大火と厄災の子 (18)
家を守る結界を張るときはいつでも描いた陣を起点にしていた。妖力の溜まり場を作らないと、どうしても結界が脆くなってしまうから。
それなのに、今はもう陣を必要とせずとも張ることができている。
妖力を流すために床についていた手のひらを見る。知らぬ間に妖力が強くなっているのを感じ、複雑な気持ちで顔を歪めながら拳を握った。
「結界が消える前にさっさと終わらせるぞ」
颯は静かに頷いた。
妖力の修練とやらは今までとは少し系統が違っていた。祖父対颯の実戦形式ではなく、颯個人で妖力の操作性を高める練習を行うらしい。
言葉で説明されるが正直よくわからなかった。今まで父親と山の沢で鍛練していたときはいつも、小さな蒼炎の球を投げ合うようなことしかしていなかったから。
「力の扱い方は異能も妖力もさほど変わらんだろう。まずはこれを見ろ」
日焼けした大きな手のひらが上に向けられる。その上にすっぽりと収まるぐらいの薄黄色の光の球が現れた。表面が流動しているのか波打っているような筋が見える。
その光を見るのは初めてなのにどこか懐かしく感じる。なぜだろうと考えてすぐにわかった。母親の気配と似ているのだ。
颯がじっと見つめているとそれはひゅっと突然小さくなった。丸い形を保ったまま、小指の爪の大きさぐらいになっている。
「さあ、真似てみろ」
「えっ」
「火の玉を作ればよい。最初から小さいものを作るのではない。手のひらの大きさのものを作ってから縮めるのだ」
「……わかった」
言われるままに右手を広げて火の玉を作った。蒼い炎が渦を巻いて球体になっているそれは、父親と鍛練するときに生み出していたものだ。遠い記憶に感じるそれに鼻の奥がつんと痛む。
「それをこの大きさにしろ」
見本の小さな光を差し出される。
それを見ながら徐々に出力する妖力を減らしていくが、あと少しで同じ大きさになりそうなところで祖父が隠し持っていたあやかし祓いの鐘を鳴らしてきた。
不意を突かれて妖力の流れが乱れる。球体の形を保つことができず、やむを得ず火の玉は雲散する羽目になった。
不機嫌を隠せない顔のまま舌打ちした。
「なんで邪魔するんだよ!」
「誰も邪魔しないとは言っておらんだろう。おまえが勝手に邪魔されないと思っていただけだ。詰めが甘いぞ」
「くそっ!」
「ほれ、さっさと真似せんか」
厭らしい笑みを携えた祖父は振り鐘をちらつかせた。どこまでも性格が悪い。
何がなんでも早くこの修練を終わらせてやると颯は意気込んだ。
しかし、現実は颯に手厳しかった。
蒼い火の玉を徐々に小さくさせることは見ているよりずっと難しい。妖力を出すのは簡単だが、その威力を球に保ったまま減らすというのは二つの力の流れを作らなければならないからだ。
頭でその流れを理解するのに三日、実際に身体で成し遂げるのに七日間を要した。平常時ならまだしも、颯の集中を削ぐように鐘の音が横槍を入れてくるのだからたまったものじゃなかった。
そんな状況でも課された難題を無事にこなせると自信がついたし嬉しい気持ちが湧いてくる。
地獄のような修練は、奇しくも颯を成長させてくれる側面を持っていた。
一度に複数の球を小さくできるようになった数日後。
いつもは修練をする朝にしか蔵から出してもらえないのに、その日は昼過ぎにも外へ出るように命じられた。しかも向かうのは武道場ではなく、大きな屋敷の方だった。
「何を突っ立っておる。早く上がれ」
土間で立ち尽くしていると顎をしゃくって急かされた。それでも本当に入っていいのか疑いながら草履を脱ぐと、祖父は廊下の奥へ向かって歩き出した。置いていかれないように慌ててあとを追う。
廊下は長く、部屋も多くて屋敷がとても広いのがわかる。外から見ているときよりも広く感じるのは、どこへ連れていかれるのかわからない不安に苛まれているせいだろうか。
どこかから人の話し声や足音が聞こえてくるが、誰かとすれ違うことは一度もないまま奥まった場所にある部屋の前まで歩かされた。
「入るぞ」
祖父が一方的にそう言って襖を開ける。中にいた人物の姿を目にした途端、颯は祖父を押し退けるようにして駆け寄った。
「お母さん!!」
窓辺に寄りかかるように腰かけて外を眺めていた母親に颯は思いきり抱きついた。
「……颯?」
夢を見ているようにぼやけた表情が颯に向く。颯はその頬を両手で包み、狼狽えるように揺れる瞳としっかり見つめ合った。
「そうだよ、颯だよ! お母さん、僕のことわかる?」
「わかるわっ、私の大事な……風炎さんと私の宝物の颯だもの」
母親の目にみるみるうちに涙が溜まり、颯の胸の中に縋るように額を埋めて泣いた。声を上げながら脇目も振らずに泣く姿はか弱く、ずいぶん憔悴してしまっているのが見てとれた。
きっとここに連れてこられた日からずっと、あることないことを吹き込まれて心を病むように仕向けられていたのだろう。自分は間違っていると、強制的に思い込ませるために。
引き離されていた間に小さくなったように感じる母親の震えている身体をしっかりと抱き締めながら、颯は憎悪で濁った目を部屋の入口で突っ立っている祖父に向けた。
「……何がしたいんだよ。おまえにとっては自分の子どもだろ!? こんなに弱らせてなんとも思わないのか!」
「躾ならば仕方あるまい。自分の子どもが間違った道を歩んでしまったのだ。その道を正してやるのが親の務めというものだ」
「僕たちが何を間違ったっていうんだよ! 自分の思い通りにいかなかったらおかしいなんてふざけてるだろ!」
懸命に訴えたところで自分たちの考えが交わることなはないのだと、冷めた目で見下ろしてくる祖父を見上げて察してしまった。
それでも言わずには言われない。三人で過ごしてきた時間は、否定され踏みにじられていいものでは決してないのだから。
「お父さんとお母さんが誰かを傷つけたのか? 許してもらえないことを恨んで、あやかしと人間に悪意を放ったのか? 何もしてないよな!? 勝手に嫌ってきて正義ぶったこと言ってるんじゃねぇよ!」
拳に妖力が纏う。蒼く燃える手で殴りかかろうとすると、後ろからお腹に回された腕に勢いよく引き止められた。
「だめっ、颯! 暴力はだめ!!」
「離してよお母さん! 先に向こうが僕たちを傷つけてきたんじゃないか!」
「いやっ、それでもだめ! それだけはだめなのよ……」
首を横に振りながら母親は颯を抱きとめる腕の力を強めた。涙で濡れた顔に見つめられながら懇願されて、やり場を失った手がだらんと脱力する。鼻の頭にくしゃりとしわを寄せた。
「こんなやつを庇うんだ……」
「違うわ、颯に人を傷つけてほしくないからよ……。傷つけられたら傷つけていい理由なんてないわ。やり返したらまた新たな傷つけてもいい理由が相手に増えていくだけ。終わりがなくなってしまうのよ」
「でも……」
言いたいことはあったが、母親の真摯な目の威力に押されて口にすることは憚られた。




