大火と厄災の子 (16)
こんな一方的な理不尽を浴びせられるために生かされているのなら、その方がましに思えてきていた。
しかし颯の懸命な叫びを聞いた男性は不敵に口角を上げる。朦朧とする視界の中でとらえた、笑っているのに笑っていないように見える濁った瞳が不気味で印象的だった。
「殺すわけなかろう」
「なん、で……!」
「おまえは化け物の子ではあるが半分は巴の血を引いておる。つまりはこの櫻井の家の血を継いでいるのだ。そう簡単に消してしまったらもったいないだろう?」
道具で無理矢理顎を上げさせられた。まじまじと顔を見つめられる。
「幸い鬼の角は生えてきておらんようだからの。見た目も人間だ。目の色が変わるのは致し方ないが、異能の効果だと誤魔化すことはできるだろ」
「なにを、言って……」
「櫻井颯として――人間として人間のために生きろ。それが厄災をもたらしたおまえに唯一残された道だ」
命じるように言いながら男性がまた道具を鳴らした。顔の目の前で鳴らされて目眩がする。
「ぬわあああ……! ぐうっ、はあ、はっ……」
「簡単なことだ。まずはこのあやかし祓いの鐘の音に耐えられるようになれ。人間ならば、こんな音には一切動じないのだからな」
鐘だというその道具を振りながら男は嘲り笑う。
あまりにも無茶振りだった。あやかしを祓うために造られた道具で半妖である颯にも効果があり、今まさに動けなくなるほどに苦しめられているというのに、それに平然としていられるほどに堪え忍べと言われているのだ。
「おえっ……」
治まらない頭痛の気持ち悪さに限界を迎えて激しく噎せると胃液が吐き出された。それでも楽になれない。永遠に続くかもしれない苦しみに涙が滲んだ。
「ちっ、もう限界か」
吐き捨てるような言葉がぼんやりとしてきた意識の中で聞こえる。床に伸びたまま下りてくる瞼に耐えきれずに目を閉じると、暗闇の中で颯の意識は途切れた。
次に颯が目が覚めたとき、また蔵の中に閉じ込められていた。
頭痛や胃へのむかつきは感じないが、ふわふわと酔うような感覚が残っているみたいで完全にすっきりはしていない。
のそりと起き上がると、颯が寝かされていた毛布のそばに皿と椀が置かれているのに気付いた。椀には水が入っているようだが皿の上のものは初めて見る。触ってみると四角くてものすごく堅い、表面が乾燥している何か。同じ形状のものが何枚かある。匂いも感じられないが、ご丁寧に皿まで用意しているのだからおそらくこれが今日の颯の食事ということだろう。
武道場で気を失ったあとところまでは覚えている。皮肉にも血が繋がっている祖父の醜悪な顔が浮かび、拳を震わせながら颯はぎゅっと目を閉じた。
何もできなかった。ひたすらあの音に苦しめられるだけでまともに立つことすら叶わず、妖力で反撃しようと考える余裕さえ一切与えてもらえなかった。
自分の非力さに打ちのめされて肩が震える。手も足も出ないのがこんなにも悔しいと思うなんて……。
所詮、両親に守られ甘やかされてきた子どもなのだと悟った。永遠に、家族三人だけの世界があればよかった。だけどもう、それはどこにもない。
父親は行方知れずのままで、再会できた母親の心と身も颯のもとから離されてしまった。今度こそ正真正銘の一人ぼっちになっている。
こんな苦行を強いられるのなら人生を手放してしまいたいのに、それさえもあの祖父は許してくれないようだった。
「なんだよ、人間になれって……」
渇いた笑いが漏れた。散々痛みに絶叫したあとだからか声が掠れている。潤したくて椀の中の水をちびちびと飲むとしくしくと痛んだ。
半分あやかしの血が流れている颯が完全に人間になるなんて理屈では絶対に不可能だ。だけどあの男は為そうとしている。
きっとあやかし祓いの鐘とやらの力に免疫をつけさせて、人間として振る舞えるようにさせたいのだろう。人間からもあやかしからも疎まれる半妖ではない、ただの人間に偽装するのが目的のようだった。
世間から疎まれる因子なんてさっさと殺して存在ごと抹消した方が楽なはずなのに、わざわざ結界の中に秘匿してまで正体を偽らせる方向で隠蔽する狙いはなんだ?
考えて思い出したのは、祖父に呼ばれた名前だった。
「櫻井颯……お母さんの家の名前か」
ずっと颯という名前でしか生きてきていないので、慣れない苗字がついた自分の名前に苦い顔をする。
祖父はいずれ、この家に自分を迎え入れるつもりなのか? こんな蔵に幽閉し、修練とは名ばかりの拷問をする相手を?
「物好きだな、趣味が悪い……」
嘲笑がひんやりとした空気に溶けていく。
自分の人生が悪趣味なあの男の手に握られてしまったことだけは嫌でもわかった。悲しさよりも悔しさが勝つ。
「お母さんは大丈夫だよね……」
少しでも母親の気配を感じれないかと蔵の鉄扉に張り付いてみるが、結界を張られているせいか何も得られなかった。仕方なくそこにもたれかかりながら足を投げ出す。
颯にとっては祖母にあたる女性に肩を支えられて屋敷の中へと連れていかれた際の、母親の心神喪失しているような虚ろな目が瞼の裏に焼きついていた。おそらく祖父に異能と言葉を巧みに使われて父親のことを信用できない流れに持っていかれたのだと思うが、今もまだあの状態だったらどうしようと不安が募る。
颯の呼びかけにも応じなかった。このまま離ればなれになった自分を忘れていくのではないかと考えるとじわじわと恐ろしさが忍び寄ってくる。
「大丈夫、きっと大丈夫……」
必死に言い聞かせて唇を噛んだ。
祖父母は母親をこの家に連れ戻したがっていたのだ。屋敷に迎え入れていたし颯と違って雑な扱いは受けていないと信じるしかない。
颯は皿の上のものに手を伸ばした。
お腹は全然空いていないが、食べておかないとまた行われるはずの修練に耐える体力がつかない。
「かったぁ、なんだこれ」
手触り以上にそれは堅かった。噛ろうと力を入れた奥歯が痛んだだけで噛みきれていない。
仕方ないので椀の水にしばらく浸してからもう一度挑戦してみると、今度はなんとか食べられるようにはなっていた。水を含んでもぼそぼそとした食感で味もないようなものだったが、疲れていた颯の胃を膨らませるには十分だった。
修練という颯にとって苦痛な時間は一日一回、決まって早朝に訪れた。
まだ屋敷の方で人が起きている様子がない静寂の中、祖父は颯を蔵から武道場へと連れ出した。抵抗は許されない。ただ黙って祖父のあとについていき、武道場に押し込まれて地獄が始まる。




