音大受験
第八十六話
「音大受験」
美香は、福岡高校音楽科を主席で卒業した。
卒業式の日。
講堂に響く拍手の中、美香は卒業生総代として壇上に立っていた。
小倉美香。
そう呼ばれて、ゆっくり前へ進む。
優馬は、客席でハンカチを握りしめていた。
「美香……」
声が震えていた。
美鈴も、涙をこらえきれなかった。
小学校の卒業式では、保護者席に誰もいなかった。
中学校の入学式でも、祝ってくれる人はいなかった。
食べることすら許されず、名前を呼ばれることすら怖かった少女が、今、福岡高校音楽科の卒業生総代として立っている。
その重みを、優馬も美鈴も知っていた。
美香は答辞を読み上げた。
「私は、音楽に出会って、未来を見ることができました。音は、人を傷つけるものではなく、人と人をつなぐものだと知りました」
その言葉に、客席のアキラは静かに頷いた。
みらいのたねの理事長とスタッフたちも来ていた。
村瀬家も来ていた。
村瀬由紀。
夫の村瀬健司。
長女の村瀬紗季。
そして千夏。
由紀は、目元を押さえていた。
「本当に……ここまで来たんやね」
千夏も泣きながら笑った。
「美香、すごい」
式が終わると、光子と優子が美香へ飛びついた。
「美香おねーちゃん、主席!」
「卒業生総代たい!」
美香は笑いながら二人を抱きしめた。
「ありがとう」
その夜、小倉家とみらいのたね関係者、村瀬家、アキラ、赤嶺家の祖父母まで集まって、卒業祝いが開かれた。
最初は感動的だった。
優馬が泣きながら乾杯の挨拶をした。
「美香、卒業おめでとう。うちの娘になってくれて、本当にありがとう」
美鈴も言った。
「美香、よう頑張ったね」
美香も泣いた。
だが、感動は長く続かなかった。
光子と優子が、突然立ち上がったからである。
「ここで、卒業記念特別公演!」
「題して、主席とトロンボーンとお父さんの涙腺崩壊事件!」
優馬が慌てる。
「俺、タイトルに入っとる!?」
光子が優馬の泣き真似を始めた。
「み、美香ぁ……父ちゃんは……もう……味噌汁にも涙が……」
優子が冷静にナレーション。
「なお、味噌汁は塩分過多となりました」
全員が吹き出した。
美香も腹を抱えて笑った。
「二人とも、やめて! お父さん本当に泣いとったんやけん!」
光子が胸を張る。
「だから再現度高めたい!」
優子が続ける。
「感動の記録映像です」
優馬は完全に撃沈。
「娘たち、父をいじるの上手すぎる……」
そこから、光子と優子の爆笑お祝いステージは止まらなかった。
美香のトロンボーン練習初期の真似。
アキラが美香を前にすると真っ赤になる真似。
優馬の謎ポエム。
美鈴の鋭すぎるツッコミ。
最後は、光子が叫んだ。
「美香おねーちゃん、東京の音大受験、行ってこーい!」
優子が続ける。
「でも、たまには帰ってこんと、小倉家のツッコミ担当が不足するたい!」
会場は大爆笑。
翌日。
笑いすぎて腹筋を痛め、整骨院送りになった者が多数出た。
優馬は腰を押さえながら言った。
「卒業祝いで整骨院行きって、どういうことや……」
美鈴が笑う。
「小倉家らしかろ」
美香は、笑いながらも胸がいっぱいだった。
祝ってくれる人がいる。
泣いてくれる人がいる。
笑わせてくれる妹たちがいる。
そして、隣にはアキラがいる。
翌朝。
美香は東京の音大受験へ向けて、楽譜とトロンボーンを確認した。
アキラもまた、同じ道を目指していた。
「美香」
「ん?」
「一緒に行こう」
美香は頷いた。
「うん。一緒に」
福岡高校音楽科主席卒業。
卒業生総代。
それはゴールではなかった。
小倉美香の音楽人生は、ここからさらに大きな舞台へ進もうとしていた。
次回予告
福岡高校音楽科を主席で卒業した美香。
祝福と爆笑に包まれ、いよいよ東京の音大受験へ向かう。
アキラも同じ未来を目指す。
次回、第八十七話
「東京へ」




