それぞれの未来
第101話
「それぞれの未来」
東京の夜は、少しだけ春の匂いがしていた。
音大三年生になったアキラは、その日、美香を福岡から東京へ呼んでいた。
理由は、いつものように「一緒に音を合わせたいけん」だった。
美香は福岡交響楽団の仕事を調整し、週末に東京へ来ていた。
練習室。
美香のトロンボーン。
アキラのトランペット。
最後に合わせたのは、二人が何度も吹いてきた曲だった。
『東京で会いたい』
美香が学生寮で書き始めた曲。
離れていても、音でつながる二人の曲。
最後の音が消えたあと、練習室は静かになった。
美香が楽器を置く。
「アキラ、今日なんか緊張しとらん?」
アキラは小さく笑った。
「わかる?」
「わかるよ。ずっと一緒に音出しとるけん」
アキラは少し俯いた。
そして、ゆっくりケースの中から小さな箱を取り出した。
美香の息が止まった。
「美香」
アキラの声は震えていた。
でも、目はまっすぐだった。
「僕は、ずっと美香に救われてきた」
美香は黙って聞いていた。
「みらいのたねで、美香が僕に“悪くなかよ”って言ってくれた日から、僕は少しずつ前を向けるようになった」
アキラは箱を開けた。
中には、指輪が入っていた。
「まだ僕は学生やし、すぐ結婚できるわけじゃない。でも、これから先の人生を、美香と一緒に歩きたい」
美香の目に涙が浮かぶ。
アキラは、深く息を吸った。
「結婚を前提に、これからも付き合ってください」
美香は、しばらく声が出なかった。
那珂川の欄干。
みらいのたね。
白金荘。
トロンボーンの初めての音。
赤嶺家の大学芋。
東京の音大。
福岡交響楽団。
たくさんの時間が、胸の中を流れていった。
そして、その全部の先に、今のアキラがいた。
美香は涙を拭いた。
「アキラ」
「うん」
「うちでよかと?」
アキラはすぐに答えた。
「美香がいい」
美香は泣きながら笑った。
「……よろしくお願いします」
アキラの顔が、一気に崩れた。
安心したように、泣きそうに笑う。
美香は手を差し出した。
アキラは、そっと指輪をはめた。
ぴったりだった。
美香はその指を見つめた。
「きれい……」
「美香に似合うと思って」
美香の顔が赤くなる。
「そういうこと、すぐ言うけん……」
アキラも赤くなった。
「本当のことやけん」
その時、練習室の外から物音がした。
ガタン。
二人が振り向く。
ドアの隙間から、光子、優子、奏太、小春が転がるように出てきた。
「……」
美香が固まる。
「なんでおると!?」
光子が満面の笑みで言う。
「サプライズ見守り隊!」
優子が冷静に補足する。
「お父さんとお母さん公認たい」
奏太は申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、止められませんでした」
小春も小さく手を振る。
「おめでとうございます」
光子は美香の手の指輪を見た瞬間、叫んだ。
「完熟トマト、婚約品種!」
優子も即座に続ける。
「本日より高級ブランド化しました」
美香は真っ赤になった。
「もう! 感動の場面やったのに!」
アキラも赤くなりながら笑う。
「でも、らしいね」
美香は指輪を見て、それからみんなを見た。
涙と笑いが一緒に込み上げた。
自分の人生には、こんな未来が待っていた。
愛する人がいて。
家族がいて。
仲間がいて。
笑いながら祝ってくれる人たちがいる。
美香は、アキラの手を握った。
「アキラ」
「うん」
「うち、幸せになってよかって、やっとちゃんと思える気がする」
アキラは強く頷いた。
「一緒に幸せになろう」
光子が泣きながら言う。
「美香お姉ちゃん、おめでとう!」
優子も目を潤ませていた。
「アキラお兄ちゃん、美香お姉ちゃんを頼みます」
アキラは、まっすぐ頷いた。
「はい。大事にします」
奏太と小春も拍手した。
東京の練習室に、小さな拍手が響いた。
音楽を通して出会い、痛みを分け合い、支え合ってきた二人。
それぞれの未来は、ここでひとつの道へ重なり始めた。
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次回予告
アキラからのプロポーズ。
美香は涙ながらに受け入れる。
指輪をはめたその瞬間、隠れて見守っていた光子と優子たちが飛び出し、感動は一気に小倉家式の爆笑へ。
そして、福岡では優馬と美鈴へ報告する日が来る。
次回、第百二話
「婚約報告」




