第28話 喪服を着たもう一人の女【前編】
石畳を叩く硬質な雨音は、天に背いた亡者たちが許しを乞うすすり泣きのようであり、あるいは世界を「灰」へ還そうとする無機質な葬送曲にも聞こえる。
黒百合の館の窓ガラスは、幾千もの雨に叩かれ、水滴が絶え間なく伝い落ちていた。
部屋の壁際には、ベルが硬い表情で控えている。
数日前に嗅いだ麻薬的で毒々しい「月下香」の残り香。
それが引き金となった凄惨なフラッシュバック以来、エンディミオンは応接室の長椅子から動こうとせず、ベルは主を不安げに見守ることしかできなかった。
エンディミオンの瞳はぼうっとしており、華奢な肢体は時折震えた。
「……おや。このような土砂降りの日に、随分と熱心なお客さまですね」
影の中から滲み出るように現れたバロウズが、意外そうな素振りを見せる。
その実、すべてを見透かすような笑みを浮かべた。
彼は一切の足音を立てず、玄関へ向かう。
ほどなくして連れてきたのは、全身を喪服で包んだ長身の女だった。
女の顔は夜の闇を織り上げたようなレースのヴェールに覆われ、輪郭さえも定かではない。
彼女が歩くたびに滴り落ちる雨水が絨毯に吸い込まれ、どす黒い血の染みのような跡を残していく。
女の周囲に漂うのは、清冽な雨の匂いではなかった。
幾星霜を経て熟成された古い墓の土のような匂い、そして濃厚な藿香と樟脳の混淆だった。どちらも魔術の儀式に用いられる香である。
「……依頼人かしら」
エンディミオンが、焦点の定まらない瞳を女に向けた。
「ええ。あなたに探していただきたいものがあるの」
女は迷いなく歩み寄り、エンディミオンの向かいにある革張りの椅子に腰を下ろした。
ヴェールの奥で二つの光が燃えている。
それは狂信者の執着か、あるいは深淵から這い上がった亡者の怨念か。
「何を、失ってしまったのですか。高価な宝石、それとも……誰かの秘密?」
「いいえ。形あるものではないわ」
女の指先が、膝の上でかすかに動いた。
「私が探してほしいのは……『約束』よ。今からちょうど十年前。今日のようなひどい土砂降りの夜に、ある少女と交わした血の約束」
「約束……」
エンディミオンの喉が、引きつった声を出した。
脳の奥で、ガラスが砕け散るような音が鳴り始める。
「少女は私にこう言ったわ。『あなたに私の持てるものすべてを渡す』と。けれど彼女は私を裏切った。私を現世に置き去りにし、自分だけは『忘却』という名の棺に逃げ込み、何もかもを忘れて……。先の見えない馬鹿げたお人形遊びに興じている」
「……」
エンディミオンは激しい眩暈に襲われた。
胃ごとせり上がるような吐き気を覚えた。
なんなのだろう。この女は何を言っているのだろう。
わからない。わからないから気持ちが悪い。
震える唇で、いつもの口上を紡ごうとする。
「失せもの……何なりとお探し、いたしますわ。ただし……」
「何が見つかりましても決してお恨みなさらぬよう、かしら?」
女が冷酷に言葉を遮った。
「滑稽ね。恨むことしか許されない人間に向かって、恨むなとは。本当にあの夜から何一つ変わっていないのね、あなたは」
女は黒い手袋に包まれた手で、抱えていた細長い布包みをテーブルに置いた。
「思い出せる? 『約束』の手掛かりよ」
布が滑り落ち、中から現れたのは、黒い絹の天蓋を持つアンティークの雨傘だった。純銀があしらわれた持ち手には、精巧な彫刻が施されている。
持ち手に刻まれていたのは、「茨に絡みついた一輪の黒百合」の紋章。
それに触れた瞬間、エンディミオンの脳内に、自らの意志とは無関係な言葉が溢れ出した。
『……ダルジャンクール家。私たちが暮らす、焼け落ちた館……』
エンディミオンはひっと短い悲鳴を上げ、手を引っ込めた。
自分は今、何を考えた。
焼け落ちた? 何が? この館が?
そんな馬鹿な。館は今も健在で焼け落ちてなんかいない。
「な、ぜ……これをあなたが?」
何かに魅入られたように、エンディミオンは傘から目を離せなくなった。
「あの夜、あなたが手放したものを私が拾い上げたの。……正確には、あなたが私にこれを押し付けたのよ」
女の宣告が、エンディミオンの内に重く響き渡った。




