第24話 あなたのからくり人形の魂と狂気【前編】
陰鬱な雨が降っていた。
その日、黒百合の館の扉を叩いたのは、びしょ濡れの外套を羽織った一人の男だった。
「頼む。探し出してくれ。私の最高傑作を動かすための『最後の部品』を!」
応接室の絨毯に泥靴のまま這いつくばった男は、灰璃でも名を知られた天才時計技師、エリアスであった。
だが、彼にかつて王室の時計さえ手がけたという面影はない。やつれきった顔、血走って白濁し見開かれた双眸。
全身からは、機械油と錆の匂いが生々しく漂っていた。
「私の創り上げた『自動人形』は完璧なのだ。骨格も、筋肉の動きも、陶器の肌の滑らかささえもすでに人間を凌駕している。だが動かない。いくら精巧な歯車を組み込もうとも一切が静止したままだ」
エリアスは自らの頭髪を搔き毟り、血を吐くような声で哀願した。
「欠けているのは、心臓部に組み込む幻の宝玉『原動石』だ。純真無垢なる原動石さえあれば、あの子は人間になる。だが、どこへ行ったのか……」
「原動石ね……。バロウズ、心当たりはある?」
主に問われた執事は、興味なさそうに首を振った。
「はて、聞いたことがありませんね」
「その石は本当に実在するのかしら。あなたの頭の中にのみ存在するものでは……?」
エンディミオンの鋭い指摘にもエリアスは耳を貸さず、同じことを繰り返した。
「頼む、黒百合の館の主よ。失われた私の『宝玉』を見つけ出してくれッ!」
噛み合わない会話と狂態に、エンディミオンは寡婦のドレスの裾をかすかに揺らした。
そして氷のような微笑を浮かべた。
「からくり人形に命を吹き込むための、純真無垢な宝玉ね……」
酷薄な声が響く。
「わかりました。あなたの失せもの、お探しいたします。……ですが、この世に存在しないものを求めても詮なきこと。見つからなくてもお恨みなさいませぬよう」
「あ、ああ……。まずは私の屋敷に来てくれ。イーストエンドの工房で待っている」
エリアスは、ブツブツと独り言を呟きながら、雨の中を慌ただしく去っていった。
茶を淹れるべく支度をしていたベルは、男の放つ異様な殺気と執着に、理由のわからない薄ら寒さを感じ、自らの腕を抱きしめた。
イーストエンドにあるエリアスの工房兼屋敷には、エンディミオンとバロウズ、そしてベルの姿があった。
先に戻っていたエリアスが、待ち構えていたように重い扉を開ける。
時計の工場も兼ねた広大な敷地の奥に、エリアス専用の工房があった。
工房の中は時計だらけだった。数十、数百もの秒針が時を刻む音が鳴り響いている。
部屋の中央の卓の上に横たわっていたのは、等身大の少女の自動人形だった。陶器でできた白い肌、精巧な硝子の瞳、関節の継ぎ目すら芸術的に隠されたその肢体は、確かに芸術品と呼ぶべき美しさを誇っていた。
「よく来てくれた……! この子です。これを生きて動かすための宝玉を探してほしい」
エリアスが、人形の頬に自身のそれを擦り寄せながら恍惚と呟く。
だが、エンディミオンは人形には一瞥もくれず、扇を口元に当て、ひどく不快そうに眉を顰めた。
「お嬢さま。お気づきになりましたか」
バロウズが耳元で囁く。
「ええ。時計の油の匂いで誤魔化しているつもりかしら。奥から血の匂いが漂ってくる」
エンディミオンの視線は、工房の奥――不自然なほど厳重に鎖が巻かれた「倉庫」へ入る鉄扉に向けられていた。
彼女はすたすたと奥に向かう。
「どこへ行くんだ。私が欲しているのは、この子の宝玉だ。待ってくれ、そこはただの資材置き場で――」
エリアスが血相を変えて制止しようとするが、エンディミオンは黙殺した。
「開けなさい、バロウズ」
「御意に」
バロウズが革手袋をはめた手で鎖と南京錠に手をかける。力を入れるわけでもなく、難なく引き千切ってしまう。重い鉄扉を一気に開け放つ。
その瞬間、真っ暗な倉庫から噴き出してきたのは、地獄の釜の底を煮詰めたような腐乱臭、そしてカサカサと蠢く大量の虫とネズミであった。
「……ッ!」
ベルが口元を押さえ、悲鳴を飲み込む。
すさまじい臭気がする倉庫に足を踏み入れた三人の前に広がっていたのは醜悪な屠殺場であった。
広大なコンクリートの床には、幾筋ものどす黒い血の跡が這い回っている。奥には真鍮の管と巨大な蒸気機関、そして不気味なガラスの培養槽が、冒涜的な祭壇のようにそびえ立っていた。
そして――培養槽の周りに積み上げられていたもの。それは何十体もの幼い子供たちの屍だった。
おそらくは、貧民窟からさらわれてきたのであろう孤児たち。
彼らの肉体には無数の管が突き刺され、血と髄液、そして生きながらに味わわされた極限の苦痛と絶望から「何か」を抽出しようとした、おぞましい人体実験の痕跡が生々しく刻まれていた。




