お父様の提案
カーテンも閉め切った真っ暗な部屋の中、夜のしじまにろうそくの灯が揺れる。クロエも控室に下がって久しく、風の音が時々木々と窓枠を揺らす。既に真夜中を過ぎれば人の多い公爵家も静寂に支配されていた。
昼間、お医者様から聞かされた話は時間が経つと共に現実味を増していき、誰もいなくなって思考を邪魔するものがなくなって一層鮮明になった。肩の傷よりも深刻だった毒の影響。まさか妊娠に関係するなんて思いもしなかったから驚いたし、考える時間が増えればその影響が想像出来てしまい、深刻さは増す一方だった。
婚約破棄から始まった侍女生活。ここでの日々は大変だけど華やかで明るく、新しい希望をもたらしてくれた。ロクサーヌ様やカトリーヌ様たちと過ごす日々はすり減っていた自尊心を取り戻してくれたし、ロクサーヌ様とアルベール様の睦まじいご様子は、私にもそんな相手が出来たら……と思わせてくれた。私は、思っていた以上に幼馴染の裏切りに傷ついていて、それはロクサーヌ様の下で少しずつ癒されていたはずだった。なのに……
お子が出来ないとなれば、婚姻は絶望的。令嬢たる者、後継たる男児を産むことが一番の務め。それは令嬢にとって常識だ。母親は子を一人しか産めなかった、それだけで相手選びに不利になることもあるほどに、女性は子を産むことを重要視されている。それなのに、身体に残る傷があり、毒を受けて子が出来ない可能性がある――それは致命的ともいえるほどに重いものだった。
これまで、傷跡が残るような怪我をしないよう細心の注意を払い、不妊に繋がりそうな要素はすべて排除して、たくさんの労力とお金をかけて育てられてきた。それが貴族令嬢なのに、まさかこんな形で無になるとは思わなかったわ……
ろうそくの微かな灯に照らされた天井を見つめる。これまでの努力が無駄になってしまった、そのことが申し訳なくも情けない。お父様とお母様にどんな顔でお会いすればいいの? これまでのご恩を無にしてしまった自分など価値がないように思えて、いっそこのまま暗闇の中に消えてしまいたい……
目尻から耳に向かって涙が流れた。不快だけどそれを拭う気にもなれない。明日、お父様とお母様がお医者様の診断結果を聞きに公爵家にいらっしゃる。普段は嬉しい両親の訪れも、今は気が重くなるばかりだった。その日の夜は、酷く長く、そして短く感じられた。明日なんか、来なければいいのに……
「オリアーヌ様、目元を冷やしましょうね」
翌朝、私の顔を見たクロエがそう言って濡らしたタオルを目元に置いてくれた。何も聞かず、何も言わない彼女の心遣いがありがたかった。まだ気持ちの整理がつかないから、誰とも話したくなかった。
それでも、家族が来る時間は迫ってくる。泣いたことを誰にも知られたくないからと、努めて明るい声を出した。何でもないのだと、傷ついていないのだと思われたくて。空元気でもいいわ、ずっと続けていたらいつかはそうなる日が来るはずだから。幼馴染二人に裏切られたことだって、時間が解決してくれたのだから。
むっとする暑い風もないよりは涼しさを運んでくれる。その日の午後、両親は公爵様から私の肩の傷と毒の影響について説明を受けにいらっしゃった。その後で私の部屋にいらっしゃるという。私は部屋でその時を待った。大丈夫、ちゃんと笑えるわ。
「オーリー、加減はどうだ? ああ、はい、リディから」
両親だけかと思っていたら意外にもお兄様も一緒だった。手にはお兄様には似つかわしくない小ぶりで可愛らしい花束があった。
「リディアーヌ様が? まぁ、なんて可愛らしい」
淡い色合いの花束は彼女のお人柄を表したよう。花束を結ぶリボンも花の色に合っていて趣味の良さを感じさせる。優しい色が心を明るくしてくれた。
「ふふ、仲がよろしいのね」
私の一つ下のリディアーヌ様と兄は五年の差がある。なにかと私をからかってくる兄と聡明で真面目なリディアーヌ様では合わないのではないかと心配していたけれど、余計なことだったようね。
「そうだよ。リディはお前より年下だけどしっかりしているし、教養も深いからね」
「もう、お兄様ったら、そこでいちいち私を引き合いに出さないでよ」
「ははっ、お前はそうやって怒っている方がいいよ」
そう言って笑ったけれど、もしかして励まそうとしてくれたの? イラっとしたから元気が出たとも言えなくもないけれど……
「オーリー、元気そうね」
「お母様、お父様も。それなりに元気にやっていますわ」
嘘じゃないと、無理をしていないとの思いを込めて笑顔を返した。途端にホッとするお二人に申し訳なさが込み上げる。だけど、笑顔でお迎えすると決めていたのよ。
「クロエ、このお花をお願い」
「かしこまりました」
花束を受け取ってクロエは部屋を出ていった。ここには家族だけになると三人とも表情が和らいだ。使用人でも公爵家の関係者がいると緊張するわよね。私は慣れて来たけれど。
「公爵様から、伺ったよ。その、毒のことを……」
「そうですか。このような結果になってしまい申し訳ありません」
「謝ることはなにもないよ。ご令嬢をお守りしたお前は私たちの自慢の娘だよ」
「そうよ。あなたを誇りに思うわ」
その言葉にずっと張っていた糸が緩んだ。傷物になった娘を罵倒する親もいる。娘は政略の大事な駒でもあるから。家族はそうじゃないと思っていたけれど、そう言われて目の奥が熱くなった。
「辛かったわね……」
「お、お母さ、ま……」
知らない間に頬が濡れていた。お母様がハンカチでそっと涙を拭う。絶対に泣かないと気を張っていたのに……
だけど、本当は怖かった……傷物になってしまってと、その上で子どもも望めないかもしれないと言われて、自分の価値がなくなったように思えて……現実に正面から向き合うのが怖くて強がっていただけ……それがお父様やお母様、お兄様に会ったらもろくも崩れてしまった……だって、それが本当の気持ちだったから。
それから暫くの間、お母様の手を握って泣き続けた。さすがのお兄様もこの時ばかりは茶化したりせず、静かにいてくれたわ……
「ごめんなさい、私ったら……」
子どもみたいに泣いてしまったわ。恥ずかしい……今日は絶対に泣かないと誓っていたのに。
「ふふ、気にしないで。幾つになってもあなたは可愛い子どもよ」
「そうだぞ。少しは気が楽になったか?」
両親の言葉が温かくて胸の奥が満たされていく。その言葉が聞きたかった。大丈夫だと、何があっても変わらないと、そう言って欲しかった。
「動けるようになるまで家に帰るか? お前が望むなら公爵様にお話ししよう」
その言葉に思わずお父様を見上げた。帰っても、いいの? 今は公爵家に仕える身だし、公爵家の皆様からもここで療養するようにと言われたから、帰るなんて出来ないと思っていた。
「いいんじゃないか? 今は動けないのだから」
「そうね。我が家の方が落ち着くでしょう?」
いいの? その方が公爵家にご迷惑をおかけしなくていいかもしれない。どうせまだ暫くは動けないでしょうし。でも……
「いいのでしょうか?」
「帰りたいなら公爵様にお願いしてくるよ」
お父様が嬉しそう。そうね、急に公爵家に移ることになったとお話した時、お父様は寂しそうだった。だったら暫く帰るのもありかしら? どうせここにいてもお役に立てないし、私も気心の知れた実家の方がいいもの。
「帰り、たいです……」
そう言うとお父様が破顔した。その後、お父様が再び公爵様とお会いして帰宅を願うとすぐに許されて、私はその日のうちに住み慣れた我が家に戻った。
「お嬢様ぁ――!! ご無事でよかったです!」
馬車からはお兄様に抱きかかえられて屋敷に入ると、ミラが半泣きで駆けてきた。変わらない彼女に帰ってきたのだとの実感が増した。
「心配をかけたわね」
「心配しましたよぉ! もう、お嬢様ったら無茶して!!」
泣いているのか怒っているのかわからない彼女だけど、私を案じてくれているのがわかって思わず笑ってしまった。
「笑い事じゃありません!」
「ありがとう、ミラ」
怒られても嬉しすぎて顔が緩んでしまう。家令のアランやロック、ジュールたちもいる。一月くらいしか離れていなかったのに、何年も会っていなかったかのような懐かしさが胸を満たした。
「やっぱり自分の部屋が一番ね」
「それはそうですよ。ずっとここでお育ちになったのですから」
自室のベッドで横になると、全身から力が抜けていった。ミラが甲斐甲斐しく歩き回って部屋を整えてくれる。とてもよくしていただいても、やはり主従関係となると気が抜けなかったのね。
「移動してお疲れでしょう? ゆっくり休んでくださいね」
そう言いながらミラがお茶を淹れてくれた。私のお気に入りのお茶。公爵家で飲むそれほど高級なものじゃないけれど、味も香りも私好みなのよね。
「料理長がお嬢様にとこれを」
そう言って出してくれたのは……私が大好きだった焼き菓子だった。甘くて香ばしい香りが懐かしい。変わらない皆の心遣いに今にも泣きそうだわ。
「さぁ、どうぞ」
お茶とお菓子が乗ったトレイを手にミラが笑顔を浮かべた。その笑顔に言葉にならない安堵が広がった。
その日は久しぶりにぐっすりと眠った。意識が戻ってからは昼間も寝ていることがあったし、身体を動かせないせいか寝つきが悪くなってしまったし、夜中に何度も目が覚めていただけに、目覚めた時は清々しい気分だった。暫くはゆっくりしたいわ。そう思っていたのだけど……
「お、お嬢様、お客様です」
朝食を終え、食後のお茶の代わりに公爵家のお医者様が用意してくれた解毒剤を飲んでいたら、アランが血相を変えて飛び込んできた。




