ファイブピーチ★
第九十五話
「ファイブピーチ★」
病室の中で生まれた名前。
ファイブピーチ★。
それはまだ、ステージに立てる状態ではなかった。
光子と優子はリハビリ中。
歩く練習も、発声練習も、少しずつ。
奏太と小春は、加害者側の子どもとして背負わなくていい重さを抱えながら、ようやく一歩を踏み出したばかりだった。
それでも、音楽は始められた。
大きな音を鳴らせなくても。
ステージに立てなくても。
指を動かすだけでも。
リズムを刻むだけでも。
できることはあった。
病室のベッドの上で、光子は両手を構えた。
「うちはベースたい」
美香が笑う。
「ベース持っとらんやん」
「今は心のベース」
優子がすぐ突っ込む。
「概念ベースたい」
光子は真剣な顔で、低い声を出す真似をした。
「ぼん、ぼん、ぼぼん」
優馬が吹き出す。
「なんか魚市場みたいな音になっとる」
美鈴が肩を震わせる。
「でも、リズム感は悪くなかよ」
光子は満足げに頷いた。
「退院したら、本物のベース持つ!」
隣のベッドでは、優子が両手で膝を軽く叩いていた。
たん、たたん。
たん、たたん。
事故後、身体の動きはまだ思うようにいかない。
でも、優子のリズムは正確だった。
美香が驚く。
「ゆうちゃん、めっちゃ安定しとる」
優子は真剣な表情で言った。
「ドラムは、みんなを支える役やけん」
奏太が小さく頷く。
「それ、すごく大事やと思う」
小春は、美香の隣に座っていた。
小さなキーボードが膝の上に置かれている。
美香が優しく言った。
「まずは、ここ押してみて」
ぽん。
小春が鍵盤を鳴らす。
少し不安げな顔。
「これでいいんですか」
「よかよ。最初の音は、それで十分たい」
美香は、昔の自分を思い出した。
初めてトロンボーンで“ド”の音が出た日。
不安定で、小さくて、でも確かに自分の音だった。
小春の音も、そうだった。
小春はもう一度、鍵盤を押した。
ぽん。
美香が笑う。
「ほら、二回目」
小春も少し笑った。
「音、出ました」
「うん。ちゃんと出た」
一方、奏太はアキラと向かい合っていた。
本物のギターはまだ持っていない。
けれど、奏太は両手を構え、エアーギターでコードチェンジのシミュレーションをしていた。
アキラが横で言う。
「そこで手首固まると、後で弾きにくくなるけん、少し力抜いて」
「こうですか」
「うん。いい感じ」
奏太は真剣だった。
「僕、本当に弾けるようになりたいです」
アキラは頷く。
「なれるよ。焦らんでよか」
奏太は、少し声を詰まらせた。
「僕らがここにいていいのか、まだわからんくなる時があります」
病室が静かになる。
小春も俯いた。
美香は、ゆっくり言った。
「うちも昔、ずっとそう思っとった」
奏太が顔を上げる。
「ここにいていいのか。食べていいのか。笑っていいのか。そう思う時、何度もあった」
美香は二人を見た。
「でも、誰かが言い続けてくれた。ここにいていいって」
光子が言った。
「奏太くんも小春ちゃんも、ここにいてよか」
優子も頷く。
「ファイブピーチ★やけん」
奏太の目が潤む。
小春は、鍵盤の上に置いた手をぎゅっと握った。
「私たち……本当に参加していいんですか」
美香は微笑んだ。
「もちろんたい」
光子が胸を張る。
「ベース担当、光子!」
優子が続ける。
「ドラム担当、優子!」
小春が少し戸惑いながら言う。
「キーボード……小春」
奏太が息を吸う。
「ギター、奏太」
美香が最後に言った。
「トロンボーンと曲作り、美香」
アキラが横から笑う。
「僕はサポート担当かな」
光子が即座に言う。
「アキラお兄ちゃんは、完熟トマト監督!」
美香が真っ赤になる。
「ここでそれ言う!?」
優子が冷静に頷く。
「病室にも笑いは必要たい」
奏太と小春が、思わず笑った。
小さな笑いだった。
でも、それは確かに病室の空気を変えた。
その日から、病室での小さな音楽練習が日課になった。
光子はベースラインを口で真似する。
「ぼん、ぼぼん」
優子は膝で正確にリズムを刻む。
小春は美香と一緒に簡単なコードを鳴らす。
奏太はアキラとエアーギターの動きを確認する。
美香は五線紙に、新しい曲のメモを書いていた。
タイトルは、まだ仮だった。
『もう一度、歌おう』
事故で止まった時間。
罪を背負わされた子どもたち。
それでも、もう一度音を鳴らす。
もう一度歌う。
もう一度、未来へ進む。
美香は、病室で鳴る小さな音を聞きながら思った。
これは、完璧な演奏ではない。
でも、命の音だ。
リハビリ中の指。
震える声。
不安な目。
それでも出した音。
そのすべてが、ファイブピーチ★の始まりだった。
次回予告
病室で始まった、ファイブピーチ★の小さな練習。
光子はベース。
優子はドラム。
小春はキーボード。
奏太はギター。
美香は曲作りとトロンボーン。
まだ本物のステージには立てない。
でも、音は確かに鳴り始めていた。
次回、第九十六話
「再スタート」




