名前で呼んで
第八十四話
「名前で呼んで」
福岡高校音楽科に進んでから、美香の音楽は一気に広がっていった。
トロンボーンだけではなかった。
ピアノ。
ギター。
作詞。
作曲。
編曲。
最初は、ほんの短いメロディだった。
でも、少しずつ形になった。
そしてある日、美香は小倉家のリビングで言った。
「トリプルピーチ★のアルバム、作ってみたか」
光子と優子は目を輝かせた。
「アルバム!」
「うちらの曲、いっぱい入ると!?」
美香は頷いた。
「うん。うちが作詞作曲した曲も入れたい。アキラにも手伝ってもらう」
優馬が感慨深そうに腕を組んだ。
「ついに美香プロデューサーたい」
美鈴が笑う。
「優馬、茶化さんと」
美香は少し照れた。
「まだまだやけど……でも、やってみたい」
アルバム制作は、想像以上に本格的になった。
明るいポップ曲。
静かなバラード。
クラシック要素を取り入れた組曲風の楽曲。
トロンボーンとトランペットが会話するようなインスト。
そして、光子と優子の声を前面に出した曲。
アキラも楽曲制作に参加した。
「ここ、トランペット入れたら明るくならん?」
「うん。でもサビ前は少し抑えたい」
「じゃあ、ピアノ残して、金管は後半から?」
「それ、よかかも」
二人で譜面を見ながら話す時間は、美香にとって宝物になった。
アルバムの中でも特に話題になったのは、静かなラブバラードだった。
タイトルは、
『夕陽の名前』
美香が作詞作曲し、アキラが管楽器アレンジを加えた曲。
まだ六歳の光子と優子が、その曲を歌い上げた。
子どもの声なのに、驚くほど表情がある。
切なくて、やさしくて、どこか未来を見ているような声。
収録現場で、スタッフが息を呑んだ。
「……本当に六歳?」
優子が首を傾げる。
「六歳たい」
光子が胸を張る。
「でも中身は音楽戦士!」
美香が即ツッコミ。
「みっちゃん、そこは普通でよか」
アルバムが配信されると、大きな反響が起きた。
「トリプルピーチ★、進化しすぎ」
「美香ちゃん作詞作曲なの?」
「六歳双子の表現力じゃない」
「夕陽の名前、泣いた」
「アキラくんのトランペットも良すぎる」
日本中が、三姉妹の実力に驚いた。
一方。
刑務所に収監されている和正と香織も、そのニュースをテレビで見ていた。
画面には、小倉美香の名前が出ている。
トリプルピーチ★新アルバム大ヒット。
美香がピアノを弾き、光子と優子が歌う映像。
アキラのトランペットが重なる。
和正は、苦々しく呟いた。
「あいつら、いい生活しやがって」
香織は黙っていた。
だが、それは違った。
美香は、いい生活を“与えられた”だけではない。
逃げて、泣いて、守られて、努力して、音楽にしがみついて、ここまで来た。
そして和正と香織は、その未来を自ら手放したのだ。
食べさせなかった。
守らなかった。
愛さなかった。
金の道具にしようとした。
その結果、美香は二人の元を離れた。
美香の幸せは、二人から奪われたものではない。
二人が壊そうとした命を、周囲の人たちが必死に支え、美香自身が掴み直したものだった。
その頃、小倉家では、アルバム配信記念の小さなお祝いが行われていた。
優馬が乾杯の音頭を取る。
「トリプルピーチ★、アルバム配信おめでとう!」
美鈴が拍手する。
「美香、よう頑張ったね」
光子が胸を張る。
「うちら、すごか!」
優子が冷静に言う。
「自分で言うと軽くなるけん」
アキラが少し照れながら言った。
「美香の曲、ほんとによかった」
美香は顔を赤くした。
「アキラが手伝ってくれたけん」
「美香が作った曲やろ」
「でも、アキラの音が入ったけん完成したと」
二人の空気に、光子がにやっとした。
「またトマト」
優子も頷く。
「今回は高級トマトたい」
美香が慌てる。
「もう、それやめてって!」
リビングに笑い声が広がる。
かつて、名前を呼ばれることさえ怖かった少女。
今は、自分の名前で曲を作り、歌い、誰かに届けている。
小倉美香。
その名前は、もうただの戸籍上の名前ではなかった。
音になった。
歌になった。
未来になった。
次回予告
美香の作詞作曲によるアルバムが大反響を呼ぶ。
光子と優子は六歳にして、静かなラブバラードを歌い上げ、日本中を驚かせる。
アキラも楽曲制作に参加し、美香との音楽的な絆を深めていく。
そして美香は、いよいよ東京の音大を意識し始める。
次回、第八十五話
「東京の音」




