第5話「試験と約束」
五月。
新しいクラスにも慣れ始めた頃、青葉学園高校では最初の大きな試験が近づいていた。
中間試験。
掲示板にはすでに範囲表が貼り出され、教室の空気も少しずつ緊張感を帯びていく。
「やばい、全然勉強してない」
「数学ムリなんだけど」
「今回落としたら補習だぞ」
そんな声が飛び交う中、岡倉真優美はいつも通りだった。
いや、いつも以上に集中していた。
放課後。
教室にはほとんど人がいない。
真優美は一人、机に向かっていた。
ノートはびっしりと埋まっている。
「ここは……こうで……」
小さく独り言を言いながら、何度も問題を解き直す。
そこへ。
「まだ残ってたのか」
声。
前田敏弘だった。
真優美は顔を上げる。
「あ、前田くん」
「勉強?」
「うん。試験近いし」
敏弘は少しだけ驚く。
「もうこんな時間だぞ」
時計はすでに午後六時を回っていた。
「前田くんは?」
「俺も少し」
そう言いながら、敏弘は真優美の向かいに座る。
真優美は目を瞬かせた。
「え、ここで?」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど……」
少し戸惑いながらも、真優美は笑った。
静かな教室。
ペンの音だけが響く。
時々、真優美がつまずく。
「ここが分からないんだけど……」
敏弘はさらっと説明する。
「ここはこの公式使う」
「え、そんな簡単に?」
「簡単じゃなくて、慣れてるだけ」
真優美は少し悔しそうに笑う。
「やっぱり頭いいね」
「そっちこそ集中力すごいよ」
その言葉に真優美は少し嬉しそうにうつむいた。
しばらくして。
真優美がふと呟く。
「ねぇ前田くん」
「ん?」
「もし今回の試験、私がいい点取れたらさ」
「何かお願いしていい?」
敏弘は少し考える。
「何それ」
「いいでしょ?」
真優美は少し笑う。
敏弘は肩をすくめた。
「別にいいけど」
「約束だよ!」
その瞬間、真優美の表情が少し明るくなる。
試験当日。
静かな教室。
鉛筆の音だけが響く。
敏弘は余裕があった。
だが真優美は違う。
一問一問、慎重に解いていく。
(大丈夫……落ち着いて……)
心の中で何度も繰り返す。
数日後。
結果発表の日。
掲示板の前には人だかりができていた。
「やばい、順位出てる」
「俺終わったかも」
真優美は少し離れたところで深呼吸する。
敏弘が横に立つ。
「行くぞ」
「うん……」
二人は同時に掲示板を見る。
敏弘。
学年上位。
予想通りの順位だった。
周囲がざわつく。
「やっぱり前田すげえ」
だが敏弘はあまり興味がなかった。
視線は真優美へ向かう。
真優美の名前。
その横に書かれた順位。
クラス上位。
さらに――特待生クラス内でも上位。
「……え」
真優美は固まる。
「ほんとに……?」
自分の目を疑う。
敏弘は小さく言った。
「やったじゃん」
真優美の目が少し潤む。
「……うん」
「約束、覚えてる?」
敏弘の言葉に、真優美は一瞬止まる。
そして小さく笑った。
「覚えてる」
放課後。
屋上。
風が少し強い。
真優美は深呼吸したあと、言った。
「お願い、聞いてくれる?」
敏弘は頷く。
「いいよ」
真優美は少し間を置いてから言った。
「もっと普通に話してほしい」
「普通に?」
「うん。前田くんって、なんか遠いときあるから」
敏弘は少し驚く。
「俺が?」
真優美はうなずく。
「うん」
「同じクラスなのに、たまに別世界みたい」
敏弘は空を見た。
少し考えてから言う。
「別世界なのは、たぶん事実だな」
真優美の表情が少し曇る。
だが次の瞬間。
敏弘は続けた。
「でも、同じ教室にはいる」
「それじゃダメか?」
真優美は少し黙る。
そして――
「……ううん。いい」
小さく笑った。
その夕方。
二人の距離は、少しだけ近づいていた。
だが同時に、まだ見えない“壁”も確かに存在していた。
そしてその壁は、これから徐々に形を変えていく。
第6話へ続く




