大火と厄災の子 (14)
確かにあの日、父親が仕事を探しに出かけたあとに出かけたのは母親の意思だった。その数日前の二人の会話から、母親は仕事を探しに出かけたのだとわかる。
父親はそんな母親の考えを反対し、口酸っぱく結界の外に出ないように言っていたぐらいなのだ。そんな父親が、母親と颯が結界の外の人たちに見つかってもいいと思っていたとは到底思えない。
今も行方知れずなのはそんな約束を破った二人に呆れてしまっているから……と、まだそう言われてしまう方が納得できてしまう。
「……あの人が……ううん、そんなわけ……。だけど、颯を襲って……?」
ぶつぶつと独り言を漏らしながら錯綜している様子の母親を、颯はしっかりしてと励ますように揺さぶった。
「お母さん、お父さんが僕たちを嫌いになるわけないよ! 信じなくてどうするの!?」
おそらく母親は、颯が話した化け猫の里で見た父親のことに気をとられている。それは駄目だと、颯は焦りながら母親に言い聞かせた。あれが父親だと決まったわけじゃないと颯に思わせてくれたのは母親なのに、男性に惑わすような余計なことを言われたせいで狼狽してしまっている。
颯は気をしっかり持てと言わんばかりに母親を揺さぶるが、虚ろな目で呆然としているのか颯を見てくれなかった。まるで、声も届いていないみたいだ。
「お母さん……?」
何やら母親の様子がおかしいと感じて疑心が宿る。
そんな颯の腕を、男性が掴んできた。戸惑う間もなく母親から引き剥がされ、母親の隣には颯の代わりに女性が寄り添う。
男性に冷たい目で見下ろされ、初めて会った日の記憶が甦り思わず怯みそうになるが、この場で母親を守れるのは自分だけなのだからと必死に自身を鼓舞した。腕を振りほどこうともがきながら男性を睨む。
「離せよっ! 何するんだ!」
「……口の利き方からしつける必要がありそうだな」
吐き捨てるように言うと、男性はそのままずるずると颯を引き摺りながら庭を進んでいった。
大人の力には為す術がなく、母親からどんどん離されていく状況に焦りと不安が募っていく。
「やめろっ! どこに連れていく気だよ! お母さん! お母さんしっかりして!!」
振り返って母親を呼ぶと、女性に肩を支えられながら屋敷の玄関に入っていくところだった。颯が連れていかれるというのに、俯いたままでこちらを見ようとすらしない。
いくらありもしない話を聞かされて混乱していたとしても、大声で叫ぶ颯の声に少しも反応しないのはさすがに異変を感じた。俯いて奥歯を噛み締める。
「……お母さんに何をした?」
腹の底から、自分でも驚くような低い声が出た。
男性が立ち止まってはっとしたように颯を見る。怒りに燃えた瞳で、颯はその視線を跳ね返した。
問いかけたときには根拠はなかったが、この男性が何かしらの術を母親にかけたのは今の反応で窺えた。男性の瞳は、颯に見抜かれたことを驚くように見開かれていたから。
まるで取り繕うように男性はふんっと鼻を鳴らす。
「いつまでも幻想にとらわれているから目を覚まさせただけだ」
「違うだろ、自分たちの言うことを聞かせるために心を支配しただけだ。しかも、異能を使って無理矢理にな」
「っ、うるさい! 口答えするな化け物め! それにおまえのその目、あの男と同じで虫唾が走る!」
「目……?」
突然言われたことの意味がわからず聞き返すと、忌々しいものを見るような視線を向けられた。
「そうだ、その蒼い目! 巴を奪ったあの男と同じ色をしておる! 二度とその目を向けてくれるな!」
ぐいっと腕を引かれて、また男に引っ張られながら歩き出す。
目の色が変わっていることを指摘されて戸惑う颯の瞳は、蒼炎を閉じ込めたように蒼く染まっていた。
颯が連れていかれたのは、庭の一番奥にひっそりと存在する小さな蔵だった。
鉄扉が開かれ、埃にまみれた空気が外に漏れ出てくる。それに噎せていると、容赦なく背中を押されて中に入れられてしまった。
「うわ!」
よろけている間に背後で扉が閉められ、施錠される無慈悲な音が響いた。あっという間に視界が真っ暗になり、手探りで慌てて扉を探り当てると、勢いよく拳を叩きつけた。
「開けろ! 何するんだっ」
「おまえには当分、ここで暮らしてもらう。飯だけは恵んでやるから安心しろ」
「ここで!? お、お母さんはっ、お母さんはどこに連れていく気だよ!」
「巴はこの本家で暮らすからおまえが気にかける必要などない。とにかくおまえはここで静かにしていろ、いいな?」
男性のその言葉とともに鉄扉に異様な気配がまとった。どうやら牢屋に入れられていたときと同様に、施錠に重ねて結界も張られたようだ。
男性の足音が遠ざかっていく。
「……お母さんっ……」
扉にもたれ掛かるようにずるずるしゃがみこむ。さすがに施錠された蔵に閉じ込められて結界を張られてしまったら颯の妖力では突破することができず、母親のもとへ向かうのは絶望的だった。同じ敷地内にはいるはずなのに、とても遠くに連れていかれてしまったような気分になる。
「これから、ここで一人ぼっちか……」
せっかく母親と再会できたのに、またもや孤独になってしまった。
一緒にここに連れてこられたからちょっと油断していた。まさか別々の場所に隔離されてしまうなんて……。
颯への扱いも母親と比べたら劣っている。明らかに歓迎などされていない。
人間の彼らにとって半妖な颯が忌むべき存在なのはもう痛いほどにわかりきっているが、そのくせ命を奪おうとしてこないのは不可思議だった。
化け猫の里で軍人があやかしの命をぞんざいに扱っているところを見た。その軍人とも繋がりがあるらしいあの男性なら、颯の存在を消そうと思ってもおかしくないはずなのに。
渋々生かしていると示唆するような言葉を何度か言うわりに、怪我を負うような乱暴をされるわけでもなく、直接的な危害を加えてくる様子はなかった。
「なんで僕も、ここに連れてこられたんだろう」
考えれば考えるほど、その疑問が強く残った。
徐々に暗闇に慣れた目で蔵の中を見る。箱や棚が乱雑に並んでいて、普段から利用しているような雰囲気ではない。手に触れるものすべてに埃が積もっていて環境は最悪だ。
ただ、鉄扉の近くに置かれていた大きな箱の上に、埃を被っていなくて明らかに最近置いたと思われる折り畳まれた布があった。しかも広げると大きくて二枚ある。
まるで、一枚を床に敷いてもう一枚を被って寝ることを想定しているみたいだ。こんな暗くて狭い場所に閉じ込めるわりに、小さな気遣いを感じられる。ましてやご飯を用意するとまで言っていた。
一体、何の目的で自分は生かされているのか。
得体の知れない不安が胸の中で渦巻く。
光が届かない狭い蔵の中で、颯は布に包まれながら寂しさを紛らわすように自身を抱き締めていた。




