第11話「すれ違いの温度」
朝。
雨は止んでいたが、空はまだ重かった。
濡れたアスファルトが光を反射して、どこか落ち着かない景色になっている。
前田敏弘はいつもより少し早く教室に着いていた。
机に座り、ぼんやりと窓の外を見る。
(昨日のままか)
真優美との距離は、はっきりと“少し遠い”状態のままだった。
教室のドアが開く。
「おはよー」
軽い声が飛び込んでくる。
岡倉真優美。
しかしその声は、以前より少しだけ控えめだった。
「……おはよう」
敏弘が返す。
一瞬、間が空く。
真優美は自分の席に向かう途中で、ちらっと敏弘を見る。
視線が一瞬重なる。
だが、すぐに逸れる。
「……」
(やっぱり、ちょっと気まずい)
真優美は小さく息を吐いた。
休み時間。
真優美の周りに女子が集まる。
「ねぇ岡倉さんさ」
「うん?」
「前田くんと最近どうなの?」
ストレートな質問。
真優美は一瞬固まる。
「どうって……別に普通だよ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと!」
笑ってごまかす。
だがその笑顔は少しだけ固い。
その会話を、敏弘は少し離れた席から聞いていた。
(普通、か)
小さく息を吐く。
昼休み。
珍しく、真優美は教室に残っていた。
弁当を開くが、あまり箸が進んでいない。
そこへ。
「食わないのか?」
敏弘が来る。
真優美は少し驚く。
「食べるよ」
「食べてない」
「……見てた?」
「見えるだろ」
沈黙。
真優美は少しだけ困ったように笑う。
「ちょっと考えごとしてて」
「何の」
「……別に」
敏弘は隣の席に座る。
「別にって言うな」
真優美は箸を止める。
「前田くんさ」
「ん」
「ほんとに気にしてないの?」
敏弘は即答する。
「何を」
「噂とか、周りの目とか」
敏弘は少しだけ黙る。
「気にしてないって言ったら嘘になる」
真優美は顔を上げる。
「じゃあ……」
「でも、どうでもいいとは違う」
敏弘は続ける。
「お前がどう思うかの方が大事だろ」
その言葉に真優美は少し目を伏せる。
「……それが分からないんだって」
敏弘は眉を動かす。
「分からない?」
真優美は少し声を落とす。
「前田くんといるの楽しいよ」
「それは本当」
「でもさ」
「見られるのが怖いのも本当」
敏弘は静かに聞いている。
真優美は続ける。
「前田くんは堂々としてるじゃん」
「私はそうじゃない」
「同じ場所に立ってない気がする」
敏弘は少しだけ息を吐く。
「じゃあ聞くけど」
「お前は俺と並びたいのか?」
真優美は一瞬固まる。
「それ……難しいよ」
「何が」
「そういうの考えたことない」
敏弘は少しだけ笑う。
「だろうな」
真優美はむっとする。
「何それ」
「別にバカにしてない」
沈黙。
そのとき、後ろの席から男子が話している声が聞こえる。
「でもさー、やっぱ岡倉と前田ってさ」
「付き合ってないって言い張ってるけど怪しいよな」
「どっちかが告白すればいいのに」
真優美の手が止まる。
敏弘も聞こえている。
「……またそれか」
敏弘が小さく言う。
真優美は顔を伏せる。
「ほら、こういうの」
敏弘は立ち上がる。
椅子が少し音を立てる。
「おい」
後ろの男子たちが振り向く。
「何?」
敏弘は淡々と言う。
「そういう話、面白いか?」
男子たちは少し笑う。
「いや冗談だって」
敏弘は続ける。
「冗談でも、人のこと勝手に決めるな」
一瞬、空気が止まる。
男子たちは気まずそうに視線を逸らす。
「……悪いって」
敏弘はそれ以上言わず席に戻る。
真優美はその様子を見ていた。
(また……守ってくれた)
でも同時に思う。
(それでいいのかな)
放課後。
廊下。
真優美が先に歩き出す。
「前田くん」
振り返る敏弘。
「何」
真優美は少し迷ってから言う。
「さっきは……ありがとう」
敏弘は短く答える。
「別に」
少し沈黙。
真優美は続ける。
「でもさ」
「うん」
「そうやって守られるの、ちょっと慣れてない」
敏弘は止まる。
「どういう意味だよ」
真優美は小さく笑う。
「そのまま」
「私はまだ、自分でどうしたいか決めきれてないのに」
「前田くんはどんどん“正解”にしてくる感じがして」
敏弘は黙る。
真優美は慌てて付け足す。
「悪い意味じゃないよ!」
「ただ、ちょっと追いつけないだけ」
敏弘はゆっくり言う。
「追いつく必要あるのか?」
真優美は固まる。
「それも……分からない」
その返事に、敏弘は少しだけ目を細める。
「分からないばっかだな」
少しだけ呆れたような声。
真優美はムッとする。
「しょうがないでしょ!」
「まだ高校生なんだから!」
その瞬間、少しだけ空気が軽くなる。
敏弘は小さく笑う。
「まあな」
真優美もつられて笑う。
でもその笑いの奥には、まだ答えのない“距離”が残っていた。
その夜。
二人はそれぞれの部屋で同じことを考えていた。
(このままでいいのか)
(でも変えるって何を?)
答えはまだ出ない。
ただ一つだけ確かなのは――
この関係は、もう「ただのクラスメイト」では戻れない場所にいるということだった。
そして、次の日。
小さな出来事が、その迷いをさらに揺らすことになる。
第12話へ続く




