手術室の灯り
第九十三話
「手術室の灯り」
手術中。
その赤いランプは、ただ光っているだけなのに、どうしてこんなにも人の心を締めつけるのだろう。
美香は手術室の前の椅子に座っていた。
東京から着いたばかりだった。
トロンボーンケースは足元に置いたまま。
福岡へ向かう新幹線の中で何度も祈った。
間に合ってほしい。
助かってほしい。
ただ、それだけだった。
隣には美鈴。
そして優馬。
普段は明るく賑やかな二人も、今はほとんど言葉がなかった。
優馬は両手を組み、床を見つめている。
美鈴は何度もスマホを握り直していた。
画面には光子と優子の写真。
海で笑っている写真。
ライブで歌っている写真。
美香に抱きついている写真。
どれも笑顔だった。
美鈴の目から涙が落ちる。
「ごめんね……」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
母親として守れなかったことへの後悔。
事故を止められなかった無力感。
すべてが胸を締めつけていた。
その時だった。
廊下の向こうから走ってくる足音。
「美鈴さん!」
振り返る。
みらいのたねの理事長だった。
職員たちもいる。
さらに村瀬由紀。
千夏。
そしてアキラまで来ていた。
高校の制服姿だった。
「アキラ……」
美香が驚く。
アキラは息を切らしながら言った。
「受験勉強なんか後回しや」
そして優馬へ頭を下げた。
「何かできることありますか」
優馬は首を振った。
「ありがとう」
その一言しか出てこなかった。
夜になった。
それでも手術は続いていた。
交通事故による多発外傷。
骨折。
内臓損傷。
頭部外傷。
医師たちは必死だった。
病院中の力を集めていた。
深夜。
ようやくランプが消えた。
全員が立ち上がる。
扉が開く。
執刀医が出てきた。
誰も息をしていなかった。
医師はマスクを外した。
「手術は成功しました」
その瞬間。
美鈴が崩れ落ちた。
優馬が顔を覆う。
美香はその場にしゃがみ込んだ。
アキラも深く息を吐いた。
医師は続ける。
「ただし、まだ予断は許しません」
「今後数日が非常に重要です」
「意識が戻るかどうかも含めて、慎重に経過を見る必要があります」
それでも。
生きている。
その事実だけで十分だった。
ICU。
ベッドが二つ並んでいた。
光子。
優子。
二人とも包帯だらけだった。
人工呼吸器。
点滴。
心電図モニター。
静かな機械音だけが響いている。
美香はベッドの横へ行った。
小さな手を握る。
冷たい。
でも、生きている。
「みっちゃん」
「ゆうちゃん」
声が震えた。
「お姉ちゃん帰ってきたよ」
返事はない。
いつもなら、
「美香おねーちゃん!」
と飛びついてくるはずなのに。
静かだった。
美香は涙をこらえた。
「だから……帰ってきて」
翌日。
ニュースは全国へ広がった。
人気三姉妹ユニット、トリプルピーチ★の光子と優子が交通事故で重傷。
SNSには祈りが溢れた。
「助かって」
「頑張れ」
「待ってる」
「また歌を聴かせて」
学校でも。
病院でも。
みらいのたねでも。
誰もが祈っていた。
そして三日後。
先に反応したのは光子だった。
指がわずかに動いた。
看護師が気づく。
「先生!」
医師が駆けつける。
美鈴も飛び起きる。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
光子のまぶたが開いた。
ぼんやりした目。
焦点が合わない。
それでも。
生きている。
「みっちゃん!」
美鈴が泣きながら呼ぶ。
光子は小さく口を動かした。
「……おかあ……さん……?」
美鈴は泣き崩れた。
その翌日。
今度は優子だった。
目を開ける。
最初に見えたのは優馬だった。
「お父さん……」
優馬はその場で号泣した。
病室中が涙だった。
数週間後。
二人は一般病棟へ移った。
まだ歩けない。
まだ痛い。
リハビリも必要。
でも生きている。
ある日の病室。
美香。
アキラ。
優馬。
美鈴。
みんながいた。
光子が言う。
「ねぇ」
「うん?」
「うち、生きとる?」
優馬は苦笑した。
「生きとるたい」
優子も言う。
「夢じゃなか?」
美鈴が頭を撫でた。
「夢じゃなか」
二人は顔を見合わせる。
そして。
「うにゃ〜……」
「……あじゃぱー……」
病室が静まり返る。
美香が吹き出した。
アキラも笑う。
優馬も笑う。
美鈴も泣きながら笑う。
光子が言う。
「よかった」
優子も笑う。
「ボケられる」
その瞬間。
病室は笑い声でいっぱいになった。
誰も怒らなかった。
誰も否定しなかった。
それが小倉家だった。
事故は多くを奪った。
傷も残った。
恐怖も残った。
リハビリも続く。
でも。
命はつながった。
そして家族もつながった。
美香は病室の窓から空を見た。
東京で作りかけていた曲が頭に浮かぶ。
まだ完成していない。
でもタイトルだけは決まっていた。
――帰ってきてくれてありがとう。
それが、この曲の始まりだった。
次回予告
目を覚ました光子と優子。
だが事故の影響は小さくなかった。
歩くこと。
歌うこと。
笑うこと。
当たり前だった日常を取り戻すためのリハビリが始まる。
そして美香は、二人のために新しい曲を書き始める。
次回、第九十四話
「もう一度、歌おう」




