学生寮の春・後編
第八十九話
「学生寮の春・後編」
東京の音大での生活に、美香は少しずつ慣れてきた。
朝は講義。
昼は練習室。
夕方は作曲課題。
夜は学生寮の部屋で譜面と向き合う。
廊下の向こうからは、ピアノの音が聞こえる。
別の部屋からは声楽の発声。
中庭では、誰かがヴァイオリンをさらっている。
美香は机に向かい、五線紙へ音符を書き込んでいた。
「ここは、トロンボーンじゃなくてクラリネットの方がよかかな……」
東京での毎日は、音で満ちていた。
その一方で、トリプルピーチ★も活動を続けていた。
福岡の光子と優子。
東京の美香。
離れていても、三人は音楽と笑いでつながっていた。
そしてついに、トリプルピーチ★は月一回のレギュラー番組を持つことになった。
音楽あり、トークあり、コントあり。
タイトルは、
「トリプルピーチ★のハレバレ音楽室」
初回収録の日。
スタジオには観客が入り、三人が登場すると大きな拍手が起きた。
「みなさん、こんばんは!」
「トリプルピーチ★です!」
光子は相変わらず勢い全開。
優子は落ち着いた笑顔。
美香は少し緊張しながらも、しっかりマイクを持っていた。
司会者が笑顔で話を振る。
「美香さん、東京の音大生活はどうですか?」
「毎日、音に囲まれとう感じです。すごく刺激があります」
「いいですねぇ。ところで……」
司会者が少しにやりとする。
「最近、アキラさんとはどうなんですか?」
その瞬間、美香の肩が跳ねた。
「えっ」
光子と優子の目が光る。
光子が即座にマイクを握った。
「アキラお兄ちゃん!」
優子も続く。
「美香おねーちゃん、アキラお兄ちゃんの話になると、すぐ顔赤くなると!」
美香の顔がみるみる赤くなる。
「ちょ、ちょっと! テレビで言わんでよか!」
観客席から笑いが起きる。
光子は容赦しない。
「ほら! 完熟トマト!」
優子が冷静に追加する。
「しかも東京産たい」
美香は両手で顔を隠した。
「やめてって!」
司会者も笑いながら聞く。
「アキラお兄ちゃん、ということは、光子ちゃんと優子ちゃんにとっても大切な存在なんですね?」
優子が頷く。
「うん。美香おねーちゃんを大事にしてくれる人やけん」
光子も胸を張る。
「あと、楽器が上手い!」
美香は少し照れながら言った。
「アキラは……音楽を一緒に作れる、大事な人です」
スタジオが一瞬、温かい空気に包まれた。
だが、光子がすぐに崩す。
「つまり、やっぱり完熟たい!」
優子が締める。
「本日の収穫、完熟トマト一名」
会場は大爆笑。
美香は真っ赤なまま、笑っていた。
昔なら、こんな話題で人前に立つことなど考えられなかった。
恋をいじられて、照れて、笑われる。
それは、平和な日常の中にある笑いだった。
そして美香は、その笑いの中にいられるようになっていた。
一方。
刑務所の共同スペースでは、同じ番組がテレビに映っていた。
画面の中で、美香は笑っている。
光子と優子がボケて、観客が笑う。
字幕には、
「トリプルピーチ★、月一レギュラー番組スタート」
と出ていた。
和正は、それを睨みつけていた。
「なんで俺らは、こんな極貧生活やねん」
香織は黙っていた。
和正は吐き捨てるように言った。
「あの小倉家の奴らが、全部持って行きやがった」
その言葉に、近くにいた刑務官が鋭く反応した。
「黒木」
和正は顔をしかめた。
「なんですか」
刑務官は厳しい声で言った。
「まだ自分が奪われた側だと思っているのか」
和正は黙った。
「お前たちが奪ったのは、あの子の子ども時代だ。食事、安心、尊厳、学ぶ機会、笑う権利。それを奪ったのはお前たちだ」
香織の肩が小さく震えた。
刑務官は続けた。
「小倉家が持って行ったんじゃない。お前たちが手放したんだ」
和正は視線を逸らした。
反抗的な態度は崩れきらない。
それでも、言い返すことはできなかった。
テレビの中では、美香がトロンボーンを手にしていた。
東京の学生寮に戻った夜。
美香は番組の録画を見ながら、また顔を赤くしていた。
「もう……二人とも容赦なか……」
スマホにアキラからメッセージが届く。
『番組見た。光子ちゃんと優子ちゃん、相変わらず強かね』
美香は、また赤くなった。
『アキラのこと、全国放送でいじられた……』
すぐに返信が来る。
『僕はうれしかったよ。大事な人って言ってくれて』
美香はスマホを胸に抱いた。
東京の寮の部屋。
一人なのに、ひとりじゃない。
福岡の家族。
アキラ。
音楽。
トリプルピーチ★。
全部が、美香の未来につながっていた。
⸻
次回予告
トリプルピーチ★は月一レギュラー番組をスタート。
番組内で、美香はアキラお兄ちゃんの話題を振られ、光子と優子から完熟トマト扱いされる。
一方、刑務所の和正と香織は、テレビで美香の活躍を見てもなお反抗的な態度を見せる。
そして、アキラが東京へやって来る。
次回、第九十話
「東京で会いたい」




