大火と厄災の子 (15)
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悪い夢のような現実から逃れたいのに、ほとんど眠れぬまま朝を迎えた。
遠くから聞こえる鳥らしき声が、日光が届かない蔵の中で身を縮こませている颯に時間の経過を教えてくれている。まともに眠れないのにずっと横になっているのもつらくて、むくりと上体を起こして目元を擦る。
するとちょうど、人の気配が近付いてくるのがわかった。すっかり覚えてしまったそれに身構えようと頭が一気に働き始める。
結界と施錠が解かれ、遠慮なく開けられた鉄扉から容赦なく射し込む朝日に目を細めた。
「出てこい、修練の時間だ」
逆光になって表情が見えない人影が端的に告げてきた。
修練なんて知らない。しかし抵抗したところでろくな目に遭わないのはわかりきっている。颯は返事するより早く立ち上がると、寝不足でよろよろとする足取りで蔵を出た。
「ついてこい、逃げようなんて思うなよ?」
母親の父――颯にとって祖父にあたる男性は脅すように低い声色で言うと先に歩き始めた。
……逃がす気なんてないくせに、偉そうに牽制はするんだな。
祖父のあとを着いていきながら、颯を拒絶するような威厳を感じる背中に向かって心の中で悪態をついた。そして視線は庭を囲う竹垣に移る。昨日ここに来たときにはなかった結界が張られていた。恐らくこの家の敷地は完全に結界に覆われているだろう。
閉じこめた蔵だけでなく外にも結界を張っているなんて随分と念入りである。もう半妖の颯の存在は明るみになって人間たちにもあやかしたちにも知られているはずだが、まるでここに隔離して秘されているみたいな扱われ方に感じる。
しかし、なぜそんなことをする必要があるのかわからず、状況を分析しようとしていた颯の思考は靄に包まれてしまった。
庭を歩き、昨日母親が入っていった屋敷の玄関の前を通りすぎる。ちょうど正門を中心にしたときに蔵と真逆の位置に平屋の建物があった。
草履を脱いで中に入る祖父を真似て裸足で踏み入る。磨かれて艶がある木目の床はほどよい弾力性があり、歩くだけで動きやすいと感じた。何かの道具なのか荷物らしきものは壁の一面側に寄せられていて、何も置かれていなくて床だけの空間が広がっている。
壁の上の明かり取りの窓からは柔らかな朝日が静謐な空間に降り注いでいた。
「ここは武道場だ。これから毎日、颯にはここで修練を行う。私が決めた量をこなせるまで飯にはありつけないから、せいぜい死ぬ気で励むんだな」
広い武道場の真ん中で歩みを止めて振り返った祖父は淡々とそう説明してきた。
「修練……何をさせる気だよ」
意図が読めずに訝しげに祖父を見上げると、祖父は武道場の荷物が積み重なったところから何か道具を持ち出してきた。
片手で持てる大きさのものだ。赤褐色で光沢のあるそれを祖父は軽く横に振った。
――カーン……!
「っ、!?」
一瞬、小さな音だと思った。しかし耳に届くのではなく直接脳内に響くそれは反響し、まるで激しく頭を揺さぶられているみたいな酔いに襲われる。立っているのが困難になり、颯は膝から崩れ落ちて床に手をついた。額には脂汗が滲み、動悸に合わせて呼吸が荒くなっている。
「ほう、試作品だが効果覿面のようだな」
悶える颯を見下ろして嬉々とした声を出す祖父に恐怖というよりも不快感を抱いた。今すぐ体当たりしてあの得体の知れない道具を奪いたいが、視界が回っていてまともに立てそうにすらない。
目の前に祖父がしゃがみ込む。
深く息を吸いながらどうにか顔を上げると、余裕を携えて愉快そうに笑う不気味な顔がすぐそこにあった。
「どうだ、苦しいか? ほれ、何とか言ってみたらどうだ? いつもの生意気な口で言ってみろ」
「っ、てめっ……!」
煽りに耐えきれずに眼前の憎たらしい顔に殴りかかろうとするが、また祖父が謎の道具を振ったことで叶わなかった。カンコンカンコンと甲高い音が連続して鳴り、頭全体が激しい痛みに襲われる。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
どうすることもできない痛みから逃れようと頭を押さえながら床でのたうち回る。痛みだけでなく酔いもあるので胸が気持ち悪くなった。えずくと目尻から涙がこぼれる。
「ははっ、いい気味だなぁ! 見た目は人間でも所詮は化け物の血が流れておるからのぉ。軍が新たに開発したあやかしを祓うための道具がよく効くようだ」
上機嫌な高笑いが耳につく。
さっき鳴らされた道具の音が頭の中に響かなくなると痛みは緩やかに引いていくが、倦怠感が全身にのし掛かっていて颯は横たわったまま動けなかった。
息苦しさから逃れようと必死に呼吸しながら自分を見下ろす男性を見る。子どもが苦しんでいる姿を見て平然と浮かべている満面の笑みの方が、ずっとが化け物と呼ぶに相応しい醜悪な顔だった。
あやかしを祓うための道具なんて造られているのか……。
見た目は小振りだが頭に轟く音の威力がすごい。一度鳴らされてしまえば一瞬で身体の自由を奪われるに等しい効果だった。
未だに動けずにいる颯の顔を、男性はそのおぞましい道具で小突いてくる。
「ほら、さっさと立て。立たんとまた鳴らすぞ」
「っ、」
身体が嫌な感覚を覚えてしまっている。脅しに屈したくないのに、早く立たなければと自ずと踏ん張ってしまった。
しかし気持ちとは裏腹に上体を起こすので精一杯で、もたもたしている間にまた道具を鳴らされてしまう。
――カーン……コーン……。
「ぐうっ……!」
奥歯を噛み締めながら握った拳を床に叩きつけて、倒れそうになるのを堪えた。背中はもう汗でびっしょりと濡れている。息も絶え絶えだ。
「ほう、早くも適応してきたか」
興味深そうな声のあとに容赦なくまた音を鳴らされた。隙をついて立ち上がりたいのに、続けざまに鳴らされるのでそんな余裕は微塵もなかった。
意識が飛びそうになる寸前の痛みが通りすぎるのを待ち、苦しさに耐えるだけでどんどん体力が消耗されていく。
身体を起こしているのも一苦労で、頭に響く音が残っている間は床に肘をついて這いつくばるのが限界だった。
「おい、もうへばったのか? その根性も叩き直す必要がありそうだな」
「ぐわあああ!」
痛みに耐えながら必死に起き上がろうと試みた瞬間、横っ腹を蹴られて倒れこむ羽目になった。視界が揺れているせいで自分が天井と床のどちらに向いているのかわからない。手探りで床に触れるが、力が入らず起きるのは不可能だった。
いっそ意識が飛んでしまえば楽になれるのに、絶妙な間を空けて鳴らされる音が沈みかけた意識を容赦なく呼び起こしてくるのでそれすら叶わない。
修練と称して始められたのは、颯にとっては拷問以外の何物でもなかった。
「……っ、はら、え、よっ」
「あ?」
「僕が……嫌いなら、はあ、はあ……さっさと祓えよ! 気に食わないならころせばいいだろうっ!!」
立ち向かえない悔しさをぶつけるように声を振り絞った。




