もう一度、歌おう
第九十四話
「もう一度、歌おう」
光子と優子のリハビリは、ゆっくり始まった。
歩く。
立つ。
座る。
手を伸ばす。
声を出す。
以前なら何も考えずにできていたことが、今は一つひとつ大きな挑戦だった。
光子は、最初のリハビリで悔しそうに唇を噛んだ。
「前は走れたのに……」
優子も、ベッドの上で小さく拳を握った。
「歌うと、息が続かん……」
美香は、二人のそばにいた。
「焦らんでよか」
光子が顔を上げる。
「でも……」
「うちも、最初はトロンボーンの音、出らんかった」
美香は静かに笑った。
「ドの音ひとつ出すのに、必死やった。少しずつでよか。もう一回、一緒に歌おう」
光子と優子は、黙って頷いた。
そんなある日。
美香は、ある話を耳にした。
事故を起こした加害者側の家庭。
その子どもたちが、つらい生活を送っているという話だった。
大畑奏太。
大畑小春。
兄妹だった。
父親の事故により、家庭は一気に崩れた。
周囲からの視線。
生活の不安。
学校での孤立。
大人たちの怒りと沈黙。
奏太と小春自身が事故を起こしたわけではない。
それでも、二人は“加害者の子ども”として見られていた。
美香は、その話を聞いて胸が痛んだ。
「子どもは……悪くなか」
その言葉は、自分自身にも向けたことのある言葉だった。
数日後。
奏太と小春は、病院へ見舞いに来た。
廊下で、二人は深く頭を下げた。
奏太は中学生。
小春はまだ小学生。
顔はこわばり、手は震えていた。
「本当に……すみませんでした」
奏太の声は震えていた。
「父が……本当に……」
小春も涙をこらえていた。
「ごめんなさい……」
病室の空気が静かになる。
光子と優子は、ベッドの上で二人を見ていた。
美鈴と優馬もそばにいる。
美香は、奏太と小春の目を見た。
怯えている。
責められる覚悟をしている。
自分たちが悪いわけではないのに、謝らずにはいられない目。
それは、かつての美香が何度もしていた目だった。
優子が、ゆっくり言った。
「奏太くんと小春ちゃんが、事故起こしたわけやなか」
光子も頷いた。
「うちら、痛かったし怖かった。でも、あんたたちが悪いわけじゃなか」
奏太が顔を上げる。
「でも……僕らの父が……」
美香が静かに言った。
「大人のしたことを、子どもが全部背負わんでよか」
奏太の目に涙が浮かんだ。
「そんなこと……言ってもらえると思わんかった」
小春は泣き出した。
すると、光子が少しだけ身体を起こした。
「ねえ」
優子が横で支える。
光子は、真剣な顔で言った。
「うちらと、音楽ユニット組まん?」
病室が止まった。
奏太が目を丸くする。
「え?」
小春も涙のまま固まる。
「ユニット……?」
優子が続ける。
「トリプルピーチ★は三人やったけど、五人になったらもっと音が増えるたい」
美香は、光子と優子を見た。
驚いた。
でも、その提案が二人らしいとも思った。
奏太は震える声で聞いた。
「僕らが……参加してもいいと?」
光子が即答した。
「もちろん」
優子も言う。
「あんたらが悪いわけじゃなか」
美香が微笑む。
「困った時はお互い様たい」
その言葉で、奏太は泣いた。
小春も声を上げて泣いた。
謝罪に来たはずだった。
責められる覚悟をしていた。
でも、そこにあったのは、責める言葉ではなかった。
差し伸べられた手だった。
優馬は、涙をこらえながら言った。
「光子、優子……本気なんやね」
光子は頷いた。
「うん。うちら、もう一回歌いたか」
優子も言った。
「それに、奏太くんと小春ちゃんも、一人にしたらいかん気がする」
美鈴は静かに目を閉じた。
この子たちは、まだ痛みの中にいる。
それでも、人を責めるだけではなく、手を伸ばそうとしている。
美香もまた、胸の奥が熱くなった。
かつて自分が、小倉家に迎えられたように。
今度は、自分たちが誰かを迎える番なのかもしれない。
美香は言った。
「トリプルピーチ★から、ファイブピーチ★へ」
光子の目が輝く。
「ファイブピーチ★!」
優子が頷く。
「五人やけんね」
奏太は涙を拭いた。
「僕、ギターなら少しできます」
小春も小さな声で言った。
「私、歌うの好きです……」
光子が笑う。
「決まりたい!」
優子が言う。
「でもまずは、うちらのリハビリからやね」
美香が頷いた。
「うん。もう一度、歌おう」
病室の中に、少しだけ明るい空気が戻った。
事故は、確かに悲劇だった。
傷も残る。
怒りも消えない。
許すという言葉は、簡単には使えない。
でも、子どもたち同士が背負わなくていい罪まで背負い続ける必要はない。
光子と優子は、自分たちの痛みの中から、それを選んだ。
もう一度、歌うこと。
そして、誰かを一人にしないこと。
その日、病室で新しい名前が生まれた。
ファイブピーチ★。
それは、ただの音楽ユニット名ではなかった。
傷ついた子どもたちが、それでも未来へ向かって手をつなぐための名前だった。
⸻
次回予告
加害者側の子どもである奏太と小春。
二人は謝罪のために病室を訪れる。
だが、光子と優子、美香は言う。
「あんたらが悪いわけじゃなか」
そして、トリプルピーチ★は五人組へ。
ファイブピーチ★誕生。
次回、第九十五話
「ファイブピーチ★」




