大火と厄災の子 (2)
もはや自分で消火するしかないと意を決した颯は、近くで見つけた井戸を覗き込む。しかし使いきってしまったのか、はたまた熱気のせいで蒸発しているのか、中は見事にすっからかんだ。
川も近くにないのか、大人たちも水を出せるあやかしたちが先陣をきり、かろうじて水をかけている程度だ。
それだけでは炎の勢いが弱まる気配は一向になく、鎮火させるのは到底無理があるように見えた。
「どうしよう、僕は妖術で水を出せないし……」
肩を落としながら、それでもなんとか消火する術はないかと颯は炎の合間を彷徨う。
顔や身体はすっかり煤で汚れていた。甚平の裾で鼻と口を覆っていても辺りに充満している煙を吸い込んでしまい、げほげほと咳き込む。煙がしみた目に痛みを覚えて涙が浮かんだ。
そんな潤んだ視界の端で、颯は人影が動くのを見た。それは探し求めていた姿のように見えて、ハッと息を飲む。
「――お父さんっ!」
蒼い炎の奥の既視感のある後ろ姿に向かって咄嗟に叫んだ。しかし思っているより距離が遠くて届かないのか、はたまた轟く火の音で颯の声が掻き消されてしまったのか、その人物は振り返ることもなく炎に飲まれた林の奥へと躊躇わずに歩んでいく。
いくら自分の妖力で生み出した炎であっても、一度自分の手から離れた炎は普通の炎と同じで熱いし無闇に触れたら火傷だってする。それなのにその人影は自ら炎の勢いが強い方へ進んでいき、颯は違和感を覚えて目を細めた。
「待ってっ! お父さん待ってってば!」
まるで誘われるように炎に向かっていくなんて、どう考えても様子がおかしかった。だけどどうして父親がそんな行動をしているのかさっぱりわからない。そもそも父親の蒼炎がこの集落を覆い尽くしているのですら異常事態なのだ。
颯が知っている父親は、こんな人の住処を攻撃するような人じゃない。仮に何かの不手際で炎で火事を起こしてしまったとしても、こんな消火が追い付かなくなった酷い状態まで放置するなんてあり得ない。自ら懸命に率先して消火に当たるはずだ。
しかし今颯の視線の先にいる人物は燃えている家々には目もくれずに、まるで炎の中に姿をくらますかのようにここから遠ざかっているように見えた。
颯は追いかけようとするが、林の方が集落よりも炎が強くて行く手を阻まれる。火のついた倒木を乗り越えるのはどうも無理そうで、倒木の隙間からまだ見えている人影に向かって目一杯叫んだ。
「お父さんっ、どこ行くの!? 僕の声が聞こえないの!? ねえ、どうしてこんな火事に――」
揺らめく炎の向こうで人影が振り返る。しかし空気が揺らめいていて顔がよく見えなかった。ただ、こちらに向かって手を伸ばしたのがはっきりと見えて、颯はぎょっとして言葉を遮られた。
助けを求めるように伸ばされたわけではない。それは、妖術を使うために翳された手のひらだった。
颯の本能が警告を鳴らすように背筋に冷たいものが走る。その直後、人影の方から突風のように熱気が流れてきて、嫌な予感が的中してしまったことを物語っていた。
林の奥から手前に向かって轟々と蒼炎の塊がなだれ込んできて、バキバキと激しい音を立てながら凄まじい勢いで木が倒れていく。
颯は咄嗟に後退ると、慌てて自身の周りに妖力を張り巡らせた。結界の陣を描いている暇なんてなかった。颯が妖力だけでかろうじて結界を張った直後、蒼炎の波が颯がいた一帯を飲み込む。初めて陣を使わずに張った結界は脆く、熱気が中にまで入り込んできた。
その熱さに顔をしかめながら、炎で何も見えなくなった結界の外に向かって颯は声を張り上げた。
「お父さん、なんでこんな……!」
結界を張るのが遅れていたら、颯は今頃全身が炎に包まれていた。この距離で蒼炎をまともに食らっていたら大火傷だけでは済まなかっただろう。想像しただけで身の毛がよだつ。大惨事になることは父親だってわかっていたはずだ。
「どうしてなのお父さん! なんで、なんで僕にこんなことを!! 僕、何かした!?」
今まで父親に怒られたことはあるけれど、こんな暴力的な手段で叱られたことはなかった。ましてや今なんて、こんな一方的で理不尽な攻撃をされる理由が不明すぎる。
わからないことだらけで考えがまとまらず、頭がどうにかなりそうだった。
「なんで……みんな、僕を嫌いになったの……?」
張り上げていた声が弱くなる。一瞬でも気を緩めたら涙が出そうだったが、そうすると結界までもが解けてしまいそうで何とか堪えた。
ただ、つらくて息苦しい。
母親に続き、父親までもが颯を拒絶してきた。その事実がひたすら颯の胸を締め付ける。
自分が一体、何をしたのだろう。
両親にこんなことをされるようなことをしてしまったのだろうか。
約束を破って家の結界の外に出たから?
だからこんなにも両親に拒絶されているのだろうか。そもそもそれだって両親の様子がいつもと違ったから気にかけての行動だったのに、すべてが空回りだったのだろうか。
ぐるぐると思考を巡らせる颯の額に汗が浮かぶ。蒼炎の勢いは弱まる気配がなく、むしろ強まっているのではと思えるくらいだった。
まさか、ずっとこちらに向けて蒼炎を出し続けているのだろうか。恐ろしいことを想像してしまい颯の顔が青ざめる。
しかしその直後、ふと炎の波が止まって結界の外の様子がよく見えるようになった。結界を覆う炎が消えて颯がほっとしたのもつかの間、またしても目を疑いたくなるような光景が眼前に広がっていた。
大きな蒼炎の球がこちらに向かって飛んできていたのだ。気付いたときにはもう避ける時間などなく、颯は結界ごと後方へ吹き飛ばされた。
「ぐわぁっ!!」
炎の球と接触した衝撃で結界が弾け、剥き出しになった颯は受け身もままならないまま地面に叩きつけられた。飛ばされた衝撃で直接炎には当たらずに済んだが、背中と頭を思いきり打ちつけたようで激しい痛みに一瞬息を吸えなくなる。
「かはっ、うっ、はあ、はあ……」
涙で滲んだ視界が左右にぐらぐらと揺れている。起き上がろうと思っても視線が定まらず、荒い呼吸と速い鼓動に合わせてずきずきと頭に痛みが響いた。
意識も朦朧とし始めて、下りてくる瞼に必死に抗う。しかしどうにか動かした手は力なく地面の砂を掴むだけで身体を起こすことは叶わなかった。
「おと、さん……」
ぼやけた視界でも、自身の周りが暗闇を明るく染めている蒼炎で囲われてしまっているのはわかる。しかし近くに人影はなく、満身創痍な颯は気配でその行方を辿るのも難しかった。
ただ一つわかるのは、颯は一人ぼっちになってしまったことだけ。
不審な人間たちと行ってしまった母親を父親と一緒に連れ戻すつもりだった。そんな思惑も、今となっては虚しい独りよがりだったと気付かされる。
二人とも、颯を前にした状態で離れていってしまった。追いかけようとした颯を、それぞれ手段は違うとはいえ拒絶してきたのだ。その意図を、颯はそのままの意味でしか受け取れなかった。




