痛みに耐える日々
じくじくと続く痛みは意識がはっきりしていくと共に増していった。目を開けるのも億劫なほど身体が怠いのに、痛みは心臓が脈打つごとにその存在を主張してくる。これまで経験したことのない痛みを何とかしたくて、目を開けるしかなかった。
目に入った天井は見慣れない若草色。どこにいるのかとの不安が重い頭を動かして、公爵家の自室だったと思い至った。痛みは少しも和らがず、断続的に苛んでくる。動かない頭がもどかしい……
「オリアーヌ様、お気づきになりましたか?」
夏の木々のような鮮やかな深緑が目に入った。鈍い頭が自分専属のメイドだと告げる。
「クロ、エ……?」
「ああ、目が覚めたのですね! ようございました!」
口数が少ない彼女がこんなにも感極まった様子を見せるなんて……目が覚めることがそんなに騒ぐことかしら。それにしても随分明るい……
「し、ごと……」
ここにいる理由を思い出して起き上がろうとして……右肩から痛みが全身を駆け抜けた。痛すぎて悲鳴すらも上げられなかった。
「動かないでください! まだ傷口がふさがっていないのですから!」
珍しく声を荒げるクロエを気にする余裕はなかった。痛すぎて……
「……き、ず……?」
「刺されたのです。王宮の夜会で」
「刺され、た? や、かい……?」
「覚えていませんか? 」
そう問われて、はっきりしない頭がようやく痛みの原因に辿り着いた。たしか、令嬢が助けを求めて来て……ふらついたから椅子に案内したら、突然……痛みがあの時の記憶を甦らせて、また恐怖が襲ってきた。あの、深い谷底に引きずり込まれるような感覚……身体が勝手に小刻みに震え出した。
「オリアーヌ様? お顔が真っ青です。今、お医者様を呼んできますから」
クロエがそう言って部屋を飛び出していった。一人残された部屋は明るく暑く、それでも身体の震えが止まらない。痛みがじわじわと何もかもを奪っていく。眠りたくない。今度こそ目覚めないかもしれない。そんな恐怖に何とか目を開けようとするのに、身体は少しも言うことを聞いてくれない。瞼が酷く重くなって、目を閉じたら痛みが遠のいていった。
それからのことはよく覚えていなかった。肩の痛みと全身のだるさが耐え難く、それで目を覚ましていたように思う、その度に誰かが声をかけてくれたけれど、それは断片的で長い夢を見ているようだった。
実際、夢を見ていた。子どもだった頃に四人で庭を駆けまわったり、学園で共に昼食を取ったり、婚約者とお茶会に出たり……それは心地よいものもあれば、酷く虚しさを感じさせるものもあった。酷いものだとたくさんの手が足を引っ張って引きずりこまれそうになるものもあって、眠りたくない時もあったけれど……
喉の痛みに目が覚めた時、部屋の中は薄暗かった。ろうそくの光が柔らかく周囲を照らす。
「……いた、ぁ……」
水がほしくて身体を起こそうとして、直ぐに痛みで頓挫した。まだ痛みが……これ、いつまで続くのかしら……
「ク、ロエ?」
喉がカラカラで声がメイドの声を呼んでも酷く掠れたものだった。近くにいないの? 痛みのない手で枕もとをまさぐると固い何かが当たった。呼び鈴だった。暗いから今が宵なのか真夜中なのかわからない。真夜中だったらクロエも眠っているかしら? だったら起こすのは申し訳ないわ。だけど、喉が渇きすぎて咳込んでしまう。その度に痛みが全身に広がって辛い……
痛みのせいか、久しぶりに頭がすっきりしていた。こんなにはっきりしたのは久しぶりだわ。今日は何日なのかしら? あれからどれくらい経った?
暫く考えたけれど、咳は耐え難く、起き上がろうにも痛みが強く、また傷口が開きそうで怖かった。心の中でごめんと思いながら呼び鈴を鳴らした。誰も来なかったら自分で起き上がるしかない。幸い枕元に水差しが見える。咳が続くとそれはそれで傷に触りそうだから自分で何とかするしかない……
すぐに近くで扉が開く音がして、話し声の後で複数の足音が近付いてきた。一人でよかったんだけど……と思っていたら私の部屋の扉が開いた。
「オリアーヌ様、お待たせしてすみません」
クロエが小走りでベッド脇まで来て謝ったけれど、謝らなきゃいけないのは私の方だわ。
「謝らないで。ごめんね、休んでいたのでしょう?」
これまでも夜に何度も様子を見に来てくれていたわ。はっきりとは覚えていないけれど、声をかけてくれていた。答えられない時が何度もあっても、ずっと来てくれていたわ。
「そんなこと! それが私の務めですから」
真面目なのね。そういうところが好ましいわ。って、ちょっと待って……!
「オリアーヌ嬢、具合はどうだ?」
薄暗い中、現れた人物に息を呑んだ。お医者様か別の侍女かと思ったのに……なんでいらっしゃるの……!
「ほら、エド。だから言っただろう、許可なく女性の寝室に入るもんじゃないって。オリアーヌ嬢が固まってしまっただろ」
後ろから肩を引いて諫めるマルセル様にばつの悪い顔になったのは……エドガール様だった。ちょっと待って、どうしてここに……それにマルセル様、どうして強く引き留めてくれなかったのですか……もう何日も湯浴みもしていないのに……
「オリアーヌ嬢?」
怪訝そうな声が再び私の名を呼んだ。うう、一生の不覚だわ、こんな姿をお医者様以外の男性に見せるなんて……いえ、雇用主だからそういう対象ではないのだけど。
「だ、だいじょ、です」
喉がカラカラで痛いけれど、喋りたくないけれど、未来の雇用主相手にそんな非礼も出来ない。
「あ~オリアーヌ嬢、喉カラカラじゃないか。エド、喋らせるなよ。まったくお前は……」
「す、すまない」
謝罪されてしまったわ。だったらもう出ていってほしい。
「クロ……みず、を……」
「お水ですね。ただいま」
クロエが水差しに手を伸ばし、コップに水を注いだ。それを見ただけで喉が鳴りそう。こんなに水を欲したのは生まれて初めてかもしれない……
「今、お身体をお起こししますね」
「あ、りが、と……」
クロエが私の背の下に手を入れる。それを支えに起き上がろうとしたけれど、肩の痛みはここぞとばかりに主張してきた。
「……っぅ」
「す、すみません」
痛い。でも、起き上がらないと水も飲めない。痛みも耐え難いけれど、水も欲しかった。
「いい、のよ。つづけ、て」
「は、はい」
クロエも頑張ってくれるけれど、力が入らない身体を、それも柔らかいベッドの上で支えるのは大変そうだった。身を起こそうと力を込める。起き上がるのがこんなに大変だとは思わなかった……その時だった。
「代われ」
「わ、若様。ですが……」
「俺の方が力はある」
そう仰るとクロエが狼狽え、そのすきにエドガール様の腕が伸びてきた。やめてぇ――! こんな姿を近くで見られたくない……それに臭くないかしら? そうは思うも、悶えている間に難なく身体が起きた。痛みはあったけれど……
「ほら」
しかも口元にコップが近付いてきた。ま、待って……
「じ、じぶん、で……」
「早くしろ」
「は、い……」
うう、病み上がりなのに精神が削られていく……意を決してコップに口を付けると、ゆっくり水が喉を通って行った。美味しい……喉が生き返る……何かは減る一方だけど……
「ありがとう、ございます……」
コップ一杯の水を飲み切った。それだけですごく疲れたわ。ありがたいけれど、こういう時は遠慮してほしい……私も一応未婚で嫁入り前なのに……
「はぁ、エド、もういいだろう? いつまでも俺たちがいたら休めないんだから」
「あ、ああ」
マルセル様、その前に連れてこないでください……今度はっきりお願いしておかないと。
「ゆっくり休め」
「ごめんね、オリアーヌ嬢」
そう仰るとエドガール様とマルセル様は部屋を出ていったけれど……謝るくらいなら来ないで欲しかったわ……
「オリアーヌ様、ご気分はどうですか?」
「……ありがとう。久しぶりに頭がすっきりしたわ」
お陰で余計に疲れた気がしたけれど……
「それはようございました。まぁ、熱も下がっていらっしゃいます。夜に熱が出なかったなんて、初めてです」
そうなのね。だったら峠は越えたってことかしら? そうは思うも、物凄く疲れてしまって、クロエの話を聞かなきゃと思うのに意識が途切れた。




