「ルシアン様は面食いだからな。王女殿下の容姿は並みだと聞いて、それなら元婚約者でよかったなどと仰ったらしい」
「まぁ、なんてことを……」
随分都合のいいことを仰っているのね。だけど隣国の王女ともなれば無下にも出来ず、ルシアン様と王妃様は焦っていらっしゃるという。
「では、ルシアン様は王女殿下が嫌で、ロクサーヌ様を?」
「そうなんだろうなぁ。王女殿下は我が強い方らしいから、ルシアン様とは合わなさそうだし」
「お兄様、不敬よ」
「外では言わないから大丈夫だよ」
そう言って笑ったけれど、本当に大丈夫なのかしら? 家族やリディアーヌ様のためにも言動には気をつけて欲しいわ。
「あの襲撃事件も、狙われたのはアルベール様じゃないかと噂されているし」
あの時の……やっぱりそう思う人がいるのね。私ももしかしたら?と思っているけれど。
「マクシム、滅多なことを言うものではないよ」
「でも父上、ルシアン様の態度を見ているとそう思いたくなりますよ」
そうなのね。だけど……案外アルベール様を慕うどなたか、さらに言えばルシアン様を慕う方がロクサーヌ様を、の可能性もあるのではないかしら……ロクサーヌ様も身の安全を第一にお考えで外出は控えていらっしゃると、先日お見舞の品と一緒にいただいたお手紙にそう書かれていたわ。でも……さすがに考え過ぎよね。何でも色恋沙汰に結び付けるなんて、恋物語を読み過ぎたかしら。
それから三日後、エドガール様がいらっしゃる予定の日を迎えた。その日は未明からの雨で庭に出ることが出来ず、応接室を用意してもらった。傷も治ってきているからワンピースではそろそろ失礼かしら? ミラに頼んでディドレスに着替えた。こうなると髪も整えないとちぐはぐよね。ミラに簡単でいいから整えてもらったのだけど……
いつまで待ってもエドガール様が姿を現すことはなかった。部屋に置かれた花瓶の薔薇は満開を過ぎ、花びらが落ちていた。




