第21話 見えない「イマジナリーフレンド」【後編】
深夜になった。
少女の寝室は分厚いカーテンに閉ざされ、漆黒の闇に包まれていた。天蓋付きの豪奢なベッドの中央で、少女は浅く苦しげな呼吸を繰り返している。
寄生霊が活発になる時間を待ち、部屋の隅に腰かけていたエンディミオンの前に、濃い影の溜まりがずるりと這い出てきた。
影は次第に形を成し、子供ほどの背丈を持つ「何か」へ変貌していく。
輪郭だけは少年のようであったが、顔があるべき場所には真っ黒な穴が開き、その奥には無数の針のような牙がびっしりと生えている。
『アぁ……アァ……遊ボウ……ヨ。モット、君ト、ズット……』
いびつな声色で囁きながら、怪物は少女のベッドへ這い寄った。この醜悪な幻魄こそが、少女が愛してやまない唯一の友人トミーであった。
「そこまでよ、下等な霊障」
凛とした声が寝室に響く。
静かに進み出たエンディミオンが、化け物を睨み据えた。
ただならぬ気配に気づき、ベッドの上の少女が目を開く。
「あ……お姉ちゃん? それにトミー? 帰ってきたの?」
少女は怪物の姿を見てもなお、友人と信じて疑わない。嬉しそうに手を伸ばした。
エンディミオンは、少女に向かって事実を告げるべく口を開いた。
「よく見なさい。それはあなたのお友達ではないわ。あなたの孤独に寄生し、命を啜るだけの――」
諭すような声は、低い男のそれに遮られる。
「お嬢さま。無駄ですよ」
突如、怪物の背後の空間がギイイと音を立てて歪んだ。
異空間の裂け目から、ぬらりと現れたのはバロウズであった。
「彼女には、同じ歳くらいの少年にしか見えません。心を食われてしまっているのですから」
彼の漆黒の瞳は、空腹で爛々と輝いている。
『ギ……?』
怪物が振り返るよりも早く、バロウズの手が怪物の顔面――無数の牙が覗く、虚無の穴が開いた頭部を鷲掴みにした。
「バロウズ! 何を」
エンディミオンが叫ぶ。
「少々小腹が空いておりましてね。失礼」
次の瞬間、バロウズの口が耳の後ろ、人間の骨格や皮膚を完全に無視した角度まで一気に裂けた。
大きく開かれた口の中には、サメのような鋭い牙が幾重にも並んでいる。
辺りにメチャァッと不快な音が響き渡った。
バロウズが怪物の頭部へそのまま食らいつき、鋭い牙で噛み砕いたのである。
『ギィィィィアァァァッ!』
怪物の絶叫。
霊体であるはずの身体から、腐臭を放つどす黒い体液が四方八方に飛び散る。
だが、少女の目には、人間の少年が生きたまま頭から噛み砕かれ、真っ赤な鮮血を撒き散らしているという地獄のような光景が映った。
「やめなさい、バロウズ!」
エンディミオンが制止しようと踏み出すが、捕食に夢中なバロウズから放たれる黒い霊圧に阻まれ、近づくことができない。
「ト、トミー! トミーがあああああ!」
ベッドの上の少女が恐怖に目をひん剥き、金切り声をあげる。
執事の食事は止まらない。
頭や首を齧り、ゴリゴリと噛み砕き、咀嚼してゆく。
「ああ……少々泥臭いが、子供の生命力をたっぷりと吸い込んだだけあって美味い。やはり子供は最高だ。極上の甘味だ」
バロウズは感嘆しつつ、もがき苦しむ怪物の手足を引きちぎり、上質な菓子でも味わうかのように次々と口へ運んでいく。
骨のような芯が砕ける音。粘ついた肉や神経が引き裂かれる音。怪物が怪物に食われるという凄惨な光景は、トミーが完全に胃の腑へ収まるまで続いた。
やがて、食事は終わった。
バロウズは、口の周りにべったりと付着した黒い体液をハンカチで優雅に拭き取った。
「あ、あ……あああ……」
一部始終を目撃した少女はベッドのシーツを引き千切らんばかりに握りしめ、全身を激しく震わせた。
彼女の唯一の心の支え。唯一の友人だったトミー。
それが目の前の男に、生きたまま噛み砕かれ、呑み込まれてしまったのだ。
「あああ……アアアアア――ッ!」
少女の口から放たれたのは獣のような雄叫びだった。
彼女は自らの頭を掻きむしり、ベッドの上をのたうち回った。狂ったように笑い、泣き叫んだ。
「トミー! トミーが食べられちゃった! 私のトミーが。嫌だ、嫌ァ! アハハハハ、返して。返してよ。トミー! トミー! ひ、ひひひひひィ!」
瞳は焦点を失い、よだれを垂らしながら悶える。
命を脅かす霊障は消え去ったが、その代償として彼女の脆弱な心は粉々に砕け散ってしまった。
エンディミオンは大きく息を吐き、バロウズを睨みつけた。
「野蛮な真似を。私が事実を説明し、別れを告げさせるつもりだったのに。……これで、この子は現実を受け入れて前に進む機会を永遠に失ってしまった」
エンディミオンが咎めても、バロウズは悪びれる様子もない。彼は開き直ったように答えた。
「おや、いけませんでしたか。私は屋敷に巣食う不快な害虫を駆除したまでですよ。これでもう依頼人の命が脅かされることはありません。彼女は健康を取り戻すでしょう。精神はどうであれ、ね」
「……」
エンディミオンは押し黙り、狂乱してベッドの柱に幾度も頭を打ちつけ始めた少女から目を逸らした。
最悪の結末だ。病魔を取り除くために、患者の精神ごと殺してしまったようなものである。
バロウズが追い打ちをかけるように言った。
「懇切丁寧に説明したところで同じですよ。依頼人の精神は、怪物と癒着していましたから。引き剥がさないと肉体が死ぬ。引き剥がせば心が壊れる。命を優先するなら、手っ取り早く片付けた方が効率的かと」
「……そうね」
「おわかりいただけましたか?」バロウズの声は愉悦を含みつつも、どこか懐疑的だ。
「ええ。彼女ではどのみち耐えきれなかった……」
エンディミオンも理解はしたものの、やりきれない気持ちでいっぱいになった。漆黒のドレスを翻し、逃げるように廊下へ飛び出した。
背後から聞こえる少女の悲鳴と狂笑。
それはか細く尾を引きつつも、次第に小さくなっていった。




