颯の記憶 (2)
「君の顔はおそらく追手たちに把握されている。今は俺と颯の結界の中にいるから安全だけど、人里に下りてしまったらいつ狙われるかわからない。それに君のご両親だって、君を探していないとは思えない……」
「でも、あなたが人里を調べても、異能持ちの人間はこの近辺の人里にはいないのでしょう? 私の家系の者ならみんな異能持ちだし、あなたならいれば気配で気付けるでしょう?」
思い詰めた顔で父親が頷く。腑に落ちないと言いたそうに見えた。
「ああ、ちっともいないよ。……むしろ、恐ろしいくらいにね。なんだかそれが、嫌な予感がするんだよ。俺の親がそうであるように、君ほどの異能持ちの家系が俺たちを簡単に野放しにするとも思えない。第一、颯の存在を知られるのは最も避けたいんだ。いくらこの子が俺たちの妖力と異能を引き継いで優れていても、存在そのものが狙われることには変わりがない。万が一、一人のときに見つかったりしたら……」
「それは私だって心配ですけれど……」
「俺と君が愛し合うことを許してくれなかったんだ。その子どもなんて、あやかしとしても人間としても禁忌の子でしかないだろう」
禁忌の子――。
それがいい意味での特別ではないと、颯は父親の苦渋の表情から悟ってしまった。うるさく響く心臓の音を落ち着かせようと、甚平の胸元をぐしゃりと掴む。自分の存在の危うさに、足元がぐらつくような感覚がした。
母親が目を潤ませながら声を絞り出す。
「そんな、禁忌だなんてひどい……」
「本当にひどいもんだよ、俺と君にとっては宝物なのにな。種族が違うと交わるのは許されない。今まであやかしと人間で恋仲になっている者たちの噂は聞いたことあっても、気が付いたらそんな者たちは最初からいなかったみたいに噂が消えている。許されない者は消される――そういう次元の話なんだ」
複雑な顔で両親は黙り込んでしまった。颯も自身にまつわる事の重大さを知ってしまい、息苦しさに襲われる。
「……大丈夫、俺が絶対、消させはしない」
悔しそうな声なのに、床に目線を向けたままの父親の横顔に強い意思を感じる。それが颯の瞼の裏に焼きついて離れなかった。
◆ ◆ ◆
3日後の朝。
今日も仕事を探しに出かけるという父親を、颯は母親と玄関で見送っていた。
「――じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。今日は峠の向こうの里まで行ってみるんですよね?」
「……ああ、少し知り合いを訪ねてみようと思ってな」
上がり框に腰かけた父親は草履を履きながら答える。その顔が何かを考え込んでいるように見えて、颯はぎゅっと拳を握った。
数日前に聞いてしまった話が、思い詰めたような父親の横顔が、頭から離れてくれないのだ。そわそわと胸が落ち着かない。
しかし、何も言えない。大事な話はこっそり聞いてしまったから知っているだけで、両親は颯の前でそれを明かしてはいないのだから。
自分にまつわることでもあるのに関わらせてもらえないことが、もやもやと颯の胸の内を曇らせていた。
「気をつけてくださいね。あっちはあやかしの住処が多いですから、あなたの素性を知っているあやかしがいてもおかしくありませんよ」
「ありがとう、気を付けるよ。それより、君たちもな。……くれぐれも結界から出ないように」
立ち上がった父親が母親を愛おしそうに抱き締め、次いで屈んで颯と目線を合わせてから抱き締める。出かける前にはいつも抱き締めてくれるのだが、今日はいつもより身体を包み込む父親の腕の力が強くて颯は思わず身を捩った。
「お父さん、いたいよー」
「……いいか、颯。お母さんのこと、頼んだぞ。おまえが、守ってやるんだ」
「お父さん……?」
突如耳元で紡がれた言葉にぎくりと固まる。颯の身体を離した父親は覚悟を決めたような顔をしていた。戸惑った顔で見上げる颯の頭を撫でると、父親はくしゃりと鼻にしわを寄せてぎこちなく口角を上げる。
なんだろう……。お父さん、様子が……。胸騒ぎがした。
「おと――」
「行ってきます」
颯が制止するより早く、父親は背を向けてさっさと出ていってしまった。閉じられた引き戸の前でおろおろする。
父親を行かせてはいけない気がした。だけど隔てるように閉じられた引き戸の前では、まるでそれを拒絶されたように感じて二の足を踏んでしまう。
「お、お母さん! あのっ」
「颯、今日はお母さんも出掛けるから一人でお留守番してくれるかな?」
「……え?」
嫌な予感を振り払ってもらおうと母親に助けを求めるように声をかけたが、予想外なことを言われて面食らってしまった。母親はそんな颯の心中に気付かず、着けていた前掛けを外して身だしなみを整えている。
「ど、どうして? さっきお父さんが結界から出ないでって言ってたのに!」
焦りで声が上擦る。どうして、なんで、今日に限ってそんなことを言い出すのか。耳の奥で嫌に自分の心臓の音が速く鳴り響いた。
母親は膝をつくと、颯と目を合わせながら小さな肩に両手を乗せてきた。眉尻を下げた表情に、わがままを言っていると思われている気がする。
「うん、お父さんが言ってることはわかってるよ」
「だったらどうして?」
「お父さんだけ危険な目に遭ってほしくないの。お父さんが苦労して守ろうとしてくれているのは、私にとっても大事な宝物なのよ。……だから決めたの。私もできることはしようって」
頬を撫でられながら、優しく笑いかけられる。だが颯はそれを拒むように首をぶんぶんと横に振った。
だめだ。それはこの前両親が話していたときに、父親が強く止めていた行動なのだから。一人で母親を行かせてはいけないと、嫌な予感が背筋を撫でた。
次から次へと襲いかかってくる胸騒ぎを訴えるように母親の腕を強く掴む。
「やだっ! 行っちゃだめ!!」
「大丈夫よ、あなたは強いから一人でお家にいることぐらいできるでしょう?」
「だめ! お母さんも一緒にいて!!」
「颯……。ごめんね、日が暮れる頃には帰ってくるから」
掴んでいた腕が容易く離れていく。
母親は颯の顔を固定するように触れると、額に自分の額をこつんとぶつけてきた。ふわりとした温もりが伝わってきたと颯が感じた直後、急な睡魔に襲われる。必死に瞼を開けていようとするが、否応なしに意識が深い底に沈んでいく。
「おか、さ……」
手を伸ばして母親の手を掴もうとするが身体の力が抜けてそれは叶わなかった。
「ごめんね、行ってきます」
閉じた瞼の裏の真っ暗な視界の中、母親に抱き留められたのだけはわかる。催眠術に抗っていた颯の意識は、母親のあやすような声を最後に途切れてしまった。




