大火と厄災の子 (6)
どれくらいあの里から離れたのかはわからないが、颯とねねこは静かな山の中を息を切らしながら小走りしていた。
最初は斜面を下っていたはずだが、いつの間にか獣道を上がっている。高度が上がって辺りの空気が薄くなったのか息苦しく感じる。霧が深くて景観が変わらない木々の合間を進んでいると、果てのない同じ場所をぐるぐると回っているように思えてきた。いや、実際そうなのかもしれない。
颯の家がある山もなかなかに鬱蒼としていたが、今歩いているのはそれ以上に、まるで立ち入りを拒まれているような物々しい雰囲気の山だった。
ねねこと繋いだ手の内が汗で濡れている。ねねこを窺うと変わらず黙って颯のあとを追うように繋いだ手に従ってくれているが、呼吸が随分と荒くなっていた。
さすがに限界だろう。自身が吐く息も重いと感じた颯はゆっくりと歩調を緩めながら幹と根が太い木を見繕い、ねねこを促してそれにもたれさせるように座らせた。手を離して颯もその隣に腰かける。苔むした根は湿気っていてお尻が少しひんやりとした。
「ちょっと休憩しよう。ねねこちゃん、よく頑張ったね。もう声を出しても大丈夫だよ」
言いながら空を仰ごうと首を上げたが、木々の枝葉が生い茂っていて叶わなかった。辺りは暗いが、空が見えないので今がまだ夜なのかそれとももう明けているのかもわからない。
「……おにーちゃん」
「ん?」
ねねこに呼ばれて視線を下ろすと、涙目に見つめられていてぎょっとした。綺麗な真ん丸の瞳から静かに涙がぽとりと落ちた。
「ねねこ、一人ぼっちになっちゃったの……?」
ぽたり、またぽたりと。滴が頬を伝い、ねねこが膝の上で固く握っている拳の上に落ちていく。初めて会ったときのように泣き喚くわけではなく、嗚咽を堪えるような泣き方だった。
その変化から、ねねこが両親のことを察しているのだと気付かされた。
きっと颯が逃げるためにと誤魔化した嘘も見抜いていて、ここまで黙ってついてきてくれたのだろう。そうするしかないと、ねねこも幼いなりに悟ってしまったから。
これ以上嘘をつくのはよくないと思うものの、ねねこの問いに素直に頷くのはどうしても憚られた。かといって安易な慰めもできない。一人ぼっちなのは颯も同じで、その事実を受け止めて今後どうすればいいのか、颯自身が答えを持ち合わせていなかったから。
返事ができない結果、気まずい沈黙が流れただけだった。
「ううっ、ひっく……、ひっく!」
徐々に抑えきれないねねこの嗚咽が大きくなり、悲痛なそれに刺激されて颯の鼻の奥もつんと痛くなる。滲む視界を取り払うように腕でごしごしと擦ると、煤と土埃で汚れた甚平が焦げ臭くて余計に切なさが募った。
生温い風が小さな二人を撫でながら山林を吹き抜けて、擦れた枝葉が騒がしく音を立てる。風が止んでもそれが鳴り止まないことに気付いた颯がはっと辺りを見回した。
ねねこも異変を感知したのか涙が引っ込んでいて、怖々とした顔で颯の甚平の裾を掴んでくる。
いつの間にか、視線を向けられているような気配に囲まれていた。大勢の人の目が一身に浴びせられているようなただならぬ緊張感が背筋を冷やす。
しかしどういうわけか、肝心の人影がどこにもなかった。あやかしなのか人間なのか、それさえも把握できない。
ただ確かに何かの気配が自分たちを見ているのを感じ、颯は木に預けていた背中を少し浮かすと、何も見えない暗闇に意識を向けたまま小声でねねこに話しかけた。
「ねねこちゃん、僕から離れない、で――っ!?」
言い終わる前に、突如どこからか足に巻きついてきた固い感触の何かに引っ張り上げられた。勢いよく空中へ連れ去られた颯の視界が上下反転する。
「うぐっ……!」
「おにーちゃんっ!」
逆さで宙吊りになった颯の下でねねこが叫んでいる。どうやら颯だけが何かに捕まったらしい。その正体を見ようと上体を折り曲げて驚いた。
自身の足に巻きついているのは、どう見てもさっきまで腰かけていた木の太い根なのだ。見覚えがある苔に覆われたその先を辿ると、二人がもたれていた木から長々と伸びていた。
まるで生きているみたいにうねる仕草も見える。足に巻きついてきた根がすごい勢いで伸びてきてあっという間に首から下が覆われてしまった。骨と内蔵が潰されそうなほどの凄まじい力で締め付けられて、抵抗する間もなく圧迫された颯は苦悶の表情で叫んだ。
「うわぁぁぁ!」
「やだっ、やめて! おにーちゃんがしんじゃうよぉ!」
ギシギシと不快な音がする。
巻きついた根が擦れている音なのか、はたまた自身の身体が上げている悲鳴なのか。胸を締め付けられたせいでほぼ呼吸ができなくなり、ましてや逆さまにされたまま頭に血が上って意識が飛びかけている颯には、それがどちらなのかは判断できそうになかった。
ねねこの泣き叫ぶ声が遠くで聞こえている気がするが、彼女も捕まってしまったのだろうか。
「――立チ去レ、人ノ子」
突如、頭の中に直接はっきりと声が響いた。芯があるのに掴めないような不思議なそれに共鳴するように、ざわざわと周りの木々が揺れていた。
「……だ……れ……」
「立チ去レ、立チ去レ」
「オマエノセイ、オマエノセイ」
男なのか女なのか、大人なのか子どもなのか、人間なのかあやかしなのか。どれにも当てはまりそうでもあり何にも分類できないような複数の声が頭の中でこだまする。
くらくらする意識を手放して楽になってしまいたかったが、明らかに颯を拒絶するような言葉に踏みとどまらされた。
――オマエノセイ。
思い当たるものがありすぎて嫌になる。
「おにーちゃん! これっ、木霊さまだよ! ここ、迷い岳みたい!」
ねねこが何かを必死に伝えてくれている。薄れる視界の端でねねこを見つけ出すと、何にも捕らわれてもいなければ襲われている様子もない姿があった。
無防備な状態のあやかしのねねこが捕まっていないところを見るに、その木霊とやらはねねこの味方であやかしってところか。
半妖である颯のあやかしの部分を切り捨てて人ノ子と呼んでくるくらいだ。ねねこが言うこの迷い岳は本来、人間が立ち入ってはいけない場所なのかもしれない。
しかし、仮にも鬼の血が流れているのにこうも勝手に人間だと区別されて一方的に襲われるのは、納得がいかないし無性に腹が立ってきた。
根に縛られていてほとんど身動きはできないが、かろうじて拳を握れることに気付く。こっそりと握り締めた手のひらの内側に、颯は蒼炎を繰り出す要領で熱を込めた。
炎が吹き出る直前、異様に集まった熱を感知したのか木々たちがざわつき始める。それに急かされるように慌てて根が颯を放り投げ、上手くいったと颯はほくそ笑んだ。
空中で解放された颯は受け身で転がりながら着地した。




