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失せもの探しのエンディミオン  作者: kiyoaki


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第11話 鏡の中の私、鏡の外のお前【前編】

 街を深い微睡(まどろ)みへと誘うかのように、今日も冷たい霧が石畳を濡らしている。

「黒百合の館」の応接室には、奇妙な空気が漂っていた。

 部屋の中央に置かれているのは、銀の装飾が施された身の丈ほどもあるアンティークの姿見である。

 その鏡面の向こう側――「鏡の中の世界」から、耳を刺すような甲高い声が、くぐもった音となって響き渡っていた。

「出して。ここから出してちょうだい。私は由緒正しきローラン伯爵家の娘セシルよ。なぜ私がこんな暗い檻の中に閉じ込められなければならないの」

 鏡の中にはドレスを纏い、亜麻色の髪を振り乱した少女が両手で必死にガラスを叩いている。

 彼女の背後には、左右が反転した薄暗いローラン邸の廊下が映し出されていた。

 その狂乱を、館の主――エンディミオンは冷ややかに見つめていた。

 鏡の中からとはいえ、これも依頼人には違いない。憂鬱そうに口を開いた。

「鏡に映った『もう一人の自分』に、現実の肉体と居場所を乗っ取られた。そういうことね?」

「そうよ。あの泥棒猫がやったの。突然、鏡の中から私の腕を掴んで、こちら側へ引きずり込んだのよ。そして、私を置いてそちら側に逃げ出してしまった。あれはとんでもない化け物よ。今頃、私の身体を使ってお父さまやお母さま、婚約者のエドワードさまと過ごしているかと思うと……気が狂いそう」

 彼女の叫びに、ベルが銀のトレイを抱きしめたまま震える。

「なんて恐ろしい話。ご自身の分身に身体を乗っ取られてしまうなんて……」

 エンディミオンは立ち上がると、一点の曇りもない鏡の表面に指を這わせた。

「いいわ。あなたの失せものを、すなわち肉体と現実へ帰る方法をお探しいたしましょう」

 それから、鏡の中の少女に向かって忠告する。

「……ただし、何が見つかりましてもお恨みなさいませぬよう。それが、あなたが信じている『居場所』の真実であったとしても」


 数日後、閑静な高級住宅街に建つローラン伯爵の屋敷にエンディミオンたちはいた。

 かつては栄華を極めた館も、今は手入れが行き届かずあちこちが蔓草(つるくさ)や雑草に覆われている。

 壁の漆喰はところどころ剥がれ落ち、使用人の姿もまばらである。

 エンディミオンは「アンティーク品の査定と買い取り」という名目で屋敷を訪れた。事業に失敗し困窮する伯爵家は、屋敷にある古い家具や小物を売りに出して糊口をしのいでいる。

「古い鏡に閉じ込められた令嬢。本物と偽物の二人がいるとは……。難儀な案件ですね」

 古式ゆかしい控えの間を見渡しながら、呑気なことを言うバロウズをエンディミオンはきつく睨んだ。

「何を言っているの。古道具屋に流れたあの姿見を、買い取ってきたのはあなたじゃない。まったく厄介ごとを持ち込んで」

 バロウズは悪びれる風もなく軽く頭を下げる。

「申し訳ございません、お嬢さま。鏡の中から聞こえて来たセシル嬢の嘆きが、あまりにも面白……いえ、痛々しかったもので。つい慈悲心を起こしてしまいました」

「あなたに慈悲があるなんて。明日は大雪ね」

「雪どころか、火山が噴火するやもしれませんよ」

 そんな益体のない会話をしていると、奥の扉が開き、粗末な木綿の服を着た少女が入ってきた。

 セシルだった。鏡の中の本物と寸分たりとも違わない。

 彼女は「お客さま。どうぞ、奥に」と言い、隣の部屋に促した。


 応接間で、セシルは精いっぱいのもてなしとして、古い茶葉で淹れた茶を差し出した。

「ごめんなさい。久しぶりのお客さまだというのにおもてなしもできなくて。お父さまの会社が倒産してからは色々ありまして。……お口に合えばいいのですが」

 鏡の中で叫び散らしていた本物とは、纏う空気がまるで違う。貴族特有の高慢さは微塵もなく、謙虚な物腰である。

「セシル、買い取りの方が来てくれたのかい?」

 杖をついた初老の男――ローラン伯爵が入ってきた。

 セシルは慌てて立ち上がり、父親の身体を支えた。

「お父さま、起きていらして大丈夫なのですか。足のお具合は? 痛むのでは?」

「いや、大丈夫だ。今日は調子がいい」

「どうか無理はなさらないで。お父さまあってこころ我が家ですもの。こうして家族一緒に過ごせる時間が、私には何より大切なのですから」

 偽物のセシルは、嘘偽りのない清らかな瞳で父親を見つめる。伯爵もまた涙ぐみながら愛娘の頭を撫でた。

「ああ、本当にお前は……。以前の我儘や散財が嘘のように立派な淑女になってくれた。どん底にあった私を救ってくれたのは、お前の優しい心だよ。エドワード君も、今ではすっかりお前に夢中じゃないか」

「そんな、お父さま。私はただお父さまのお役に立ちたいだけで……」

 いたわり合う親子の光景を、エンディミオンはヴェールの奥からじっと観察する。


 名目通りアンティークの小物を幾つか買い取った帰り道。

 馬車の中で、エンディミオンは皮肉な笑みを浮かべた。

「代役としては完璧ね。一分の隙もない芝居を観せられた気分だわ」

「何がでしょう」

 向かいの席に座ったバロウズがとぼけてみせる。

「あの子よ。偽物のセシル。彼女は、セシルが心の中に思い描く『理想の自分』そのものなんだわ。家族に頼りにされ、婚約者からも愛される心優しき令嬢」

「ですが、先ほどの令嬢に人間らしさは皆無ですね。まごうかたなき『虚像』でもあります」

「虚像が肉体を手に入れ、本物よりずっと見事に『セシル・ローラン』の役割を演じているなんて……」

 バロウズは燕尾服の襟を直し、背を伸ばした。

「人間は摩訶不思議な生き物ですな。虚像の方が本物よりも愛されるという事実。……お嬢さま。あの鏡の呪いを解く方法は、すでに見つけ出しております」

 バロウズは懐から、銀色の液体が入った小瓶を取り出した。

「満月の月光をすくい取り、蝙蝠の血と純度の高い水銀を混ぜ合わせた霊薬です。これをあの姿見に塗りつけ、銀の槌で鏡面を打ち砕けば虚像、すなわち偽物は砕け散ります。セシル嬢は肉体へ戻るでしょう。……さて、どうされます?」

「決まっているわ。依頼人の望む通り、失せものを返してあげるだけ」

 エンディミオンは馬車の窓の外、霧が立ち込める街を退屈そうに見つめた。


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