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帰る場所~光の指す方へ  作者: リンダ


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美香の成人式

番外編


「美香の成人式」


 美香が二十歳を迎えた年。


 福岡市文化ホールで成人式が行われた。


 その朝、小倉家には、いつもとは違う静けさがあった。


 美鈴が、桐箱をそっと開ける。


 中に入っていたのは、一着の振袖だった。


 深い紅色に、淡い金と白の花模様。


 派手すぎず、けれど凛としている。


 それは本来、美鈴が成人式で着るはずだった振袖だった。


 けれど、美鈴は二十歳の頃、事故に遭い、長い昏睡状態にあった。


 成人式に出ることも、振袖を着ることもできなかった。


 そのまま、袖を通されることなく、長い年月しまわれていた。


 美鈴は、振袖にそっと手を置いた。


「美香」


「うん」


「これ、着てくれる?」


 美香は、息を呑んだ。


「お母さんの……?」


「うん。うちが着られんかった振袖」


 美鈴は微笑んだ。


「美香に着てほしか」


 美香の目に涙が浮かんだ。


「うちで……よかと?」


「美香やけん、着てほしかと」


 着付けが終わり、姿見の前に立った美香を見て、部屋の空気が止まった。


 紅色の振袖が、美香の落ち着いた表情によく似合っていた。


 優馬は、もう泣いていた。


「美香……きれか……」


 美鈴も、涙を浮かべて頷いた。


「本当に、よう似合っとる」


 光子が両手を広げる。


「美香お姉ちゃん、成人式の女神たい!」


 優子がすぐ言う。


「みっちゃん、女神は成人式行かんと思う」


 美香は涙を拭きながら笑った。


「二人とも、朝から飛ばさんでよ」


 アキラも駆けつけていた。


 美香の振袖姿を見た瞬間、固まった。


「……美香」


「な、何?」


「すごく……きれい」


 美香の顔が一気に赤くなる。


 光子が即座に反応した。


「完熟!」


 優子も追撃。


「紅色振袖完熟トマトたい」


「もう! 今日くらいやめて!」


 美鈴も優馬も、笑いながら泣いていた。


 成人式の会場。


 福岡市文化ホールには、多くの新成人が集まっていた。


 晴れやかな振袖。

 スーツ姿。

 久しぶりの再会。

 写真を撮る声。

 笑い声。


 その中で、美香は壇上に立つことになった。


 新成人代表スピーチ。


 小倉美香。


 その名前が呼ばれる。


 美香はゆっくり壇上へ向かった。


 客席には、優馬と美鈴がいる。


 光子と優子もいる。


 みらいのたねの理事長とスタッフ。


 村瀬由紀、健司、紗季、千夏。


 アキラ。


 赤嶺家の祖父母。


 博多南中学、福岡高校で関わった先生たち。


 みんなが見守っていた。


 美香は、マイクの前に立った。


「本日は、成人式を迎えられたことを、心から嬉しく思います」


 声は落ち着いていた。


「私は、子どもの頃、自分が二十歳になる姿を想像できませんでした」


 会場が静かになる。


「家に帰るのが怖かった時期があります。食べること、泣くこと、笑うことにも、許可が必要だと思っていた時期があります。自分は生きていていいのか、わからなくなったこともあります」


 美鈴は、ハンカチを握りしめた。


 優馬は、唇を噛んで泣いていた。


 美香は続ける。


「でも、私を見つけてくれた人がいました。手を離さなかった人がいました。家族として迎えてくれた人がいました」


 美香は、客席の小倉家を見た。


「お父さん、お母さん。私を娘にしてくれて、ありがとう」


 優馬は完全に泣き崩れた。


 美鈴も涙をこぼした。


「光子、優子。私をお姉ちゃんと呼んでくれて、ありがとう」


 光子と優子も、泣きながら笑っていた。


「私は、音楽に出会って、未来を見ることができました。人は、ひとりでは立ち上がれない時があります。でも、誰かがそばにいてくれたら、もう一度立てることがあります」


 美香は深く息を吸った。


「今日、ここに立てている私は、私ひとりの力ではありません。支えてくれたすべての人のおかげです」


 会場のあちこちで、すすり泣く声が聞こえた。


「だから、今苦しんでいる誰かに伝えたいです。助けを求めていい。声をあげていい。あなたが悪いんじゃない。あなたの未来は、まだ閉じていません」


 最後に、美香は少し微笑んだ。


「私はこれからも、音楽で、誰かに届く音を鳴らしていきます」


 拍手は、しばらく鳴り止まなかった。


 式のあと。


 小倉家で成人祝いが開かれた。


 最初は感動的だった。


 美鈴が、美香の振袖姿を見てまた泣く。


 優馬が乾杯の挨拶で三回泣く。


 みらいのたねの理事長も、村瀬由紀も、静かに涙を拭う。


 だが。


 そこへ光子が立ち上がった。


「それでは、成人式記念特別公演!」


 優子が横で冷静に言う。


「嫌な予感しかしない」


 光子は大声で宣言した。


「題して、美香お姉ちゃん成人式、優馬お父さん涙腺決壊スペシャル!」


 優馬が叫ぶ。


「俺、主役じゃなかろ!」


 光子は優馬の泣き真似を始めた。


「美香ぁ……父ちゃんはもう……味噌汁どころか、豚骨スープにも涙が……」


 優子がナレーションを入れる。


「なお、塩分濃度は基準値を超えました」


 全員、崩壊。


 アキラは笑いすぎてテーブルに突っ伏した。


 村瀬健司は腹を押さえ、千夏は涙を流して笑っている。


 光子はさらに続ける。


「続きまして、アキラお兄ちゃん、美香お姉ちゃんの振袖姿を見てフリーズ事件!」


 アキラが真っ赤になる。


「ちょ、光子ちゃん!」


 優子が淡々と説明する。


「アキラお兄ちゃん、三秒ほど完全停止していました」


 美香まで真っ赤になる。


「やめて!」


 光子が叫ぶ。


「完熟振袖トマト!」


 優子がすかさず言う。


「本日限定、成人式特別品種たい」


 その瞬間、全員の腹筋が完全に崩壊した。


 翌日。


 笑いすぎで腹筋と腰を痛め、整骨院に行った者が続出した。


 優馬は診察台でぼやいた。


「成人式祝いで整骨院送りって、どういう家族や……」


 美鈴は笑いながら言った。


「小倉家たい」


 美香は、振袖の写真を見ながら、静かに笑った。


 美鈴が着られなかった振袖。


 それを自分が着た。


 失われた時間を、全部取り戻すことはできない。


 でも、誰かの叶わなかった願いを、別の形でつなぐことはできる。


 美香は写真の中の自分を見つめた。


 紅色の振袖。


 隣には優馬と美鈴。


 光子と優子。


 アキラ。


 支えてくれた人たち。


 そこには、二十歳の小倉美香がいた。


 もう、ひとりではなかった。

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