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焔の契り~騙せない妖狐の初恋譚~  作者: 佐東 利里子
◆3章

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颯の記憶 (5)


「櫻井さん、ご理解いただきありがとうございます。それでは正式な本人確認のためにも軍本部にご同行を願えますか?」

「……はい」

「やだ! 行っちゃだめだ! 僕と一緒に帰ろうよ!」


 若い男に促されて歩き始める母親に駆け寄ろうとするが、大きな影に立ち塞がれて叶わなかった。見上げれば、さっき見た不敵な笑みとは真逆の穏やかな顔で男が髭を撫でている。弧を描いた目が笑っているようで笑っていない不気味さに思わず後退りした。


「坊や。君、迷子なんだろう? それなら君も私たちと一緒においで。ちゃんと家族を探してあげるから」


 颯の肩に男の大きな手が置かれる。瞬間、触れられた肩の辺りに僅かだが痺れるような痛みが走った。嫌な心地の悪さに思わず男の手をはねのける。


「あ、いや、僕は……」


 はねのけたことで男の機嫌を損ねたのではないかと一瞬不安になって窺うが、男は何も気にしていない様子で颯を見下ろしているだけだった。それ以上、触れようとしてくる素振りも見せない。

 男たちの会話を聞いてしまったあとだから、何も仕掛けてこないのも不気味で意味不明だった。


 一縷の望みをかけてもう一人の男と歩いていく母親の背中に心の中で呼びかけてみるが、振り返って颯の名前を呼んでくれる気配はなかった。こちらに駆け寄って抱き締めてくれるなんて希望も、もうさすがに抱けない。


「……っ」


 母親を引き止められない自分の非力さを突きつけられて、血が滲むほど唇を噛む。

 母親と目の前の男を見比べた颯は、じりじりとさらに後退って距離を取った。そして男が何もしてこないうちに、そこから逃げることを選んだ。母親が男たちに連れて行かれるのは後ろ髪を引かれる思いだが、ここで自分まで一緒に連れて行かれてしまうのはさすがにまずいと思ったのだ。


 せめて帰宅して父親にこのことを伝えれば、一緒に母親を助けられるかもしれない。自分一人では無理だけど、二人でなら……。


 微かな希望を胸に宿した颯は、男たちの目から逃れようと一目散に土手を駆け上がった。

 土手を上がりきったところで一度振り返ってみたが、髭の男がこちらを見ているだけで追いかけてくる様子はない。

 どうして逃げるのに追いかけてこないのか。一瞬違和感が脳裏を掠めたが、今は一刻でも早く父親に助けを求めようと颯は自分の家がある山に向かって走り出した。




 商店街からも河川敷からも離れ、稲刈りが終わっている田んぼの一帯を走っていた颯は、用水路の脇に建つ水車小屋を見つけたので一度その小屋の陰で休憩することにした。

 できれば今すぐにでも帰宅したいが、山を下りてきたときからほとんどずっと走りっぱなしなのでさすがに膝も震えているし喉も渇きを覚えている。


 念のために小屋の周辺に人がいないのを確認してから、用水路の水を手で掬って飲んだ。ギコギコと水車が回る音が、すっかり日が落ちて暗くなった辺りに響いている。

 普段から暗い山の中で暮らしてきた颯にとっては夜の暗さには慣れたものだが、知らない場所に一人でいる状況が心許なかった。


 早く帰りたい。父親のたくましい腕の中に包まれたい。そんな思いがぐるぐると胸の中で駆け巡る。

 再び走り出す前にもう一度飲んでおこうと水を掬ったら、手のひらの水の表面にぽとりと水滴が落ちた。それは颯が瞬きをすればするほどに水に落ちて混ざった。


「うぅっ、お母さん……」


 立ち止まってしまったせいでずっと張り詰めていた気持ちが途切れてしまったらしい。泣いている場合ではないと頭ではわかっているのに、母親に拒絶された衝撃を思い出して目の奥が熱くなる。

 どうにか水を飲むが、嗚咽が止まらなくて用水路のそばで屈んだまま動けなくなってしまった。


 父親との約束を破ってまで結界の外に来たのに、結局母親を守れなかった。それが悔しくて堪らない。所詮自分も結界の中で守られることしかできないんだと思い知らされてつらかった。


 そんな颯が膝に顔を埋めて声を押し殺しながらしばらく泣いているときだった。


 ――ドォォン!


 突然、遠くで爆破したような音が鳴り響いた。遅れて地響きも起こり、左右に振られる揺れに驚いた颯の涙が引っ込む。


「わわっ!? なにこれ」


 水車小屋の陰から音がした方を見る。

 颯たちの家がある山を越えた向こう側で、蒼い炎が広範囲に渡って吹き上がっていた。炎の影響なのか空が明るくなっていて、その下一帯が燃えているように見える。


「お父さんの炎……? なんで、あんなところで」


 見覚えがある炎に戸惑った。


 蒼鬼の父親の血と妖力を受け継いでいる颯は同じように蒼炎を扱える。しかし山でたくさんの蒼炎を出すことは山火事に繋がる致命的行為で、くれぐれも取り扱いに注意するように教えられてきた。

 妖力の制御の鍛練をするときはいつも近くの沢に行っていたし、父親の前でしか颯も蒼炎の力を使っていなかった。


「火事になるから無闇に炎を出したら駄目だっていつも僕に言ってたのに……。あんなに燃えてたら、僕たちの山の方だって燃えちゃうよ」


 ばくばくと心臓が鳴る。

 父親がへまをして出しすぎた炎で火事になっているのだろうか。しかし颯が山の方を見ている間にも新たに何本も火柱が立つ。その勢いは凄まじく、同じ蒼炎を扱えるからこそ、颯にはそれが異常に見えて仕方なかった。


「っ、お父さん……!」


 涙で濡れていた顔を乱暴に手で拭う。突き動かされるように、颯は燃えている方へ駆け出した。




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