第20話 見えない「イマジナリーフレンド」【前編】
その夜、「黒百合の館」の扉を叩いたのは、一陣の冷たい風と小柄な影であった。
応接室の椅子にちょこんと腰掛けた依頼人は、まだ七つか八つにしかならない少女だった。
最高級のレースがあしらわれたドレスを着ているが、その姿は痛々しい。頬は痩せこけ、顔色はくすみ、眼窩にはぼんやりとした虚ろな瞳が嵌まっていた。
それだけではない。彼女の足元はうっすらと透け、蝋燭の火が揺らぐたびに身体の輪郭がぶれる。
生身の人間ではなかった。自らの命の危機を悟った少女の魂が、無意識のうちに肉体を抜け出し、助けを求めてやって来た。要するに「生霊」であった。
「私の一番のお友達を探してほしいの」
少女の幽体は、枯れ枝のような指を組み合わせ、舌足らずな声で言った。
「名前はトミー。私にしか見えない秘密のお友達。パパもママもお話してくれないから、いつもトミーと遊んでいた。昼も夜も一緒で……。でも三日前から、突然声が聞こえなくなったの。トミーがいないと私はひとりぼっちで……息ができないの」
興奮気味にしゃべった後、少女は急に黙った。
みるみるうちに涙があふれ出し、床に落ちる前に空中に溶けて消えた。
エンディミオンは、ヴェールの奥から少女を観察した。
「あなたにしか見えない秘密のお友達ね」
少女が熱心に語るトミーは、実在する人物とは思えなかった。いわゆる『イマジナリーフレンド』――空想の友人である。
少女の家は大金持ちだったが、両親は少女の容姿を「醜い」と言って疎み、育児放棄していた。世話は使用人たちに丸投げし、少女がどんなにすがっても邪険にあしらった。
本来ならば、孤独な子供が自らの心を守るために生み出した無害な幻影。一般的な探偵であれば、子供の戯言として一笑に付すか、適当な人形でも与えて誤魔化すだろう。
だが――エンディミオンは気づいた。
少女から、ひどく甘ったるい「死の匂い」が立ち上っていることを。
「わかりました。あなたの大切なお友達を見つけましょう」
少女の虚ろな瞳にかすかな光が宿る。
エンディミオンは、銀の鈴を転がすように決まり文句を紡いだ。
「失せもの、何なりとお探しいたします。……ただし、暗闇の底から何が這い出してきましても、決してお恨みなさいませぬよう」
翌日の午後。
エンディミオンとバロウズは、灰璃の西区にある少女の邸宅を訪れていた。
両親は常に家を空けて遊び歩いており、広大な屋敷には生気を失って眠り続ける少女と、彼女に無関心な使用人たちが残っていた。
屋敷に足を踏み入れた瞬間、バロウズは顔をしかめた。
「これはひどい有様ですな」
真昼だというのに、屋敷内は氷室のように冷え切っている。
人間の目には見えないが、壁の至る所に黒く変色した澱みがこびりついている。
どこからともなく赤ん坊の泣き声と、爪で壁を引っ掻くような不快な音が聞こえてきた。
極めて悪質な、霊障の痕跡だった。
「空想の友人、ではありませんね」
バロウズは手を伸ばすと、壁の黒い澱みをすくい取って匂いを嗅いだ。
「依頼人の孤独と悲しみに付け込み、子供の純粋な生命力を啜る低級な『寄生霊』。それがトミーの正体でしょう。少女の命を喰らって太り、今は羽化のために屋敷の影に隠れて『消化』を行っているとみました」
「随分と大食らいな害虫ね」
エンディミオンにも澱みは見えているのか、ドレスの裾を持ち上げて慎重に歩を進める。
「依頼人は長くは持たないわ。このまま命を吸われ続ければ、数日のうちに死ぬ」
「いかがなされますか、お嬢さま。あれはすでに依頼人の精神と深く結びついております。無理に引き剥がせば、彼女の心に深刻な後遺症が残るかと」
「私の仕事は、依頼された『失せもの』を見つけることよ」
エンディミオンの声は冷徹だったが、瞳の奥には悲壮な決意が浮かんでいた。
「あの子に真実を見せるしかない。唯一の友人が自分を食い殺そうとしている化け物だということをね。……残酷だけれど、事実を知って自ら別れを告げさせなければ」
「お嬢さまはお優しいですね」
バロウズはどこか醒めた顔で言った。
「何が言いたいの?」
「いいえ、何も。奴は一時的な消化を終えれば、再び依頼人の生命力を喰らいに現れます。姿を現す夜の帳が下りるまで、寝室の影で待ち伏せるといたしましょう」




