8話
エドは家の鍵を閉めると建物の外側に設けられた螺旋階段を降りていく。
レストが一階に入っているこの建物の最上階。
三階にエドは住んでいる。
二階は住居として使われておらず。
壁はなく周囲を低い柵が囲っているだけの開放的な造りになっている。ベランダと呼ぶのが一番近いかもしれない。
エドは降り切った所で立ち止まった。
朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。
「今日もいい日です」
小さく呟き、歩き出した。
エドには、毎朝決まって訪れる場所がある。
大祭、当日でもそれは変わらない。
カフェ『スウェア』
大祭に行く前に、
いつものように一杯のコーヒーを飲む。
それが、日課だった。
cafe 『swear』 スウェア
スウェアはレストよりも繁華街に近い場所に店を構えている。
そのため、レスト周辺と比べて比較的新しく、店構えもどこか洗練されている。
白く、漆喰を思わせる質感の壁、厚みのある磨りガラスの窓。
そして、木枠で囲まれた扉の上半分には磨りガラスがはめ込まれている。
エドが扉を開ける。
チリンチリンーーーー。
柔らかく小さなベルの音が店内に響いた。
「おはよー。エド」
カウンターの奥から声が飛んでくる。
赤髪を高い位置でポニーテールにまとめた女性が、咥え煙草のままでコーヒーを淹れていた。
「おはようございます。ライラさん」
ライラ
三十代の女性で、『スウェア』の店長だ。
白シャツのボタンをいくつか開け、胸元にはネックレスがのぞいている。
下はスラックスに腰エプロンを巻いている。
特徴的なのは赤髪だけではなく、両サイドを刈り上げている。
カフェ店員にはあまり思えない雰囲気が漂っている。
それもそのはず、
彼女は数年前まではSランク冒険者として名を馳せた魔術師だった。
しかし恋人を亡くしたことをきっかけに冒険者を引退。その後、スウェアを始めた。
今では、すっかりこの場所が彼女の日常になっている。
店内には、エドの他にもう一人、カウンターに座る客がいた。
「ゼルグさん。おはようございます」
エドが穏やかな笑みを浮かべる。
「おー、エド。おはよう!」
ゼルグもいつもと変わらない調子で返した。
ただ、どこか元気がない。エドはそう感じた。
「エド、いつものにする?今日は新作もあるけど?」
ライラが煙を吐きながら尋ねる。
「ほぉー新作ですか?」
エドは鼻を動かす。
「もしかして、このいい香りは、それですか?」
その言葉に、ライラは嬉しそうに頷いた。
「そうそう。今日から出す新作」
「是非それを」
エドが少し食い気味に返す。
「はいはい」
ライラが笑う。
エドはカウンターに並ぶ椅子の一つに手をかけた。
「ここ、よろしいですか?」
「おう、もちろんだ」
ゼルグが両手を軽く広げる。
エドはゆっくり椅子に腰を下ろした。
「、、、少しお疲れですか?」
「ん?ああ、、、まぁ少しだけな」
ゼルグが苦笑する。
「ワシは昔から、頭を使うのはあまり得意じゃない」
「あまり?」
コーヒーを淹れながら、ライラが口元だけで笑った。
「それですか?」
エドが指差したのは、ゼルグの前に置かれた一枚の紙だった。
「あ、、、ああ。これなんだが」
ゼルグの歯切れが悪くなる。目線が紙から逸れ、ライラへ向く。
「、、、、エドは大丈夫、信頼できる」
ライラは静かに言った。
「、、、、?」
首を傾げるエド。
ゼルグはしばらく黙っていたが、やがてその紙をエドの前へ差し出した。
「まぁ、、、これを見てくれ、、、」
エドは紙へ視線を落とした。
ーーーー!!!!
表情に出さなかった。
だが、内心ではかなり驚いていた。
そこには、紋章のような模様が描かれていた。
「ん?これは?」
あくまで平静を装い、尋ねる。
「大祭が催される三日前から、四つの国の要人たちが来賓として呼ばれているのは知ってるよな?」
「ええ」
「関係ないかもしれねぇが、、、、三日前、そいつらが到着した日から、、、、何者かによってグランツ王国人が八人も殺されてる」
「!!」
エドの目が僅かに見開かれた。
「大祭、、、中止した方がよいのでは、、、、」
エドの口から言葉が漏れる。
「それが、そう簡単にはいかねぇんだ」
ゼルグは苦い顔をした。
「グランツ王国は中立国だ」
「四つの国すべてと、一定の距離を保っているからこそ成り立っている」
「だから今回の事態を理由に、要人達を帰国させれば、、、、表向きは安全の為でも、場合によっては、グランツ王国が四つの国を疑っていると受け取られる可能性もある」
エドは黙って話を聞いた。
「もしそうなれば、四つの国すべてに対してあまりいい影響はねぇ」
ゼルグは続ける。
「それに、原因や理由はどうあれ、王都で殺人が起きてると公表すれば、、、グランツ王国そのものの印象も悪くなる」
「、、、、」
「武力じゃなく、政治力や国民性で四つの国と渡り合ってる以上、上の連中としては、そんな姿を外に見せたくはないわな」
その時、ライラがエドにコーヒーをそっと置いた。
「はい。新作」
「ありがとうございます」
エドは一度コーヒーへ視線を落とす。
それから、再び紙へ目を向けた。
「なるほど、、、」
そして、指先で紙に描かれた模様を示す。
「それでこの模様は?」
「ああ、、、、その犠牲者全員の額にこの模様が浮き上がっていた」
エドの表情から、僅かに笑みが消えた。
「わざと残したサイン、、、、か何か?」
「いや」
答えたのはライラだった。
煙草を指に挟み、紙の模様を見つめている。
「、、、呪印よ、しかもかなり高度な、、、」
ライラが答える。
「呪印?」
「魔術師が使う、魔法陣みたいなものね」
「なるほど、、、」
エドがゼルグを見る。
「それで、魔術師のライラさんに?」
「ああ、ワシには虫が這ってるようにしか見えんからな」
何故か自慢げに笑う。
ライラが呆れたようにゼルグを見る。
しかし、ゼルグすぐに表情を引き締めた。
「ただ、こいつがかなりの腕だと言う事はわかる」
「、、、、」
「犠牲者はSランク冒険者一人、Aランク冒険者二人、王国騎士団の隊長が三人と商人が二人だ」
エドの目が細くなる。
ゼルグの顔から、先ほどまでの穏やかな雰囲気が少しずつ消えていく。
「両手首と両足首を切り落とされ、、、、」
ゼルグが拳を握る。
「その状態で歩かせた挙句、腹を切り裂かれて殺されてる」
空気が重くなる。
ライラも煙草を咥えたまま、何も言わない。
「、、、さらに、その呪印だ」
ゼルグは紙を睨むように見つめた。
「たぶんその呪印は精神介入系、、、」
「人間の精神に干渉して、行動を操ったり、、、苦痛を与えたりするものね」
ライラは低い声で続けた。
「何かを探るために、そいつらを操って、、、それが終わった所で拷問して殺してる、、、とんでもない、クソ野郎よ」
ライラの声にも怒りが滲んでいた。
「最初に犠牲になったのは、騎士団の隊長だ」
「その日の夜、、、、王国騎士団長が、一人でこっそりワシのところへ来た」
「そこで初めて今回の事態と聞いた、、、しかし、王国騎士団は動けない事も、、、、」
「それで、その紙をワシに持ってきたわけだ」
エドは黙って、紙に描かれた呪印を見つめていた。
ーーその呪印はキングワイバーンと同じものだった。
「なるほど、、、、」
エドが小さく呟き、視線を落とす。
「まっ、ただの俺の愚痴だ!!忘れてくれ!お前は何も聞いてない!」
ゼルグが突然、明るい声でいつものように笑う。
「ふぅーーー」
ライラは紫煙をゆっくり吐き出す。
「エド」
「はい?」
「コーヒー、冷めるよ」
「あっ」
エドは目の前のカップを見る。
「おっと、危ないところでした」
いつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「では、新作いただきます」
一口飲む。香ばしい香りが口の中に広がった。
「、、、おいしいです」
「でしょ?」
ライラが満足そうに笑う。
いつもと変わらない日常だが、先ほどの話がエドの頭から離れなかった。
キングワイバーンと八人の犠牲者、、、
同じ呪印。
コーヒーを飲みながら、今日、大祭当日にも何か起こる、そんな気がしてならなかった。




