大火と厄災の子 (9)
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ねねこを置いて迷い岳を走り出した颯は、いつしか山の麓に出てきていた。
ねねことともに彷徨っていたときは出口のない森に迷いこんだように延々と同じ景色を歩いているだけだったのに、今はまるで山から追い出されるようにするすると山林を抜け出た。これも木霊がねねこのために避難路を作り出したように、颯を排除しようと外に導いていたのだろうか。
木霊からの皮肉な扱いも、今の颯にとっては都合がよかった。鬱蒼とした暗い山から下りて平地に出た颯は、晴天から降り注ぐ陽光の眩しさに目を細める。そして遠くに見えている煙が上る集落に目星をつけると、ずっと走りっぱなしで重い足を最後の力を振り絞るように前へ進めた。
あやかしでも、人間でも、どちらでもかまわない。
誰かに、この争いの火種の半妖が自分だと示そう。そうすれば皆が颯に標的を定め、この争いが不毛だと理解してくれる。
そうなると信じて、颯は逸る思いで歩き続けた。
自身の正体が明るみに出たらどうなるか。ただ拘束されるだけでは済まないだろうとわかっていたが、足取りに躊躇はなかった。
そもそも、両親に拒絶された時点で諦めかけていた人生だ。結界に閉じ込めていたねねこを解放し、あやかしである木霊にねねこのその後を託した今、颯にはもう心残りがないのだ。
むしろ、自分のせいで招いているこの事態に早く終止符を打たないと心苦しくて仕方がない。自身が消えたところで失われてしまったすべてをもとに戻せるわけではないが、これ以上被害を増やさないためにはこれが最善の道なのだから。
禁忌の子と呼ばれるその意義を、罪深き命の重さを、嫌というほど突きつけられながら、颯は至るところで灰色に濁った煙が昇っている集落に辿り着いた。
昨晩初めて降り立った人里やねねこの故郷と比べると小さい山あいの集落だ。数少ない建物はすべて真っ黒に焦げてしまっている。梁と柱だけがかろうじてわかる骨だけになった痛ましい姿の家屋を横目に、颯はとぼとぼと渇いた土の上を歩いた。
どの家屋もとっくに燃え尽きてしまったらしく、火もほとんど下火になっているように見えるが、まだ燻っているのか辺りに煙が充満していて視界が悪い。それを吸い込まないように鼻と口を覆うが、目に染みるのだけは防ぎきれずに涙が滲む。
そんな不明瞭になった視線の先で、黒い人影が動いた。思わず近くに倒れている焦げてぼろぼろな柱の後ろに隠れてしまったが、すぐに自分の目的を思い出してはっとした。
「……はぁ、隠れたらだめなのに」
重苦しさがこもったため息が出る。握り締めた拳が微かに震えていた。
誰かに自分を見つけてもらう覚悟で来たはずなのに反射的に身を隠してしまった、誤魔化しきれない弱さに嫌気が差す。
土壇場で頭を出した怯えに気持ちが傾きそうになるが、慌てて首を横に振って余計な感情を雲散させた。
「早く、あの人たちに声をかけなくちゃ……」
決意が鈍らないうちに言わなければ。人間が探している半妖は、自分なのだと。
この村の住人か、はたまたここに火を放った側の勢力か。どちらかわからない人影の前に、颯は意を決して飛び出した――。
◆ ◆ ◆
誰かの手が颯の頬を撫でている。
柔く温かなそれは、とても懐かしく感じた。離れていかないでと懇願するように頬擦りして身動ぎしたところで、颯の意識は深い底から呼び戻される。
目覚めたばかりのぼやけた視界で見知らぬ天井をとらえた。と同時に、夢で感じた手の温もりが未だに頬を包んでいることに気づく。颯が目を擦っていると、誰かが顔を覗き込んできた。
「おはよう、颯」
「えっ、お母さん……?」
まだ、夢を見ているのだろうか。あまりにも慣れ親しんだ顔が微笑みながら、横たわる颯を見つめている。
慌てて瞬きをしながら勢いよく起き上がると、颯はなりふり構わず母親の胸に飛び込んだ。
「お母さんっ! お母さん……!」
抱きつくとそっと抱き締められて、拒絶されないその確かな温もりが夢じゃないと教えてくれた。
じわじわと目の奥が熱くなり、みるみるうちに涙がこぼれて母親の胸元を濡らしてしまう。颯は一人ぼっちになってからずっと溜め込んでいたものを吐き出すように泣き叫んだ。
「うわぁぁぁん、お母さんっ! ううっ、お母さんっ! ひっく、うわああん!」
「ごめんねっ……。ごめんね颯! 怖い思いさせちゃってごめんなさいっ」
互いにしがみつくように抱き合った。颯には見えてはいないが母親の声も震えているので、きっと泣いているのだろう。
颯を置いて人間たちと行ってしまったときとすっかり様子が変わり、今の母親こそ颯にとってのいつもの母親だった。だからこそ安堵して、余計に涙と洟がとめどめなく溢れてくる。
「なんでっ、なんで僕を置いて行っちゃったの! ひどいよぉ!」
「ごめんね、颯を守るにはその方がいいと思ってたの……。でも、あなたを傷つけちゃっただけだったね」
気にしていた母親の行動理由を問うと、申し訳なさそうに返された。
そっと身体を離すと、母親は自身の着物の袖の端で颯のぐしゃぐしゃに濡れた顔を拭ってくれた。そしてまだ小さく嗚咽を漏らしている颯の顔を両手で包み込み、真剣な眼差しで向かい合う。
「ちゃんと、全部をあなたにも話すわ」
「全部……?」
「そう。私とお父さんのことも、颯のことも。……起きてしまったことのすべてを」
母親の眉が下がって、瞳が暗さを帯びる。
こうして母親と再会するまでに颯が経験してきたことを思うと、それが決して明るい話ではないと容易く想像できた。ゆえに颯の顔も曇るが、やっと自分にまつわることをきちんと話してもらえるのだと思えば気が引き締まった。
「……わかった。ちゃんと聞くから、全部教えて」
颯はさっきまで自分が寝かされていた薄い敷き布団の上で正座して母親と向き合う。母親も倣って正座すると、頷いて深呼吸をした。
「ありがとう、颯。……まず、今どこにいるのか教えるね。ここは和輪国軍の本部。私と颯は今、国の重要指定人物として捕らえられているの」
母親の目が部屋の一面に向けられる。
四畳半ほどの石造りの部屋は壁面の一つが鉄格子になっていて、出入口らしき部分の外側には南京錠がかけられているのが見える。触れていないので確証があるわけではないが、恐らく異能と妖力を使える二人を警戒して結界も張ってあるだろうと颯は思った。
中に置かれているのも布団だけで、明らかに拘束するための部屋だとわかる。
「私が軍の人たちと一緒に行ったのを覚えてる?」
「……うん」
忘れもしない。黒い服を着た人間たちと母親が去っていった後ろ姿は今でも瞼の裏に焼きついていた。




