大火と厄災の子 (13)
「でも、お母さん。今は僕が一緒にいるよ。僕がお母さんの味方でいる。だから、泣かないで……」
こんなにも弱気になって泣いている母親を見るのは初めてで、颯はどうにか励まそうと必死だった。しかし颯自身もこれから知らない場所へ連れていかれてしまう不安を抱えているので、肩に置いている手が頼りなく見えた。
幼い颯が懸命に振り絞っている声が震えていると気付いたのか、母親は悔しそうに顔を歪ませて颯を自身の胸に抱いた。
「そうね、颯がいてくれるね。……大丈夫、颯にもお母さんがいるからね」
「うん……」
母親が離さないと言わんばかりの勢いで抱き締めてくれるので、颯も同じように強く抱き締める。母親はうわ言のように大丈夫と呟いていたが、残念ながら颯の頭の中は嫌な考えで埋め尽くされていた。
あの男の人の態度を見る限り、颯は完全に嫌われている。
あやかしが嫌いなあの人の家に行って、その後自分はどうなるのか……。恐ろしくて考えるのを放棄したかったが、嫌な予感だけがずっと心に留まって苦しかった。
その二日後。
鶏もまだ鳴かない未明に、颯と母親は牢屋から出されて建物の外に出された。久しぶりに吸った外の空気は冷えきっていて、颯は身震いして小さくくしゃみをする。母親はそんな颯の手を握ったまま、軍人たちに促されるままに用意されていた貨物馬車に乗り込んだ。
木箱や樽が所狭しと詰め込まれた小さな荷台部分の隙間に二人は密着するように座らされ、軍人の一人が二人の逃亡を阻止するように一緒に荷台に乗る。やがて馬車は走り出し、険しい表情の母親とともに颯は見知らぬ町の景色が流れていくのを眺めた。
見える範囲にはもう大火も煙も見当たらず、颯は少しだけ胸を撫で下ろしていた。
ガタン、と身体が揺さぶられて颯は目を開けた。
馬車に揺られる酔いと慣れないお尻への響きに疲れているうちに、いつの間にか意識を飛ばしていたらしい。目的地に着いたのか馬車は停車していて、軍人が先に荷台から軽やかに降りる。
「降りろ」
短く命じられて母親が先に荷台から降りる。颯は母親に抱き抱えられながら降り、すっかり昇っている太陽の日差しの目映さに目を細めた。それから馬車が横付けされている大きな門の存在に気付く。
これが、お母さんが生まれた家……。
瓦屋根がついた鉄製の門扉もそこから左右にどこまで続いているのかもわからない竹垣も、幼い颯の身長より遥か高くて何だか物々しく感じられた。
「……行きましょう」
母親は重いため息をつくと、自ら門をくぐって敷地に入った。すぐそばで軍人に見張られているので逃げるのは無理だと諦めているようだった。颯も手を引かれるがままに玄関まで続く石畳の上を歩く。広大な敷地の庭には剪定されている木々と大きな池も見える。
目の前には、瓦屋根の厳かで立派な屋敷が待ち構えていた。
「おかえりなさい、巴!」
二人が玄関に辿り着く寸前に中から慌ただしい足音が近付いてきたかと思うと、初老の女性が引き戸を開けて飛び出してきた。外の様子に気が付いて出てきた様子の女性は、瞳に涙を浮かべながら颯の母親を抱き締める。
「お母様……」
「勝手にいなくなってどれほど心配したことか! ああ、もっとちゃんと顔を見せてちょうだい!」
「やめてください」
感極まった様子で再会を噛み締めている女性とは裏腹に、母親はそれを疎ましいと言わんばかりに大袈裟に顔を歪ませる。伸ばされた手から逃れるように後退った。
「巴……それに、その子……」
女性の目が颯をとらえる。眼差しに宿っていた温度が一気に下がるのを感じて颯は身体を強張らせる。ちょうどそのとき、開けっ放しになっていた玄関から母親の父が姿を現した。
「それが説明した颯だ」
「こいつがあの化け物の子ね……」
「化け物の子なんて言わないでください! この子は私と風炎さんの大事な家族なんです! 偏った考えしかできないあなたたちとは違う、私を受け入れてくれる唯一の家族なんだから馬鹿にしないで……!」
「お母さん……」
悲痛な声で叫ぶ母親に抱き締められる。小さく震える姿はまるで叱られて怯える子どものように弱々しかった。そんな実の娘の切実に訴える姿を前にしても、母親の両親は呆れたように息を吐いている。
「投獄されている間に少しも反省しなかったようだな。未だにあやかしに盲信しておる」
「巴、いつまであの化け物を信じているの? あなたはあいつに騙されていたのよ」
女性が差し伸べた手を振り払って母親は睨む。
「騙されてなんかない! 私が……私が、あの人を好きになっただけよ。あの人も、私を好いてくれた。ただ、それだけ、それだけなのよ? それなのに、何が騙されたっていうの?」
「わからんのか巴。おまえは半妖であるそいつを産まされた。不干渉条約を破ることがあやかしと人間にとってどれだけ重要な意味を持つか……。あいつは自分だけ行方をくらませることで巴を戦犯に仕立てあげたのだ」
男性の言葉に颯も母親も揃って疑心を顔に浮かべる。
どうしてそんな話になるのだろう。元はといえば颯を捜索する人間たちが化け猫の里のあやかしを襲撃し、他のあやかしの住処にも同様に襲い始めたから人間も反撃して戦争へと発展してしまったはずだ。
だから颯のせいだと言われるならわかるが、まるで今の言い方だと父親がそうなるように仕組んだみたいである。確かに化け猫の里は父親の蒼炎で火事になっていたけれど……。
鳥肌が立ち、嫌な汗が滲むのを感じた。
母親の脳裏にも嫌な想像が駆け巡ったのか、青白い顔でおずおずと口を開く。
「ちっ、違う、そんなわけないわ……」
「だったらなぜあいつは現れない? おまえたちのことが大事なら、とっくに連れ戻しに来ていてもおかしくないだろう。家族が帰ってこないなら、ましてや戦争が始まっているのなら、何か異変が起きたことには気付くだろうよ」
「それは……私たちが軍に捕まっていたから風炎さんも身動きできないだけよ。そもそも捕まってしまったのも私が勝手な行動をしたからで、あの人はこんなことになるなんて予想できていなかったはず」
「本当にそうと言いきれるのか? 何年かけても気配を察知できずに姿も見かけなかったおまえが、あの日突然人里で目撃されるようになった。どうせ今までは結界の中にいたんだろうが……なぜ、見つからない安全であった場所からわざわざ人が多くいる里に出た? あいつが出かけても大丈夫とか唆し、おまえたちが見つかるように仕組んだんじゃないか?」
「違う! あの人は駄目だって言ってるのに私が勝手に出かけたの! そのせいで颯まで……」
母親の目が困惑で揺らいでいる。
颯も戸惑いながらも、必死に記憶を辿って真実を見極めようと頭を働かせた。




