卒業の夜会
卒業生を祝う夜会は王宮の大広間で行われる。ここに足を踏み入れたのは三度目だけど、まだ子どもだったから最初の方だけだった。さすがは王宮、その華やかな豪奢さは私の貧弱な語彙では語れないほどに素晴らしいものだった。詩人ならきっとこの立派さを余すところなく表現出来たのでしょうけれど、私はただただ凄いと心の中で繰り返すばかりだった。
カトリーヌ様、アンリエット様の後ろをマルセル様と進む。うう、マルセル様も美丈夫だし、継ぐ爵位はなくてもエドガール様の側近だから人気があるのよね。相手が私で申し訳ない……
「オリアーヌ嬢、そう固くならなくても大丈夫ですよ」
「は、はい」
そうは言われても、夜会なんて初めてだから身体に力が入ってしまう。こんな踵の高い靴も初めてだし……
「私たちは傍で不届き者が近付かないよう見張るのが役目です。危ない時は私たちが動きますから、その時は身の安全を第一に考えてください」
「はい」
本当に危険なのね。だけど、目立たないと言われてホッとしたわ。そういうことならロクサーヌ様だけ見ていればいいのよね。
「公爵家に恨みを持つ者は少なくありません。逆恨みしてくる者の多くは常識が通じないこともあります。重ねて言いますが、身の安全を第一に」
「善処します」
常識が通じない……最近まで親しかった面々が浮かんだ。そうね、訳の分からない理屈で生きている人たちはいるわ。それにしても……いざという時、そんなに簡単に冷静に判断出来るものなのかしら? 経験がないから自信がない。だけどやるしかないのよね。ロクサーヌ様には指一本触れさせないわ。
会場に入るとシャンデリアの明るさに目が眩みそうになった。室内だし、この時間なら薄暗いはずの会場は数えきれないろうそくの灯りで目が痛くなりそうなほどに眩かった。凄いわ、これが王家の力……ただの貴族家ではこんなに明るくなんか出来ないもの。
会場には既に多くの人が集まっていた。目立つのは騎士科の卒業生ね。彼らは卒業と共に騎士として任命される。真新しい騎士服を着ているからすぐにわかるわ。
それ以外はぱっと見では卒業生なのかわからないわ。年下の弟や妹も参加しているのもあるわよね。私もお兄様の時は最初だけ参加したけれど、自分が卒業生として参加するのはまた一味違うわ。卒業したのだとの実感がまた一層増した。
暫くすると壇上で動きがあり、何かと思って待っていたら音が止んだ。
「国王陛下、並びに王后陛下御入場!」
野太くもよく通る声が会場に響き、会場は水を打ったように静まり返った。その中を国王ご夫妻がゆったりとした足取りでお出ましになる。その後ろには第一王子殿下ご夫妻、第二王子殿下、第四王子殿下が続かれる。ロクサーヌ様の婚約者のアルベール様がその中にいらっしゃらないのは臣籍降下されるご予定だからかしら。皆様、王家の色である金の髪が神々しいわ。そしてあの方が……お兄様がお仕えする第四王子殿下ね。まだ十二歳だと伺っていたけれど、賢そうで穏やかな表情が印象に残った。きっと聡明な方なのでしょうね。
国王ご夫妻が壇上の真ん中にお立ちになると、大きな拍手が湧き上がった。耳が痛くなりそうなほどの大きさに畏怖の念が一層増した。お兄様が王子様の部下になるなんて信じられない気がした……
陛下がお手を上げるとピタッと拍手が止んで、会場から音がなくなった。
「今日の佳き日に皆が集まってくれたことに感謝する。卒業を迎えた者たちよ、そなたたちは周りの助けによって本日、こうしてこの場にいる。そのことに感謝し、これからは一成人として国のため、家のために尽くすことを願う。新たに成人した若人に幸多かれ!」
一同を見渡し、陛下が厳かに宣言される。そのお言葉に応えるように一斉に拍手が鳴り、あちこちから「国王陛下万歳!」「我が国に幸多かれ!」と怒号のような言葉が飛び交う。その熱狂は大きなうねりのように会場を支配していた。全身の肌が粟立って卒業したのだという実感が一層増した。
「さ、せっかくだから一曲踊ろうか?」
隣にいたマルセル様に声を掛けられたけれど……いいのかしら? ロクサーヌ様のお傍を離れるわけにはいかないのだけれど。
「ロクサーヌ様も踊るからさ。俺たちも踊らないと傍にいられないだろう?」
片目を瞑って茶目っ気たっぷりにそう言われたけれど、確かに踊っている最中はお傍に侍るのは難しいわね。そうしている間もロクサーヌ様がアルベール様と共にダンスの輪に向かって行く。カトリーヌ様たちの姿も見えるわ。なるほど、ロクサーヌ様の周りを私たちで固めるのね。
「では、お願いします」
うう、ダンスはあんまり好きじゃないのだけど。そう思いながらもこれは仕事なのだと自分に言い聞かせて輪に入った。音楽が流れて皆がそれに合わせて身を揺らす。まだ簡単な曲でよかったわ。難しい曲だとまったく自信がないもの。こんなことならダンスにも力を入れておけばよかった。もっとも、マルロー夫人は夫以外と踊る必要はないとダンスのレッスンなど無駄だとのお考えだったから出来なかったのだけど。
「オリアーヌ嬢、なかなか上手じゃないか」
「そ、そうですか?」
正直言って自信がないし、ここにいるのは高位貴族ばかりだから見劣りしているかと思っていた。だけど、踊りやすい?
「マルセル様のリードがお上手だからですわ」
実際、凄く踊りやすい。今までつっかえていた部分が難なくこなせていた。これって……
「いやいや、そんなことはないよ。君の実力だ」
「そ、そう言っていただけると、嬉しいです」
褒められるなんて両親かお兄様くらいだから変な感じだわ。だけど、人並みに出来ているのならよかった。ということは、ジルベール様が下手だったってこと? あの方、勉強なども面倒臭がってさぼってばかりだったわ。欠点のない人なんていないし、細かいことを言う方よりも大らかでマシだと思っていたけれど。
「彼らが見ているよ」
ターンするタイミングでそう囁かれた。見ている? 彼らって……その疑問は直ぐに解けた。ダンスを囲む人々の中にエディットたちが見えたから。ジルベール様だけでなくマルロー夫人やミルール夫妻の姿もあるけれど……マルロー侯爵の姿がないわね。どこに行ったのかしら?
「怖い怖い。逃がした魚の大きさにようやく気付いたのかな?」
そう言ってマルセル様が笑ったけれど、実際、ジルベール様は不機嫌さを隠しもしなかった。夫人もね。そんな彼の隣でエディットだけが勝ち誇ったような笑みを向けてきた。嫌だわ、まだ張り合ってくる気? 明るい若草色のドレスは彼女とジルベール様の瞳の色で、中々に手の込んだ刺繍やレースで飾られているよう。商会の伝手を最大限に使ったのかしら。愛らしい彼女の容姿に似合ってはいるけれど、卒業生は大人っぽいドレスを着るのが常だからそういう意味では浮いているようにも見える。
「まだ絡んでくる気かな?」
「どうでしょう? 父はかなりきつく抗議したと言っておりました。公爵様からも」
「ああ、ロクサーヌ様がかなりお怒りだったからね。彼女は他人に興味はないけれど、気に入ったものは大事にするから」
それは、私も気に入られたと思っていいのかしら? いえ、あの夜会でお声がけしたことを恩に思ってくださっているからだとは思うけれど。
「あいつらは雑魚ではあるけれど、人間の理論で動いていないから、そういう意味では獣と一緒だ。思いがけない動きをするから気を付けないとね。まぁ、だけど公爵家に仇なそうとする者は似たり寄ったりだ。気を付けて」
「はい。こちらこそご面倒をおかけして申し訳ありません」
あの人たちが公爵家の方々に何かするとは思えないけれど、巻き添えになる可能性はあるかもしれない。そこは気を付けないと。曲が終わってこれで解放されるかと思ったけれど、ロクサーヌ様はまだ踊るおつもりだった。そう言えばダンスがお好きだったわね。それに、第二王子殿下の誘いを避けるためでもあるかしら。踊っていれば声を掛けられないし、近付くこともままならない。その後で疲れたからと控室に戻れば顔を合わせなくて済むものね。
結局、三曲踊ってようやく解放されたわ。何がよかったってマルセル様の足を踏まずに終えたことね。ロクサーヌ様の後を追うと足元を気にされているように見えた。どうなさったの? もしかして、足を痛められた? それでもたくさんの人がロクサーヌ様の元に、いえ、アルベール様の元に寄ってきた。その中には……
「やぁ、ロクサーヌ。私とも一曲踊ってくれないか?」
馴れ馴れしく声を掛けたのは、金色の髪が美しい男性だった。それは地味な婚約者を捨て、ロクサーヌ様を妻にと付きまとっている、私たちにとって本日最大の懸案事項でもあるルシアン第二王子殿下だった。




