第15話「空白の時間」
翌日。
教室の空気は、昨日よりもさらに“整理された静けさ”になっていた。
前田敏弘はいつも通り席に座っている。
だが、そこにあるはずの自然な流れがない。
(……静かだな)
視線を横に向ける。
岡倉真優美の席。
彼女はいる。
いるのに、違う。
教室に入ってきても、目が合わない。
合っても、一瞬で逸らす。
「おはよ」
真優美の声。
以前より一段低い。
敏弘は短く返す。
「おう」
それだけ。
休み時間。
クラスメイトたちは少し戸惑っていた。
「え、なんか前と違くね?」
「喧嘩した?」
「でも普通に話してるしな」
“中途半端な距離”
それが一番人をざわつかせる。
昼休み。
真優美は一人で食堂へ向かった。
敏弘は教室に残る。
本を開くが、読めない。
(……別にいいはずだ)
そう思うのに、集中できない。
その頃。
食堂。
真優美はトレーを持って座っていた。
向かいには誰もいない。
(静かだな)
そう思う。
でも、静かすぎる。
スマホが震える。
女子グループのメッセージ。
『岡倉さん、最近前田くんとどう?』
真優美は少し固まる。
『ちょっと距離置いてる』
送信。
すぐに返事。
『え、やっぱり?』
『正解じゃん』
その言葉に胸が少し痛む。
(正解)
放課後。
教室。
敏弘は机に座っている。
誰もいない。
そこへ。
男子が一人近づく。
「なぁ前田」
「何」
「岡倉さん、最近一緒にいないけど」
敏弘は視線だけ上げる。
「どうでもいいだろ」
男子は少し驚く。
「いや、別に……」
気まずくなって去る。
敏弘はため息をつく。
(どうでもいい、か)
自分で言った言葉なのに、少し違う気がした。
その夜。
真優美は机に向かっていた。
ノートは開いている。
でも文字は進まない。
「集中できない……」
小さく呟く。
スマホを開く。
トーク画面。
「前田くん」
打ちかけて消す。
また打つ。
消す。
(今送っていいのかな)
結局、何も送れないまま画面を閉じる。
同じ夜。
敏弘は自室で天井を見ていた。
(連絡、来ないな)
別に待っていたわけじゃない。
でも、来ない。
時計の音だけが響く。
翌日。
さらに変化が起きる。
教室。
真優美はいつもより早く来ていた。
だが、敏弘の席には近づかない。
その代わり、別の女子と話している。
「岡倉さん最近忙しいの?」
「うん、ちょっと色々あって」
笑っている。
でも敏弘は気づく。
(無理してる笑いだな)
昼休み。
敏弘は廊下を歩いていた。
すると。
「前田くん」
振り返る。
真優美。
でも、少し距離がある。
「ちょっといい?」
二人は屋上へ向かう。
鍵は開いていた。
風が強い。
沈黙のまま立つ二人。
真優美が先に言う。
「ごめんね」
敏弘はすぐ返す。
「何が」
真優美は少し笑う。
「距離置くって言ったのに、呼んじゃった」
敏弘は空を見る。
「別にいい」
沈黙。
真優美は言う。
「ねぇ前田くん」
「ん」
「今さ」
「ちゃんと離れてるよね」
敏弘は少しだけ黙る。
そして言う。
「形だけな」
真優美は目を見開く。
「え?」
敏弘は続ける。
「距離ってのは、席とかじゃない」
「話すかどうかでもない」
真優美は黙る。
敏弘は真っ直ぐ見る。
「気持ちだろ」
その言葉に、真優美の胸が跳ねる。
「私……」
言葉が詰まる。
「ちゃんと離れてるつもりだった」
敏弘は少しだけ目を細める。
「つもり、な」
真優美は唇を噛む。
(やっぱり違うのかな)
そのとき風が強く吹く。
真優美の髪が揺れる。
敏弘は一歩近づく。
真優美は逃げない。
「岡倉」
名前で呼ぶ。
真優美は少しだけ顔を上げる。
「お前が決めた距離ならそれでいい」
「でもな」
「俺はまだ、何も終わってないと思ってる」
その言葉は重かった。
真優美は息を飲む。
「終わってないって……」
敏弘は視線を外す。
「さあな」
そして屋上を降りていく。
真優美は一人残る。
風だけが強く吹く。
(終わってない)
その言葉が頭から離れない。
そして初めて気づく。
「距離を置く」という選択は
何も解決していなかった。
むしろ――
もっと分からなくしていた。
その夜。
二人はまた眠れなかった。
それぞれの胸の中で
同じ言葉が繰り返される。
「終わってない」
第16話へ続く




