第7話「近すぎる距離」
校外学習当日。
朝から空はうっすら曇っていたが、雨は降っていない。
バスが並ぶ校門前には、いつもより騒がしい空気が広がっている。
「おい、班のやつどこだよ」
「置いてかれるぞ!」
「楽しみだなー」
前田敏弘はその光景を少し離れた場所から見ていた。
手には小さなリュック。
必要最低限の荷物だけが入っている。
(遠足みたいなものか)
そう思ったとき――
「前田くん!」
岡倉真優美が駆け寄ってきた。
いつもより少しラフな服装。
髪も軽くまとめている。
「おはよう」
「おはよう!」
真優美は少し息を切らしていた。
「遅くなってごめん、バスギリギリだった」
「大丈夫、まだ時間ある」
そのやりとりを、周囲の数人がちらちら見ている。
もう“いつもの光景”になりつつあった。
バスに乗り込むと、班ごとに席が決まっていた。
「ここだ」
敏弘が窓側の席に座る。
真優美が隣に座る。
自然な流れになっていた。
だが後ろの席から声がする。
「また隣かよ」
「ほんと固定されてるじゃん」
真優美は少しだけ気にしたように目を伏せる。
敏弘は気づいていた。
しかし何も言わない。
バスが動き出す。
街並みがゆっくり後ろへ流れていく。
最初は騒がしかった車内も、徐々に落ち着いていく。
真優美は窓の外を見ていた。
「ねぇ」
「ん?」
敏弘が返す。
「こういうの、ちょっと楽しいね」
「どこが」
「なんか、学校っぽい」
真優美は笑った。
敏弘は少しだけ視線を外す。
(学校っぽい、か)
自分には少し遠い感覚だった。
目的地は歴史資料館と自然公園。
午前は見学、午後は班行動。
最初の資料館では、真面目な説明が続く。
「この地域は江戸時代から……」
真優美はメモを取り続けていた。
その集中力に敏弘は少し驚く。
(ほんとに真面目だな)
休憩時間。
「疲れた?」
敏弘が聞くと、真優美は首を振る。
「全然。こういうの好き」
「意外」
「何それ」
軽く笑い合う。
その瞬間、少しだけ空気が柔らかくなる。
昼食後、自然公園へ移動した。
班ごとに自由行動。
広い森と小道。
鳥の声と風の音。
「どっち行く?」
真優美が地図を広げる。
「どこでもいい」
「それ一番困るやつ」
真優美は少し呆れながらも笑った。
結局、小さな展望台を目指すことにした。
山道は思ったよりも急だった。
「意外ときついねこれ」
真優美が息を整える。
「運動不足じゃないの?」
「うるさい」
軽口を叩きながら進む。
だが途中で、真優美の足が止まった。
「……あ」
「どうした?」
「ちょっと足、痛いかも」
昨日の軽い捻挫がまだ完全に治っていなかった。
敏弘はすぐに気づく。
「無理するな」
「大丈夫、歩けるから」
「ダメ」
短い言葉。
真優美は少し驚く。
敏弘はしゃがむ。
「少しだけ」
「え?」
「支える」
一瞬、真優美は固まる。
「いいよ、そんなの」
「班行動だろ」
そう言って、敏弘は自然に手を差し出した。
真優美は少し迷った。
でも、その手を取った。
「……ありがと」
その瞬間。
二人の距離が一気に近くなる。
手と手。
体温が伝わる距離。
真優美の心臓が少しだけ早くなる。
(近い……)
展望台に着く頃には、真優美の足も少し落ち着いていた。
「ここ、すごいね」
広がる景色。
街と山が一望できる。
真優美は目を輝かせる。
「ほんとだな」
敏弘も静かに答える。
しばらく沈黙。
だがそれは心地よい沈黙だった。
真優美がぽつりと言う。
「ねぇ前田くん」
「ん?」
「今日さ、ちょっとだけ思ったんだけど」
「何」
「前田くんといると、普通の高校生って感じする」
敏弘は少し黙る。
「俺が?」
「うん」
真優美は笑う。
「最初はすごい人だと思ってたけど」
「今は?」
少し間。
真優美は小さく言った。
「普通の、ちょっと優しい人」
その言葉に敏弘は少しだけ目を細めた。
帰りのバス。
真優美は疲れて少し眠ってしまった。
窓に寄りかかるようにして。
敏弘はその横で静かに座っていた。
(普通の人、か)
その言葉が頭の中で何度も繰り返される。
悪くない気がした。
むしろ――
少しだけ嬉しかった。
だがその頃、後方の席では別の会話が生まれていた。
「やっぱあの二人、絶対ただのクラスメイトじゃないよな」
「距離近すぎ」
「なんかもう完成してる感じある」
噂は、静かに確実に広がっていく。
それが後に、二人の関係を大きく揺らすことになるとはまだ誰も知らない。
バスは夕暮れの校門へ戻っていく。
窓の外はオレンジ色に染まり始めていた。
そして――
今日という一日は、確かに何かを変えた。
第8話へ続く




