始まった侍女生活
翌々日、身の回りの物と共にフォルゼ公爵家を訪れた私は、案内された部屋の入口で呆然と佇んでいた。そこは私に用意された部屋だったのだけど……
(……これが、使用人部屋……?)
日差しが差し込む窓には若草色のカーテンが揺れ、壁紙や調度品もそれに合わせたかのように統一感のある色彩でまとめられていた。カーテンも調度品も伯爵家の自室とは比べ物にならないほどに立派だわ。傷をつけたらどれくらいの弁償が必要なのかしら……そんな考えが浮かぶほどの部屋だった。
「お嬢様……」
「……ミラ、私、ここでやっていけるのかしら?」
荷物を片付けるために来てもらった彼女に思わず問いかけていた。さっきまでの高揚感は急速に萎んで、今にも消えてなくなりそう。家格の差があり過ぎるのはわかっていたし、財力だって桁違いだと知っていたけれど、本当の意味で理解はしていなかったのだと思い知らされた。こんな華やかなところでやって行けるのかしら……
それでも、私がロクサーヌ様の侍女としてここで暮らすのは既に決まったこと。卒業後もここで働くかどうかを決める試用期間でもあるのだから尻尾を巻いて逃げ出すなんて出来ないわ。
荷物の搬入は公爵家の使用人が、その荷物の片付けはミラがしてくれたのもあり、お昼前には部屋はすっきり綺麗に片付いた。それでも自分の部屋だという実感は沸いてこないけれど、これは慣れるしかないわね。
「ジオネ様、ロクサーヌ様より昼食をご一緒に、とのことです」
ほっと一息ついていると使用人がやって来てそう告げた。一緒に昼食を。行かない理由はないわね。使用人に付いて行った先はどなたかの部屋のバルコニーだった。広くて明るくて、私の部屋よりも一回りも二回りも大きく感じる。バルコニーも広々として、大きな丸いテーブルと五脚の椅子が置かれ、そのうちの四脚は既に埋まっていた。そのうちの二人は見覚えがあるわ。
「オリアーヌ様、我が家へようこそ」
「お待たせして申し訳ございません。また素敵なお部屋をありがとうございます」
「あら、待っていないからそこは気にしないで。それよりも急に呼んでごめんなさいね。どうしても彼女たちを紹介したかったの」
明るいバルコニーではロクサーヌ様の銀髪が一層輝く。最高位といっていい身分をお持ちだけど気さくな方のようね。
「ご厚情感謝いたします」
「まぁ、そんな固い言葉遣いはよして。もっと気楽に接してちょうだい」
「ですが……」
さすがに新参者が馴れ馴れしく話しかけるなど出来るはずもないわ。
「でも、家の中でまで堅苦しくされると落ち着かないわ。友人として接してくださいな」
「……わかりました」
そう返すと笑顔を返されたから、これが正解でいいのかしら? うう、塩梅が難しいわ……ミレイユ様たちは同じ伯爵家だったから気にせずに済んだのだけど。
「そうそう、今更紹介は不要だと思うけれどカトリーヌ様とアンリエット様も私の専属侍女なの」
「左様でしたか。どうぞよろしくお願いします」
軽く頭を下げると二人も同じように返した。このお二人は知っているわ、同じクラスでいつもロクサーヌ様と一緒にいらっしゃる方だから。ご学友だと思っていたけれど、侍女でもあったのね。
「ふふっ、よろしくね。オリアーヌ様」
艶やかな黒髪を揺らしてカトリーヌ様がほほ笑んだ。色が白くて無機質に見える美貌が一気に柔らかさを帯びる。ロクサーヌ様とはまた違う種類の美人ね。セニエ侯爵家の方で、成績も常に上位争いに加わっていらっしゃる方。
「これからはご一緒なのね。仲良くしてくださると嬉しいわ」
そう言って華やかな笑みを浮かべたのは、グリニー伯爵家のアンリエット様。外では金の髪が一層輝いて見えるわ。女性らしい体系をお持ちで、お洒落にも敏感な方。今日もドレスも今流行りのものね。よくお似合いだわ。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
新参者だから出しゃばる気はないし、寵を争う気もないわ。
「そしてこちらがラシェル。分家のバシュレ家の子で、子どもの頃からずっと一緒なの」
「ラシェルです。どうぞよろしくお願いいたします」
「オリアーヌです。よろしくお導きくださいませ」
身分は低いけれど表情にも声にも他の方にはない柔らかさがあった。ロクサーヌ様が一番に信用しているのはこの方のようね。そして多分、一番ロクサーヌ様をご存じの方。困ったことがあったら彼女を頼ればいいのかしら。
「これからはこの五人で過ごすことになると思うわ。どうか仲良くなさってね」
「もちろんでございます」
ここに来てわざわざ騒動を持ち込む気なんかないわ。そんなことをしたらすぐに追い出されてしまうもの。特にラシェル様は要注意ね。彼女への扱いで私自身が見極められるのかもしれない。
緊張感に満ちた昼食を終えると、前もって話しておくことがあるからとロクサーヌ様に呼び止められた。残ったのはロクサーヌ様と私、そしてラシェル様。残りのお二人は一旦自室に下がられたわ。ラシェル様がお茶を淹れてくださったけれど、これだけでラシェル様が別格だとわかる。いえ、役目の違いかしら。彼女は話し相手や簡単な身の回りの手伝いをする侍女ではなく、更に広く身の回りの世話をする役目も担っているのかもしれない。私のミラのように。
「初めてで緊張されたでしょう?」
「はい」
ここは否定しなかった。実際凄く緊張したわ、女性同士が一番厄介だから。彼女たちの反感を買わないように気を付けないと。
「そうそう、これをお渡ししたかったの」
そう言ってラシェル様がテーブルに置いたのは、布の袋だった。目で促されたので手に取って開くと、出てきたのは分厚い書類の束だった。これって……
「私と関わりのある方々よ。この方たちだけは必ず覚えておいてほしいの」
「さ、左様でございますか」
これって……かなりの人数分あるけど、きっと最低限ってことよね? 名前や簡単な紹介文、それに肖像画も付いている。
「卒業の夜会までにはお願いね」
「かしこまりました」
十日ほどしかないのだけど……知っている顔があると願いたいわ。
「それから、卒業の夜会なのだけど……」
「はい」
「オリアーヌ様、エスコートはどなたが?」
尋ねられて、答えられなかった。
「実は、決まっていないのです」
ジルベール様と出るはずだった卒業の夜会。それは直前になって反故にされ、新しい婚約もままならなかった。このままだと一人で出るしかないのよね。
だけど、卒業の夜会はエスコート役が必須で、一人で参加するなどありえない。婚約者がいない場合、または出仕するなどして婚約していない方は家族がその役を担うのだけど、兄は格上の侯爵家の婚約者がいるからお願いするわけにもいかないし、いとこは二人いるけれど、一人は仕事で隣国に行ったままでもう一人は幼くて対象外。父にお願いするしかないと思っていたところ。
「だったら、マルセルはどう?」
「マルセル様、ですか?
薄茶の髪と、更に薄い瞳の男性が蘇った。ロクサーヌ様の兄君のエドガール様の従者を務めている方よね。
「ですが……」
ありがたいお申し出だけど、ご迷惑じゃないかしら? 醜聞の広がっている私をエスコートなどしたら、彼の名に傷がつくかもしれない。
「ふふっ、噂のことは気にしなくていいわ。そんなもの、私が、我が家がオリアーヌ様を侍女として迎え入れたと知れれば誰も口に出来なくなるから」
「さ、左様ですか……」
そうよね、身元に問題がある者を雇い入れるわけがない。雇ったということは噂が事実無根だと、公爵家は信じないと公言するも同じ。それくらい公爵家の力は強い。そしてそれを当てにしていたわ。
「ですが、マルセル様に婚約者は……」
「今のところいないから安心して。それに彼、あなたのことを気に入ったらしいのよ」
「え?」
そ、それって……
「ああ、安心して。彼が気に入ったのは『お兄様の相手として』よ」
そう言ってにっこりと、艶やかな笑みを浮かべられたけれど……ちょっと待って! どういうことなの? お兄様の相手って……冗談じゃ、なかったの?
「あの、その件は……」
「ああ、心配しないで。お兄様は今のところまったくその気はないから」
それは、安心していいところなの? その言い方だと、マルセル様だけでなくロクサーヌ様もその気のように聞こえるのは、気のせい? ちらとリシェル様に視線をやるとにこりと微笑まれた。あの、その笑みってどういう……
「じゃ、マルセルでいいわね。さすがに私の侍女が一人で出て悪目立ちするのは避けたいわ。それでなくても目立つから」
「……そ、そうですか」
そう言われてしまえば否とは言えなかった。うう、最初から断る選択肢なんてなかったみたいね。いえ、心配事が一つ片付きはしたのだけど。
「ドレスはございまして?」
「はい。実家に」
「それはあの浮気者に合わせて仕立てたものかしら?」
「ええ」
社交界に初めて出る夜会。そこで着るドレスは一生の記念になるもの。だから前々から相応の品を用意していたわ。今更同じようなドレスを仕立てる時間も費用もないから、それで出るしかないと諦めていた。
「そんな縁起の悪いものを新しい門出で着る必要はないわ。私が用意するから、それを着てね」
「ええっ? で、ですが……」
さすがに時間がないわ、もう十日ほどしかないのよ? それに、そこまでしていただく理由がない。
「気にしないで。私が嫌なだけだから」
そう言ってロクサーヌ様は優美に微笑まれたけれど、いいのかしら? ふと、さっきまでこの部屋にいた二人の顔が浮かんだ。ドレスを用意していただいて妬まれたりしないわよね?




