大火と厄災の子 (17)
あやかし祓いの音が鳴っている間に立て。それが祖父から命じられた颯の最初の修練内容だ。
連続的に鳴らされるときもあれば、膝をついてあと少しで立てそうな瞬間を狙って鐘を鳴らされるときもあった。
祖父は颯を鍛える名目でいたぶれるこの時間を楽しんでいるようで、颯が呼吸を乱して頭痛に顔を歪めるたびににんまりと不気味に口角を上げている。
颯を通じてあやかし――もとい颯の父親への恨みをぶつけているようでもあった。
畜生、とはらわたが煮えくり返り、突き動かされるように音に対抗して立ち上がりかけるが、毎回駄目押しに大きな音を奏でられてしまう。おかげでまだ一度も立ち上がることができず、颯が気絶するまで修練が続く日々になっていった。
ようやく暗黒の時間に光が射したのは、颯が櫻井家に連れてこられてから一月ほどのこと。
季節は春を迎え、庭木の膨らんでいた蕾が開いて淡い色の花を咲かせ始めていた。
「っ、……、はあ、くっ、うっ!」
俯いた颯の額から落ちた大きな汗の玉が床の上に染みを作る。
がくがくと揺れて今にも崩れ落ちそうな膝に手を置き、震える脚に力を入れて踏ん張った。
「ようやく立ったか」
祖父は感心というよりも呆れた声で言うと、生まれたての子鹿のように立ち上がった颯を見下ろした。
頭が痛い。早く座り込みたい。
しかし修練を始めてから初めて立てたのに、すぐに倒れ込んでしまうのも惜しかった。
颯がどれだけ立っていられるのか試すように祖父は鐘を鳴らし続けた。
独特な金属音が耳に届くのではなく脳内に直接伝わってくる感覚は叫びたくなるほどに心地が悪い。毎日聞かされても慣れることは一生なさそうだ。
それでも颯はそれに耐えられるようになっていた。実際は慣れたのではなく、音が響いていても我慢できるようになっただけ。半妖である自分が完全にこの音に苦しめられないようになるのは到底不可能だと、心のどこかでは察してしまっている。しつこく奏でられる不協和音に苛立ちながら、祖父を睨んで毅然と立ち続けた。
「生意気な目は変わらんようだな」
忌々しそうに言いながらも祖父はあやかし祓いの鐘を振る手を止めた。ふっと不快感が消えて、颯は大きく息を吸い込んだ。
「はあ、はあ、た、立ったんだ。これで文句は、言わせないぞ……!」
「そうだな。第一関門は突破だ」
そんな予感はしていたが、修練に続きがある現実を突きつけられて嫌気が差した。
あの鐘の音に慣れること以上に何を望んでいるというのだ。耐えられたら人間としての素質は十分あるだろうに。
すっ、と。祖父の目が細められた。
空気がひりついたと感じたときにはもう、離れた場所に立っていたはずの祖父に距離を詰められていた。思いきりみぞおちを殴られる。
「っ!? ぐぅっ……!!」
衝撃が強くて息が止まったかと思った。殴られた場所を押さえながら膝から床に崩れ落ちる。
「はっ、あ、っあぁ……」
遅れてやって来た痛みに悶え、芋虫のように丸まった。脂汗で背中が濡れている。
「次の修練だ。俺の攻撃を避けられるようになれ」
淡々と言われ、とどめのようにまた鐘を鳴らされた。非情な追い打ちに颯の身体はますます小さく縮こまる。
ようやく我慢して立てるようになったばかりなのに……。今度は音に耐えながら動けだなんてあんまりだ。
自由に動くことならかろうじてできそうだが、祖父からの一方的な攻撃を避けなければならないなんて不規則すぎて無茶振りである。
だけど弱音は吐けない。吐いたところで何も変わってくれない。引き下がる道さえない颯には、祖父に出される修練の課題を一つ一つこなしていく道しか残されていなかった。
「くそぉぉっ!」
悪態というよりも、自分を鼓舞するために叫んだ。床を殴ると拳が痛む。まだ痛みを感じられるうちは、自分の心は死んでいないのだと実感させられた。
それから二つ目の修練を合格とみなされるようになるまで半月がかかった。
最初の立てるようになるまでと比べたら確実に耐性ができているらしく、音の方には日々適応してきているのが自分でもわかった。それは人間の血を継いでいるからなのだろうが、音に慣れるほどに自分の中のあやかしの部分を押し殺しているみたいで複雑な気持ちになる。
「っ、どうだ! 全部避けてやったぞ!! これで文句は言わせねぇからな!」
息をつく暇もなく十連続で繰り出された祖父の拳と手刀と蹴りを見事に全部かわして、颯は挑発するように笑った。頭に響く音を気にせず動けている身体は多少の倦怠感だけが残っている。
ずっと攻撃を繰り出していた祖父も疲れているのか肩が上下していた。白髪混じりの乱れた前髪を後ろに撫でつける。
それでも表情はいたって冷静なままで、颯の言葉を気にも留めていないのか「次にいくぞ」と事務的に告げてきた。
「次はおまえから私に攻撃しろ。身体であればどこでもいい。一度でも当てられたら合格にしてやろう」
「……素手しか駄目か?」
「当たり前だ。拳一つ当てられないやつに妖術を使わせるわけがなかろう。身の程をわきまえろ未熟者めが」
「なんだよ、何もそこまで言わなくていいだろ!」
「文句があるのならなおさら大人しく従え。そんなに妖術を使いたいのなら、次ならば妖術を使う修練をしてやろう」
颯のやる気を引き出すつもりで言っているのかもしれないが、まだ終わりがないと知らされただけでうんざりした。それでも、やるしかないのだけど。
祖父が羽織を脱いで投げ捨てる。一筋縄ではいかないような風格を感じる佇まいだった。
颯も片足を引いて構える。
「絶対、その顔を殴ってやる!」
「面白い。できるものならやってみろ」
不敵に笑う男の顔を目掛けて、颯は拳を握り締めながら床を蹴った。
結果、また半月が過ぎた。
おまけに顔を殴ることは叶わず、背中に渾身の拳をぶつけた段階で合格とされた。あの醜悪な男の顔を歪ませられなかったのは悔しいが、合格は合格だと自分を納得させた。
次の修練は、武道場の中に結界を張って行われるらしい。颯の蒼炎で建物が燃えるのを塞ぐ目的のようだ。
これも修練の一つだと命じられて、結界は颯一人で張らされることになった。陣を描くことを許されず、建物の内部とはいえ広範囲になる結界を妖力だけで覆うのはさすがに無理だと訴えたが、とりあえずやってみろと言われるので渋々と屈んで床に両手を置く。
自分を起点にして意識を室内に巡らせた。その意識を辿るように手のひらから妖力を伸ばしながら張り巡らせる。
恐らく途中で結果が破れると思っていたが、意外にも結界を張ることに成功した。自分で張ったばかりの結界を目を丸くしながら見つめる。
「えっ、できた?」
「そのようだな。ただ、あまり持続性はなさそうだ。強度は申し分ないみたいだが」
祖父が結界の膜に触れると、火花を散らせて手が弾かれていた。その様子を颯は信じられない気持ちで見た。
ちゃんと衝撃も反射できてる。いつの間にこんな結界を作れるようになっていたんだ……。




