大火と厄災の子 (12)
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軍本部の牢屋の中で母親と再会してから三回目の朝を迎えた。
いつもなら朝食の豆粥が運ばれてくる頃に、二人の人間が颯たちのもとへ訪れた。一人はあの、化け猫の里で刀を振るった軍服姿の人間だ。もう一人はその軍服の男と似た年代の男で、黒い着物と羽織を身につけて中折れ帽を被っている。颯の見知らぬその男は目を血走らせ吊り上げながら、檻を開けてずかずかと中に入り込んできた。
顔を強張らせた母親が咄嗟に颯を背中に隠す。
「このっ、恥知らずが!!」
「っ!!」
「お母さんっ!」
男に平手打ちされた母親が衝撃で地面に倒れ込む。驚いた颯が母親のそばに寄ろうと膝を立てるが、そばにいた男に胸倉を掴まれて引き寄せられてしまった。
「うぐっ、な、何するんだ!」
「黙れ、化け物の子が!! 生かしてもらえているだけありがたいと思え!」
額と額がぶつかりそうな距離で睨まれる。憎悪の念にまみれた眼差しを間近で浴びせられて、みるみるうちに全身が粟立った。
明らかに颯の素性を知っている口振りの男に向けられた明け透けな悪意に怯んでしまい、颯は大人しく黙ることしかできない。そんな颯の身体を取り返そうとするように、起き上がった母親がしがみついてくる。その左の頬が赤くなっていて痛々しかった。
「やめてください、お父様! この子は関係ありません、だから離してください!」
「関係なくはないだろう! おまえがあの狡猾な蒼鬼なんかに惑わされたからこんな化け物を産まされる羽目になったのだ! 巴、さっさと目を覚まさんか! おまえはあやかしに騙されているのだ!」
ごみを捨てるように颯の身体が地面に投げ捨てられる。受け身をとる隙がなかったので固い石床にもろに背中をぶつけてしまい、小さく呻きながら身体を丸めた。そんな颯を庇うように母親が上に覆い被さる。
「颯、大丈夫!?」
「……っ、な、なんとか。お母さんこそ、大丈夫?」
「大丈夫よ、ありがとう」
母親に支えてもらいながら上体を起こす。互いの身を気にかけている母子の姿を、母親がお父様と呼んだ男はずっと冷ややかな目で見ていた。背後で事の成り行きを見守っていた軍服の男が、その男のそばによって声をかける。
「実際にご覧になっていかがですか?」
「……最悪だな。おまえが報告した通り、娘は相当洗脳されているようだ。あの蒼鬼めっ、なんて忌々しい! 娘を汚すだけ汚して捨てるなんて、殺せたとしても許せんぞ! あいつの居場所はまだ掴めとらんのか!?」
「今、総動員で探しております。しかし鬼の里にも向かったのですが、この戦をきっかけに鬼どもは見事に姿をくらましておりまして……」
「言い訳なんぞいらん! 何がなんでもあいつを見つけ出して私の前に連れてくるのだ!」
「もちろんです。櫻井大将、あなたのご令嬢を弄んだあやかしを、私どもももちろん野放しにしたくありませんから」
軍服の男のへりくだるような態度を見て、颯はもう一人の男の方が強いのだろうと何となく察した。しかし二人の間で交わされる会話は物騒で颯の顔が青ざめて震えだす。そんな颯を宥めたいのか、母親は耳元で大丈夫よと何度も囁いた。
颯は小さく頷きながら、目の前に立ちはだかる男から目を離せなかった。
母親がお父様と呼んだ男。それはつまり颯にとっても血の繋がりがある人だが、そんな人にとっても颯は認められない存在らしい。話を聞いている限り種族を越えて結ばれた両親にも相当鬱憤が溜まっていそうで、この男に歯向かうのは得策じゃないと身をもって感じた。
「それで、この二人の処分はどうなさるおつもりですか?」
軍服の髭の男が着物の男に問う。それに男は答えず、じっと颯を見つめた。警戒して自ずと身体に力が入る。
「……名は」
「え?」
「化け物の子、名はあるのかと聞いとる!」
見下ろされたまま大きな声を出されて肩がびくりと跳ねる。隣で母親が口を開こうとしている気配がしたが、颯は自分で答えるべきだと判断して慌てて名乗った。
「は、颯です!」
「力の気配がするな。異能は使えるのか?」
「いっ、異能は……使えません。妖力なら使えるけど……」
「何の力だ」
「そ、蒼炎を出せます……」
「ちっ、蒼鬼の力か」
苛立ちを隠そうともせずに舌打ちされる。言われるがままに答えたのに怒られている雰囲気に気圧されて颯の胃が縮こまる。痛みを訴えるそこを撫でたいが、うっかり余計なことをしたら咎められそうでそれすらも憚られた。
しかしそんなふうに颯が躊躇している間にすでに男の視線は母親に移り、吐き捨てるように言った。
「おまえたちの身柄は櫻井家本家に移すことにする」
「そ、そんな! 嫌ですお父様、家に帰りたくありません! 後生ですから、どうか私たちを見逃していただけませんか!? 櫻井家には迷惑かけないようにいたしますので!」
母親がものすごい早さで土下座をする。つられるように颯もその隣で真似して頭を下げるが、男はもうそんな二人に目もくれずに牢屋を出ようとしているところだった。必死な顔で立ち上がった母親が慌てて男を追いかけるが、軍服の男に行く手を阻止されすぐさま檻の鍵も施錠されてしまう。
「待ってお父様!」
「散々迷惑をかけておいて何を腑抜けたことを言っておる。おまえはすでに異能者の名家である櫻井の名に泥を塗ったのだ。あやかしなんかと交じったためにな!」
檻の格子を掴んで呼び止める母親を、男は振り返って見ようとはしなかった。
「おまえもその子どもも、戦争発端の当事者として本来なら処分してもおかしくはないのだ。……生かしてもらえることに感謝するんだな」
男は温度のない声でそう言うと、そのまま二人の牢屋の前から去ってしまった。軍服の男も従うようにあとに続き、重い足音が遠ざかってやがて沈黙が訪れる。
「そんな……」
力なく格子を掴んだままずるずると母親がしゃがみこむ。俯いて丸くなった背中が小刻みに震えていて、颯は落ち着かない気持ちでそっとそれを撫でた。
ここまで母親が落胆するなんて、自分たちが連れていかれる場所はよほどひどい場所なのだろうか。不安がぐるぐると渦を巻きながら颯の胸の内に溜まりこんでくる。
嗚咽を漏らしていた母親がのそりと顔を上げるが、すっかり憔悴しきっていた。
「……ごめんね、颯。私たち、山のお家には帰れそうにないわ」
「えっ……」
「私たちはね、お母さんが生まれた家に連れていかれるみたい」
涙で頬を濡らしたまま母親は自嘲する。
「あんな家、二度と戻りたくなかったのに……。颯まで連れていかれるなんて」
「お母さんは、そのお家が嫌いなの?」
「……うん、大嫌い。お母さんの親は……さっきここにいたのが父親なんだけどね、あやかしを異物扱いするような最低な人間なの。だから風炎さん……颯のお父さんと仲良くしていた私を、絶対に許せなかった。私はそれがとても嫌でね、風炎さんと新しい家族になろうとあの家から逃げたの。それなのに、連れ戻されるなんて……!」
母親は耐えきれないと嘆くみたいに顔を両手で覆った。またもや震え始めてしまった華奢な肩に颯は手を置く。




